プロジェクト概要

 

10月31日、ユネスコ世界記憶遺産に、日本と韓国に残る朝鮮通信使の残した資料が登録をされました。

うち、6点が広島の鞆の浦にある、福禅寺・対潮楼に所蔵されています。この中の修繕が必要な2点を後世に大切な遺産として、残していくため、ご協力をお願いいたします。

 

 

 

 

鎖国時代も続けられた朝鮮との交流の印!貴重な書を後世へ。

 

ページをご覧いただき、ありがとうございます。福禅寺住職の山川です。 広島・鞆の浦にある風光明媚な丘の上に建つ、海岸山千手院福禅寺の本堂に隣接する対潮楼は、江戸時代・1690年頃に創建された訪問客を迎えるための客殿です。

 

その場所はかつて江戸時代に朝鮮からの使者である、朝鮮通信使を12回にわたってもてなした場所です。現在でも眼下に広がる美しい景色は観光名所となっています。 ここに宿泊した朝鮮通信使の一行は対馬から江戸までで、ここからの景色が最も優れているとして「日東第一形勝」という書とこの場所の名「対潮楼」を記した書を残しました。これが今回修復を行う2点の書です。(2017年10月31日・ユネスコ世界記憶遺産に登録)

 

日本と朝鮮の外交に大きな影響を与えた朝鮮通信使の貴重な記録であるこれらの書を修繕し、後世に残していくために、ぜひ皆さんのお力をお貸しください。

 

かつて朝鮮から江戸までの間でもっとも美しいと呼ばれた景色は現在も変わらずここにあります。

 

 

鎖国が行われていた江戸時代・唯一正式な国交があった朝鮮王朝。その交流の要となっていた朝鮮通信使。

 

朝鮮王朝は、鎖国と言われた江戸時代に、200年以上に及ぶ平和な外交関係を日本が唯一正式な国交として結んでいた国です。

 

通信使は朝鮮国の都、漢城(ハンソン)※現在のソウルから江戸まで約2000kmの道のりを5,6隻の船に分乗した500人にも及ぶ大使節団でした。その護衛には対馬藩が50隻の船で付き添い、接待する藩の送迎船は200以上仕立てられ、総勢300隻にも達する大船団が瀬戸内海を往来しました。

 

使節のメンバーは政治家だけではなく、当時の朝鮮王朝から選び抜かれた多くの文化人を擁した文化使節団でもあり、日本の文化人との交流が盛んに行われました。

 

鞆の浦には通信使一行500人に、対馬藩の護衛が500人、さらに藩の接待役が1000人で総計2000人もの人たちが滞在し、狭い鞆の町はごった返しました。宿泊と食事の接待には莫大な経費がかかりましたが、幕府の威信をかけての大イベントだったため、福山藩も藩を挙げて歓待しました。

 

その使節団の上官三使が鞆の浦の寄港で最も楽しみにしていたのが、ここ對潮楼からの眺望でした。「寺は高い崖の上に海を臨んで建っている。島々は大小遠近さまざまに並び地勢奇しく絶景これに勝るものはない。」とその眺めを称し、その後第8回の通信しが書に残しています。

 

寛永13年(1636)年の朝鮮通信使は、初めて観音寺と呼ばれた現在の福禅寺に宿泊し、以後上官三使、正使、副使、従事官の定宿となり、寛永20年(1643)来聘で福禅寺に館舎を定めました。

 

江戸時代に訪れた朝鮮通信使もこんな日の出を見ていたかもしれません。

 

 

朝鮮通信使の残した 紙本墨書「日東第一形勝」「對潮楼」

 

登録された6点は経年劣化が進むことで傷みがあり、その中でもこの2点が特に急を要する程の傷み具合のため、優先して修繕を行うこととなりました。

 

正徳元年(1711)に福禅寺客殿に宿泊した一行は、対馬から江戸まででここからの景色が最も優れているとして、従事官李邦彦(イバンホン)が残した書が「日東第一形勝」です。

 

またもう1点の「對潮楼」の書は、第10回の通信使が延享5年(1748)に来日した際にしたためられたものです。この書には逸話が残されています。来日後、鞆の浦に寄港した際、幕府から接待役を命じられていた上官三使が、福禅寺を常泊にしていたことを知らなかったのか、阿弥陀寺に宿泊を定めてしまいます。

 

そこで重大な事件が起こりました!三使は従者から「ここは福禅寺にあらず」と告げられると「なぜ福禅寺を宿舎にしなかったのか」と日本側に詰め寄ります。そこで「福禅寺は焼失したので阿弥陀寺を宿舎にした」と苦しい言い訳をしたためますます三使を怒らせてしまいます。

 

ついには「福禅寺は日本第一の勝景なりその佳境を眺望したいという外国からの使節を何故欺くのか。」と激怒し夕食もとらず船に帰ってしまったというのです。

 

往路では福禅寺に入り美しい景観を愛した正使 洪啓禧(ホンケヒ)は客殿を「對潮楼」と命名し、その子供で若干22歳の書家 洪啓海(ホンキョンヘ)は雄渾の書を残しました。当時、藩主 阿部正福は書を木額に仕立てました。現在もその木額は對潮楼の正面に掲げており、今回の修繕を行うのはそのもととなっている書です。

 

 

 

 

国史跡 福禅寺對潮楼

 

福禅寺は天慶・天暦の頃(938年から955年ごろ)に空也上人を開基として創建された古刹で、元禄年間には福山藩第四代藩主、水野勝種により現在の本堂が再建され、客殿も建築されました。当寺が祈蔵する江戸時代末期 に制作されたと考えられる版木「備後鞆津福禅寺全図」には境界面側に仁王門、太師堂、鐘楼など現存しない建物が描かれており、江戸時代には境内にかなり多くの堂宇が存在していたことがうかがえます。

 

現在客殿の対潮楼は、眼下に広がる美しい景色を見るための観光客で賑わっています。

 

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その景色を楽しみに多くの方がいらしてくださいます。

 

 

修理の過程と詳細について

 

修繕の終了は、2018年12月を予定しています。貴重な書物のため、丁寧に時間をかけての修繕が必要となります。

 

■修理工程

損傷状態調査⇒紙質調査⇒解体⇒裏打紙除去⇒汚れ除去⇒肌裏打ち⇒増裏打ち⇒総裏打ち・仕上げ

 

■修理作業

(株)桂文化財修理工房

 

■資金使途について

修繕にかかる260万円のうちの一部を今回のプロジェクトのご支援で充てさせていただきます。

 

 

 

平和的な日韓交流の思いを繋ぎ、その歴史を通して、鞆の浦を知ってもらうきっかけに。

 

経年劣化により大変傷んでいるため、現在展示会以外の一般観覧を行っていません。しかし、今回のユネスコ世界記憶遺産の認定を受け、この資料の重要性が見直されたこともあり、多くの方にもっと見ていただけるような機会を作りたいと考えています。

 

当時の平和的交流の証でもある朝鮮通信使の貴重な遺産を後世に伝えていくことは、日韓の平和と友好の思いを繋いでいくことでもあります。

 

そのためにも、しっかり修理を行い、今後は一般展示などを目指し、見ていただける機会を増やすことで、鞆の浦の歴史や鞆の浦自体にもより興味をもっていただけるようなきっかけになれればと考えております。ぜひ皆様のご協力をお願いいたします。

 

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鞆の浦の街には福禅寺対潮楼だけではなく、古き良き建物がたくさん残っており、
これらは現在重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

 

 

「日東第一形勝」と評された絶景写真のクリアファイル、住職が祈念したお守りなど皆様のご多幸をお祈りしたリターンです。

 

■金襴芳名帳へのお名前記載・永久保存

芳名帳へお名前をお書きし、大切に保存させていただきます。

 

■特別観覧の権利

対潮楼にお越しいただきました際に、特別に修繕した2点をご覧いただけます。

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■幸福御守(幸福を招く黄色いお守り)

 

■木札ストラップ(日東第一形勝および對潮楼を表裏に刻む)


■クリア・ファイル(寺からの絶景写真を転写したもの)

 

■短冊

 

■住職直筆の色紙

 

 


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