プロジェクト概要

被爆者を家族に持つ私たちが、原爆症をテーマとした映画の上映会と演奏会を開き、被爆者問題を訴えます。

 

はじめまして。ヴィオラとピアノのデュオ「ガルボ」のピアノ奏者 長沼靖子です。私たちは、映画の裏話トークをしながらプログラムを進める「魅惑の映画音楽」コンサートを開始して今年で10周年になります。ヴィオラ奏者の沖西慶子は、長崎で被爆した母を持つ被爆二世です。彼女の母親は、小学生の頃に被爆して、兄妹同然に育ち同居していた従兄を原爆で失いました。

 

昨年の8月9日、私達ガルボは、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館で、原爆犠牲者追悼コンサートを行いました。(コンサートの模様は長崎と広島の新聞に掲載されました)こうして、被爆者問題を広めるため、精力的に活動して参りました。そこでこの度、私たちガルポは甲状腺がん患者を描いた映画、「妻の貌(かお)」(川本昭人監督)の上映とともに、演奏会を開催することを決めました!

 

しかし、そのための資金が不足しています。私たちの取り組みを、応援していただけませんでしょうか。

 

(昨年の8月9日に行った原爆犠牲者追悼コンサートの模様)

 

 

主治医から告げられた「母親の被爆の影響が大きい」

2008年、ヴィオラの沖西は自身が被爆2世であることを自覚しました。

 

1945年8月6日 広島   8月9日 長崎の原爆によって、その年末までに広島で約14万人、長崎で約7万4千人が亡くなりました。両被爆地で、その年に亡くなった方は、合計約21万4千人にのぼりました。被爆者が亡くなったのは、その年だけではありません。被爆後70年が経った今でも被爆が原因の様々な病気で亡くなり続けています。長崎で育って平和教育を受け、広島で社会人となった沖西は、自然と2つの被爆地に関わるようになっていきます。2005年、同じ被爆地である母の故郷の長崎では、慰問演奏をしていなかったことに気付き、長沼と共に恵の丘長崎原爆ホームで訪問演奏をしました。

 

その後、2008年に沖西が甲状腺の病気を発症。主治医から手術の説明を受ける際に、母親が「私が被爆者だから娘がその病気になったのですか?」と質問をしたことに衝撃を受けます。追い打ちをかけるように主治医が「絶対とは言えませんが、一般的には、その影響が大きいと言われています」と答え、その時から自身が被爆二世であることを強く意識するようになりました。このことをきっかけに、放射線の公開講座を受けたり、同じ被爆二世と交流する中で、私たちは原爆の恐ろしさを再確認し、このような悲劇を二度と起こしてはいけない、との思いを強くしていきます。

 

その後、無事に退院して現在は、元気に仕事復帰している、沖西からのメッセージです。

 

「広島在住で長崎の被爆2世である私は、今年、3度目の甲状腺の手術を受けました。主治医には、母が受けた被爆の影響が原因であろうと言われました。被爆地の広島と長崎にしかわからない痛み。被爆者に生涯続く辛さや苦しみ、悲しみ。それは、「静かに」2世に引き継がれます。被爆2世に生まれたが故に、命の大切さ、平和の有り難さについて深く考える機会を与えられたことに感謝しています。だからこそ、70年前の事実を伝えていくことが使命だと考えています。今回のプロジェクトは、「原爆資料館で被爆の実相を知り、追悼祈念館で犠牲者の慰霊と追悼をするように、映画で実相を知り、コンサートを通して追悼と平和祈念の想いを深めていただきたい」との思いから企画しました。

 

映画「妻の貌」は、原爆症(甲状腺癌)を患う妻を半世紀以上も撮影し続けた広島の被爆者のドキュメンタリーです。

被爆者の平均年齢が80歳を超え、三たび同じ過ちを繰り返さないためにも、体験の継承が課題となっています。被爆70年の節目にこそ、痛みを分かり合える広島と長崎で、この映画を観て戦争の悲惨さや原爆の恐ろしさを再認識し、被爆体験を語り継ぐ大切さを感じていただきたいと願っています。

私は演奏家ですから、時代の特色を色濃く映す音楽を通して、戦時中の雰囲気を感じていただき、その上で、平和への祈りを込めた曲を演奏します。広島と長崎で、一人でも多くの方とともに感じ、考える時間を共有できると幸いです。」

 

(デュオで演奏中)

 

 

被爆問題を広めるために精力的に活動していたある日、私たちに奇跡的な出会いが訪れたのです。

 

長期に渡る被爆者の苦しみや悲しみ、原爆の恐ろしさを伝えなければならないと感じるようになった沖西は、現在は広島市の被爆体験伝承者になる研修を受けています。昨年夏の長崎での原爆犠牲者追悼演奏以降は、長崎市役所二胡愛好会と交流演奏を始め、秋には、広島で同会と交流コンサートを行いました。その様子は、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の智多館長様のブログでも紹介されています。

※国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館  館長ブログ

http://www.peace-nagasaki.go.jp/blog/index.php?id=21 

 

(ヴィオラを弾く沖西。先日、テレビで被爆体験伝承活動について紹介されました。)

 

そのような中で、ある日の新聞で、同じ甲状腺の病気を持つ被爆者のドキュメンタリー映画があることを知ります。それが、川本昭人監督の「妻の貌(かお)」です。私たちは新聞記事を切り取り、いつか見たいと上映の機会を待っていました。しばらく経って、知り合いからコンサートの撮影をさせて欲しい人がいると紹介されました。その人が川本昭人監督でした。私達は、そんな奇跡的な出逢いを経て、映像作家の川本昭人氏とご縁をいただき、コンサートの撮影をしていただくことになりました。

 

自らの妻の被爆を題材とした、川本監督のドキュメンタリー「妻の貌」

 

川本監督は、昨年の長崎でのコンサートにも同行してくださいました。川本監督の代表作は、広島の被爆者である奥様の原爆症について50年以上に渡って撮影したドキュメンタリー映画「妻の貌(かお)」です。(http://www.tumanokao.com/index.html

1927年生まれの川本監督は、今年の6月に米寿を迎えられます。川本監督は、ガルボの演奏について、「技量・表現力は素晴らしいものを御持ちで、かねてよりファンですし、尊敬いたしております」とお手紙で評してくださいました。そこで、川本監督が米寿を迎えられる6月21日に広島市南区民文化センターにて広島の上映会とコンサート、8月9日に国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館で、上映会とコンサートの開催を決めました。コンサートは、私達ガルボが原爆犠牲者追悼演奏と当時の音楽や平和を願う曲をプログラムとして行います。また長崎では、音楽を通じて地元演奏者と平和を祈念する交流コンサートも行います。

 

(川本監督。子供の頃に8年間の闘病生活を送った経験があるそうです。今年の6月で米寿です。)

 

奇跡的な出会いに、運命的な2015年というタイミング。

今やらずして、いつやるんだ!

 

2015年は、被爆70年、広島と長崎の姉妹都市提携50周年、川本監督の米寿、そして、ガルボ結成10周年、と節目が重なる年です。更に今年は、映画の主演である原爆症だった川本監督の奥様の三回忌でもあります。この大きな節目に2つの被爆地 広島と長崎で、川本監督の作品を上映することは、何かに導かれたとしか思えないのです。原爆の恐ろしさ、被爆者の苦しみ、家族の辛さを多くの方々に知っていただきたいです。

 

(運命の「2015」年。その意味の重さを感じています。)

 

 

しかし、交通費や宿泊費、会場費等がどうしても工面できません。

 

長崎公演の交通費、宿泊費などと広島公演の会場費などの合計69万円が足りません。長崎公演(川本監督、ガルボ、スタッフ4名)の交通費(楽器運搬費も含む)250,000円、3日間の宿泊費315,000円、会場費や諸経費(広島公演も含む)125,000円の合計690,000円が必要です。

 

(川本監督の作品、「妻の肖像」)

 

 

被爆や戦争体験の風化が危ぶまれる昨今、多くの方々にこの映画を観ていただき、私たちの音楽を聴いて欲しいです。


被爆や戦争体験の風化が危ぶまれる今、長期に渡り一人の被爆者の生活を撮り続けた川本監督の作品は、歴史的にも貴重なドキュメンタリー映画です。お子様から年配の方まで、多くの方々にご覧いただき、今ある平和の大切さ、命の尊さなどを感じ取っていただきたいと思います。戦争や原爆の悲惨さ、被爆者の悲しみが忘れられると、過ちを繰り返してしまうことにもなりかねません。

 

被爆者の身体を一生蝕む原爆の被害と人の人生を一変させてしまう核や戦争の恐ろしさを映画を通じて知っていただきたいです。平和とは、人間同士が信頼しあい仲良く暮らせること。家族で季節を迎える行事を祝ったり、好きな物を食べ、好きな音楽を聴き、好きな時に友人と会える…そんな日常が続くこと。

上映会と平和祈念コンサートによって、戦争の悲惨さや原爆の恐ろしさを再認識していただき、今の平和が続くように祈念する想いになっていただけると幸いです。戦争、原爆を知らない世代の方々に参加していただき、広島と長崎の過去についてもっと知りたいと思うきっかけとなれば嬉しいです。

 

(長崎市平和公園 平和の泉)

 

どうか、この取り組みを応援していただけませんでしょうか。

よろしくお願い致します。

 

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〜川本監督の主な作品のご紹介〜

・「蝶々先生」(1969年) 東京国際アマチュア映画コンクール受賞

・「私のなかのヒロシマ」(1973年) 東京国際アマチュア映画コンクール受賞。また、NHK教育テレビ及び西ドイツ国営テレビでも放映。

・「おばあちゃん頑張る」(1974年) 東京国際アマチュア映画コンクール受賞

・「妻の貌」(2001年) 神奈川映像コンクール グランプリ(短編)  山形国際ドキュメンタリー映画祭2001招待
・『妻の貌』(2008年)  劇場公開ニューバージョンを完成する

・『妻の貌』挿入短編作品
「一粒の籾」(1964年)、「私のなかのヒロシマ」(1973年)、「おばあちゃん頑張る」(1974年)、「きのう今日あす」(1979年)、「お嫁さん頑張る」(1984年)、「絆」(1985年)、「ヒロシマに生きる」(2002年)

・平成8年、広島文化賞 受賞

 

〜映画「妻の貌」あらすじのご紹介〜

 

この映画は、映像作家 川本昭人氏の渾身の作品です。

1958年の長男誕生を機に、8ミリカメラを手にし家族の記録を取り続けました。そして、広島に落とされた原爆による被爆者である妻のキヨ子さんが、1968年に原爆症を発症。「妻の貌」の製作が始まりました。

この映画は、キヨ子さんの目を通して家族の日常、すなわち歴史が淡々と語られます。

 

長男の成長、結婚、孫の誕生 。次男の成長、結婚、孫の誕生。その間に起こる出来事。キヨ子さんの喜び、悲しみ、原爆症による倦怠感、甲状腺がんとの闘い。すべてが静かに、何一つ嘘もなく語られます。川本昭人氏には、98歳で亡くなる母が居ました。その母は10年を超える寝たきり生活を余儀なくされました。元気だった頃、気丈で芯の通った明治の女性だった母をキヨ子さんは、酸素吸入を必要とするほど病弱な身を奮い立たせながら、優しく介護しました。

 

この映画の中には、声高な反戦は聞こえて来ません。しかし、妻キヨ子さんが奪われたもの、若くしてむかえた被爆者である弟の死への悲しみ、舞踏家として活躍するものの、被爆で火傷を負わされ、やはり病に苦しむ姉への思い。そして何よりも健康を損なわれてしまった自分自身への苛立ち等によって、戦争の引き起こす悲惨な現実をはっきりと見せています。映画の冒頭、孫娘の絵が入選して展示されている広島平和記念資料館 に訪れ、笑顔を見せるキヨ子さん。そして、映画の最後では、広島赤十字 原爆病院での診察を受け、1日も早く元気になりたい  と涙を流すキヨ子さん。静かな家族の日常と戦争の傷跡がこの映画の底にながれています。

 

【推薦文】

新藤兼人(映画監督)
これはまさに、人間とは何であるか、と問いかける人間の記録である。

 

佐藤忠男(映画評論家)
家族に捧げる愛の賛歌として映画史に残る作品だと思います。

 

【川本昭人監督インタビュー】

ー「妻の貌」は初の長編だそうですねーー
旧知の新藤兼人監督の勧めもあり挑戦しました。
撮り終えてから編集に3ヶ月。過去の作品からの映像も含めた1時間54分の作品です。被爆から約半世紀、日常生活もままならない病人である妻が、私の母を13年間在宅介護して看取り、その一方で孫が誕生するといったことから、人の人生、生命の意味を考えました。
孫を見てると、そこに私の父がいるんです。そんな尊いいのちの継承を断ち切ってしまう原爆や戦争とは何か…。若い人にもぜひ、見てもらいたい。人生経験によって、受け止め方はそれぞれでしょうが、それでいいと思っています。

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