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支援総額

12,910,000

目標金額 5,000,000円

支援者
709人
募集終了日
2023年3月16日

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2023年02月12日 19:29

「ポリオ根絶」巻きもどすフィルム

1949年、まだ戦争の傷跡が残る青森県八戸市でポリオの集団感染がおこります。ポリオに感染した子どもを連れた母親が、花田ミキさんが看護婦長を務める八戸赤十字病院に駆け込んできました。

 

その時の様子を花田ミキさんが自身の著書「巻きもどすフィルム」に書きのこしています。

 

昨日、青森県八戸市で開催されたポリオ撲滅を推し進めているロータリークラブ様のインターシティーミーティング(IM)の懇親会でお時間をいただき、映画のお話をさせていただきました。改めてここに八戸市でのポリオの集団感染についての記録を残します。

 

写真はイメージです。

 

--

 

〇八戸をおそった伝染病


憂いの影がただよう写真を添えて、東京から年賀状を送ってくるのはM子さん。結婚写真、次いで元気そうな坊やの写真を送ってくれたY子さん。Y子さんの坊やを沐浴させるときには、夫婦二人とも身体が不自由なので、苦心する、こんなときおばあちゃんがいてほしいと思うと手紙が添えられていた。

 

二人とも、昭和二十三年、四年に、三八地方で百八十七人も発症した小児まひ(ポリオ)の患者であった。二人はそのころ一才だったから、発病のころのことは本人はわからない。発病して、八戸赤十字病院に入院し、そして退院後は、県の医療機関に入院したり、東京の病院に転院して手術をくり返したはずである。

 

写真には松葉杖がうつっていた。

 

二人からのたよりがあるたびに、私の胸は痛む。そして昭和二十三、四年のポリオの大発生のころを思い出す。


終戦の年には、八戸市中には、発疹チフスが多発した。当時、八戸赤十字病院の婦長をしていた私は、防疫活動の協力を求められ、八戸日赤の看護婦の生徒を家庭訪問の応援に出した。公衆浴場にDDTを撒く作業もさせた。このとき二人の生徒が、発疹チフスにかかったが、幸いにも治癒した。終戦後の食料不足と混乱のなかで、八戸の人たちも元気がなかった。

 

そんなときに、三八地方を中心に、爆発的に流行したのが小児まひであった。

 

〇外国ナースの支援
 

次々と半狂乱の熊で、手足が麻痺した乳幼児をいだいた母親たちが病院にかけ込んできた。

 

小児まひの患者は、小泉先生という温厚な青年医が担当していた。その小泉先生が、「小児まひの患者は、急性期をのりこえても、そのあとにのこる筋肉のまひは、生涯にわたって変形をのこすおそろしいものだ。しかし、わが県には、小児まひの予防も、治療も、後遺症に対する手当も、残念ながらない。婦長、何とかして占領軍のナースから、手当の方法を聞いてきてくれないだろうか」と言った。

 

もちろん、佐藤院長の許可を得て上京して、日本赤十字社の本社を訪ねた。この当時本社の看護課長は、林塩女史であった。

 

日赤の看護顧問としては、国際赤十字社から、オルソン女史が派遣されていて、全国の日赤看護婦の教育担当指導者の研修や、各支部病院を巡回指導をしたりしていた。

 

早速、林看護課長に私は、八戸の小児まひ患者の現状を訴えて、ぜひ外国の有効な看護法を教えてほしいと願った。

 

林看護課長はオルソン女史の援助を得て、すぐくに、当時の進駐軍指令部公衆福祉局看護課長オルト大尉(ナース)に支援を求めた結果、一冊の参考資料を貸してもらった。ところが、八戸にそれを持ち帰ることは許されなかったので、日赤本社では、急遽、東大の学生をアルバイトに雇い、その資料を三日間で日本語にほん訳させた。私はその資料を手にし、急いで八戸に帰った。

 

〇つづけたケニー療法

 

進駐軍の支援で入手した資料は、ケニー療法であった。オーストラリアのナースのケニーが試み、成果を上げ、次いで彼女はアメリカにわたってひろめた療法であった。

 

ケニー療法とは、大量のお湯をわかし、そのあとマッサージをして筋肉を刺戴する方法であった、温浴も用いられた。

 

当時の八戸には上下水道はなく、病院にも水道はなかった。また風呂もない病院で、お湯を沸かすのも一苦労であった。

 

戦後の衣料も乏しかったころなので、温罨法するための布がなかった。また風呂もない病院で、お湯を沸かすのも一苦労であった。

 

戦後の衣料も乏しかったころなので、温罨法するための布がなかった。患児の母親たちの協力を得て、たんすの底から貴重品のウールの都腰巻をもってきてもらい、それを切って四角い罨法布をたくさんつくった。

 

病棟の看護の責任をもっていた赤沢婦長は、小児まひ看護チームをつくり私も力を合わせて、毎日ケニー療法をつづけた。

 

当時の東奥日報に乞われて私は看護法を書いているが、そのころの手当を知ることができる。 

 

小児マヒ家庭看護(東奥日報社調査部資料から転載)

 

今春来県下をおそった小児マヒもようやく終りましたが、患者の状態も慢性期に入り、いたいけな姿で足をひく子供が目につきます。この病気は経過が長いから家庭での看護はあくまで医師の指示に従うことです。処置を行うに当って二、三看護上の心得をのべてみます。 

 

▷ 急性期の疼痛、けいれんに対して温罨法を行うときは洗面器にお湯をたぎらせ、固くしぼってから皮膚にあてる。火傷の予防として油(椿油、菜種油でもよい)を薄く塗って行う。 湿布しぼりには厚地の木綿ものがよく、皮膚に当てる内側は羊毛のもの(毛糸の古い腹巻や セーターを利用する)その上を防水布(油紙、加工ゴム、セロファンなど)で被い、外側は内側と同じ布あるいはフランネル、木綿、毛布などを安全ピンで止める。関節は被わぬようにして、湿布の時間や位置は医師の指示に従い、湿布後は皮膚の水気を十分拭きとり乾いた布で保温しておく。

 

▷ 急性期にはちょっとした不注意で奇形を招くことがありますから掛けものには十分注意して、直接布団の重みが患部にかからぬようにし、患部はいじり回さぬこと。手足をもち上げるときには常に温いように気をつけ、筋肉はつかまず関節を持ち上げる。無暗と抱いたり、おぶったりすると回復期がおくれることが多いから許可なく這わせたり、歩かせたりすることは危険です。
患者は二才から四才までの幼児が多く、むずかったりして黙って寝ていませんが、絶対安静時には布団の上にヒモをつり、玩具類をつり下げたり、絵をはったりして慰める工夫が必要です。

 

▷ 皮膚の清潔には十分注意し、湿疹、あせものようなものから思わぬ余病を起しますから全身を一日一回お湯で拭き、あとを乾いたタオルで拭いて乾かす。

 

▷ 副木からよく床ずれが出来ますから絶えず皮膚に気をつけ、赤くなっていたら医師に知ら せて手当を受けて下さい。

 

▷ 運動練習が許可されて家庭でやらせる場合は童謡や手拍子で拍子をとり、自動運動をさせると幼児は興味を持ちます。

 

▷ 水分は十分与えます。離乳期にある幼児は母乳のみにたよらず、おかゆ、みそ汁、卵や果物を次第に与えて栄養が片寄らないようにする。聞きわけのない幼児であり、安静にしないし、泣くため親はすぐ抱いたり、おぶったりするので、折角の副木も使っていないようですが、幼児の将来を考え、心を鬼にして看護しないととり返しのつかない不具者をつくることがありますから、家庭看護は心を一つにして気長にやらなければなりません。
(昭24・9・30東奥日報)


〇すすむまひ


多くの患児たちのなかには、軽快するこどももあって、私たちを喜ばせた。


このときに、大きなはげましになったのは、当時、慈恵医大の片山整形外科から八戸に出かけて疫学調査をしていた医局員の医師たちであった。八戸日赤病院では、この医師たちに診察をたのんだり、集団検診をしたりした。また、病院の看護婦や、八戸地方の保健婦の研修会の講師になってもらい、小児まひの後遺症を防ぐための学習会をひらいたりした。


その当時、整形外科という名称は県内では耳新しいものであった。勿論、リハビリテーションや理学療法ということばも聞かれなかった。

 

患児の父母たちや、関係者の必死の努力にもかかわらず、筋肉のまひがすすみ、恢復せず、次第に骨の変形にまで及ぶこどもが出てきた。

 

相手がいたいけなこどもたちであったから、私は胸がかきむしられるような思いがした。M子さんもY子さんもまひがすすんだグループのこどもたちであった。

 

〇手を結んだ保健婦と看護婦

 

当時、疫学調査に来入していた慈恵医大正田元医師の談話が、保健タイムス(一九五〇年十月二十三日)にのった。

 

「気象学的にも青森県八戸は湿度が例年になく高く、小中野町は三角州地帯の低位に位し、 湿潤し、また飲料水は全市井戸に求めているが、その水深が浅く、且つ水質も悪く、井戸を共同で使用している。また衛生状態も一般に不良だ。」

 

国や県の指導は、次のようなことであった。

 

「過労を避けること、手を清潔にすること、ハエを駆除すること、また患児を少くとも発病後一、二ヵ月間は他の子供と遊ばせないこと、患児の糞便は消毒すること。手足に疼痛を訴えるような時期には、腰椎穿刺を行って脊髄液圧をさげ、かつアセチールヒヨリン、ビタミB1を腔内に注入する早期治療が麻痺の軽治あるいは全治をのぞむ治療法である。」

 

そのころの八戸保健所(所長天野正也氏)では、婦長三浦ミヨシ氏を先頭に、小児まひの多発地帯の小中野町を中心に、戸別訪問を行って患児の早期発見と啓発に努めていた。小児まひの予防活動と看護活動を通して、情報を交換したり、また連けいしたり、私は三浦婦長と親交をつづけることになる。

 

〇八戸小児まひ父母の会

 

慢性のまひのために、父母たちのあせりも強く、医療に見切りをつけ、おまじないや、ご祈禱に走る人もあり、財産をつかいつくし、ついに離婚したという事例もあった。

 

その後も小児まひの暴威はおさまらず、乳幼児をもつ親たちを恐怖のどん底におとし入れた。昭和二十三年、二十四年につづいて、昭和三十一年には再びのピーク、昭和三十三年、三十四年には、みたびのピークを迎えた。

 

昭和三十四年には、全国で三千人近い小児まひ患者が出て、はじめて指定伝染病となった。このころ、外国では、ソークワクチンが用いられて、成果をあげていた。

 

発病してからの対策に奔走しても限界があることを理解するにつけ、予防する方法をひたすら待ち望んでいたのは、父母はじめ当時の関係者たちであった。

 

これより先、小児まひにかかったら、後遺症を覚悟し、生涯の対策をたてなければならないことを、慈恵医大の医師たちからアドバイスをうけた八戸の父母たちは、昭和二十五年の五月十三日、八戸赤十字病院で小児まひ八戸父母の会を組織した。この組織が生れるときも、できるだけ、世間に知られたくないグループと、子どもの将来を考えて、社会に訴えてゆかねばならないと考えるグループの意見がくいちがったが、ようやく結成にこぎつけて、役員をえらび事業計画をつくった。この組織の誕生に力をかした私としても、多くの患児たちのために心から会の門出を喜んだ。

 

最初の会長は高橋さん、副会長は高谷さんであったと記憶している。

 

早速とりかかったのは、八戸に肢体不自由児施設を設けるための運動であった。

 

当時の夏堀八戸市長に陳情し、市長を先頭に、八戸小児まひ父母の会会員たちが、どんな障害をのりこえても施設を誘致しょうとの熱意にもえて、県知事に陳情をつづけた。そのころ私は、八戸日赤病院をやめて県庁に勤務していたが、ときどき八戸に帰っては、高橋会長と打ち 合わせをしたりはげましたりした。

 

この陳情活動がみのって、八戸小児まひ父母の会が発足してから十年後の昭和三十六年に、 青森市に県立あすなろ学園、次いで翌年、八戸市に県立はまなす学園がつくられた。

 

〇根絶への礎石

 

昭和三十四年には、全国にさきがけて本県に小児マヒワクチン三万人分がソ連から贈与され、早速投与された。

 

それは、八戸市の医師故岩渕謙一先生の捨身の努力によるものであった。先生は、過労のため昭和三十四年末になくなっている。尊い犠牲であった。この経過は、「ここに人ありき!岩渕謙一 - 船水清著、昭和48年陸奥新報社」にくわしい。この本から、青森県議会から、故岩渕先生に贈られた感謝状を紹介したい。

 

故岩渕謙一先生

本年一月以来本県においては、小児マヒ患者が続発し、実に一三四名の大量発生をみるに至ったものである。県においても伝染病予防法を発動するなど、 防疫対策に万全を期した次第である。

 

しかしながら当時国内においては小児マヒワクチンの手持ちが全くなく、約二万人の乳幼 児が伝染の危険にさらされていたものである。

 

かかる状態を憂慮して、八戸市医師故岩渕謙一氏が中心となり、新日本医師協会の協力を得て、ソ連大使館に小児マヒワクチンの要請に努めた結果、去る十二月六日にワクチン三万人人分、約六〇、〇〇〇ccが本県に贈与せられ、これが小児の予防衛生に大きく貢献されたものである。

 

ついてはこれら運動に協力した方々はもちろんのこと、贈与せられたソビエート医学アカデミーに対し、深く感謝する。よって本県議会は満場一致の決議をもって感謝の意を表するものである。

 

右決議する。

 

昭和三十四年十二月二十二日
青森県議会

 

昭和三十五年、昭和三十六年と、全国的に猛威をふるった小児まひの嵐のなかで、ついに母親たちが厚生省に坐りこむ事態までひきおこされた。当時の厚生大臣古井喜実氏の決断によって閣議にもかけず、世界各国からの支援を得て、昭和三十六年、全国一斉に生ポリオワクチンが投与されることとなった。この経緯は、「根絶。昭和42年上田哲著、現代ジャーナリズム出版会」にくわしい。

 

〇死に打ちかつために

 

この表をつくるために、県の担当に電話して、ポリオの発生状況を聞いたときに「ポリオって何ですか?」という返事が返ったとき、「無事平穏でよかった!」と思った。皮肉ではなく、いまわしい病気など地球上から消えて人が忘れるほどうれしいことはないからである。


県内には昭和三十八年に一名のポリオが発生したが、その後ゼロの年がつづいている。根絶!まさに根絶なのである。

 

本県だけではない、日本全国根絶なのである。ポリオにかかって肢体不自由児になるこどもがいない喜び。その半面、たったわずかのちがいで、ワクチンの恩恵にあづかれず、永く後遺症をもたなければならなかった多くの人たちに思いが及ぶ。

 

M子さんにもY子さんにも......。

 

根絶にいたる過程で、罹患、挫折した多くの子どもたち。素晴らしい現在をきづくための捨て石だったとは思いたくない。何百名という量で示されている数字は、それぞれの個の人生の集積なのである。

 

 

個の人生に、適切な福祉や医療の手が差しのべられているだろうか。


からだが変形した子どもたちを、親たちはふるさとに住まわせなかった。周囲の冷たい目を考えて遠方に出した。

 

全身に変形をもつが故に、多くのハンディに耐えているだろう人たちのそのころの幼な顔が浮んできて仕方がない。

 

ポリオは根絶したが、つぎつぎとチャレンジしなければならない新しい標的があらわれている。たとえば脳性小児マヒ、スモン、脳卒中、老人性痴呆、さてはエイズ・・・・。

 

「ヒューマニティなくして科学は死に打かてない」

 

スイスレマン湖のほとり、ジュネーブにあるWHOの一室に、ヴァチカン王国から贈られた壁画が飾られていた。それに添えられていたこのことばを思い出しながら、人のいのちにかかわる職能の人たちの奮闘を願うことしきりである。

 

(昭60・9・21)

 

巻きもどすフィルム 127-139p
 

リターン

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2024年6月

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