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乳がん、がん手術前,後撮影〈いまのあなた〉を美しく残します

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支援総額

288,000

目標金額 370,000円

支援者
42人
募集終了日
2023年11月30日

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2023年10月27日 23:43

一生懸命をやめた

私もですが、乳がんです。と診断された瞬間に真っ白になりました。まず何をしたらいいの?

毎晩不安でネットを見て色々調べてしまう。本当かどうかもわからない情報に惑わされてはいけないと思いながら何か希望を見つけたいと辞められませんでした。そして今、私のやっているこの活動もネットに乘って流れているのことになります。インタビューの中の医療的な情報はあくまで、その人個々で選んだ選択肢です。 

 

0期でも全摘するのか部分にするのか...

同時再建するのかしないのか...

 

お医者さんは最後には本人の意思を尊重されるのだと思います。

インタビューはなるべく乳がんになったその時の気持ちの揺れや覚悟した向き合い方をお聞きしています。

 

さて3人目の方のお話です。Kさんは乳腺科の放射線技師でした...

 

 

いまのわたしものがたり

Vol.03 乳がんを体験Kさんの場合

 

乳がんになった彼女は、どのような気持ちになって、どのような決断をしたのか?乳がんと乳房再建を体験したKさんの物語です。

 

失うなら、きれいに失いたい。

 

きれいに再建してくれた先生に胸の写真を見せたい。

 

今日の撮影はとても楽しかったです。プロがどのように準備をして撮影しているのかわかったし、自分が雑誌のモデルになったような気分も味わえました。わたしはレントゲン技師で、普段は患者さんが痛みを訴えていらっしゃる部分の写真を撮らせていただいています。そのためなのか、カメラマンの中山さんの指示を受けてポーズをとることに違和感がありませんでした。カラダもスムーズに動けたように思います。

 

〈いまをのこすプロジェクト〉は、中山さんの主治医でもある「きむらクリニック」に貼ってあったポスターで知りました。わたしはクリニックのオープニングスタッフで、今も月に数回勤務しています。ポスターを目にしたとき「わたしもこういう撮影をしてほしい」と感じ、木村先生に聞いてみたら「大丈夫やと思うよ」と背中を押してもらえました。胸のヌードの写真を撮影するのに勇気が必要だったのでは? と問われたのですが、再建している乳房は自分のものではないような感覚もあります。それに、この胸は担当してくれた先生がとてもこだわってきれいに再建してくれたもの。〈美しく撮ってもらった写真を先生に見てほしい〉。そんな気持ちで、カメラの前に立ちました。

 

医療者と患者、2つの頭がわたしのなかにあった。

 

乳がんが見つかったきっかけは検診です。きむらクリニックで勤務しているとき、たまたま次の診察までぽっかりと空いた時間ができたのです。一年半ほど乳がんの検診をしていなかったし、〈ちょっとやってもらおう〉という軽いノリで先生にエコー検査をお願いしました。

そうしたら、「前になかったものが写っているよ」と……。その画像を見た瞬間に先生もわたしも悪いものだとわかったので、「はぁ〜」とふたりでため息をつきました。そのまま針生検をして、診察がはじまったら止血のための胸帯を巻きながら患者さんのマンモグラフィを撮影していました。

 

わたしはレントゲン技師で、乳がん患者。治療中のわたしのなかには医療者と患者の2つの頭があって、考えが行ったり来たりしていました。医療者の頭で考えていたほうが自分自身はラクです。客観的に考えられて、落ち着いていられるから。だから、手術やその後の治療では医療者の頭でいようとしていました。ただ、針生検のときはそこまで考えられず、患者である自分の状況もだんだんわかってきます。「このあと病院へ行って、あの検査もして」と冷静に考えていたら、乳がんが自分ごととしてズンと落ちてきた。感情が〈わーっ〉と込み上げて、涙がでてきたのを覚えています。

 

エコー検査で乳がんが見つかったのは右の部位。わたし自身がレントゲン技師だったため自身できむらクリニックでマンモグラフィは撮影できないので他院で検査すると、左側に非浸潤性乳が見つかります。右側がステージ1で左側がステージ0。「部分切除で乳房を温存することもできるけど、どうする?」と先生から問われると、迷わず「全摘したい」と答えました。放射線治療をしても再発するとまた切らないといけません。それに、〈失うなら、きれいに失いたい〉と思ったんです。

 

 

「死ぬかも」という心理があったのかも―。

 

手術までの期間、子どもと遊べるだけ遊ぼうと思って。

 

検査で乳がんが見つかってからは一週間に2〜3回ほど病院へ通い、早くにひと通りの検査を終えました。ちょうど夏だったので子どもの夏休み中に手術を終えられると想定していたら、運悪く担当の先生の夏休みとかぶってしまって手術できるのが一ヶ月後になりました。さっさと手術を終わらせたかったのに、一ヶ月まるまる無の状態ができてしまって。ただ待たされている期間は、わたしにとって地獄でした。だから、とにかく出かけました。ご飯を食べにいったり、琵琶湖博物館にいったり、子どもといっしょに遊べるだけ遊んでいたいと思って精力的に動いていた。今から振り返ると、「死ぬかもしれない」という心理があったのかもしれません。

 

手術では、2週間ほどの入院が必要です。主婦として、子どもの世話や食事の準備など〈家のこと〉も悩みました。追い打ちをかけるように家事をお願いする予定だったわたしの母親が圧迫骨折して、頼る先も失ってしまいます。

 

家族を除くと、病気を知っているのは仲のいい数人だけ。誰の手も借りられない状態に陥って、困り果てました。そんなとき、手を差し伸べてくれる友人が登場します。彼女の同僚にも乳がんになった人がいて、大変さがわかっていたそうです。入院中に数回、おかずを差し入れてくれるなど、いろいろ助けてもらいました。気持ちの面でも救われて、とても感謝しています。

 

 

子どもの理解が早かったのは、乳がんという言葉を知っていたから。

 

乳がんのことは、すぐに家族へ連絡。検査直後に電話したら、夫はおどろいて声を失っていました。子どもにも、そのまま伝えています。わたしの母親も乳がんを経験していて、昔だったからリンパなど全部をえぐりとる手術を受けています。小さいころからおばあちゃんとお風呂に入っていた娘は母の胸を見ているし、乳がんという言葉も知っていました。それに、『はたらく細胞』という漫画が好きで、その物語のなかにも乳がんがでてくるから理解が早かった。「自分もいずれそうなるかもしれない。検査しなくちゃ」なんていっていましたから。母もわたしも乳がんになったので、遺伝性を疑って念のため検査をしています。〈遺伝ではない〉という結果がでて、安心できました。

 

ただ、母親が病気になった影響からか、子どもは少しナーバスになっていました。習い事や学校の先生から、呼び出しがかかったこともありましたから。そのときは、事情を説明して寄り添っていただきました。でも、わたし自身は特別なことをしていません。普段と変わりなく子どもと接していたし、子どもは子どもで順応していたと思います。わたしが入院している期間は、うどんを電子レンジでチンして食べるなど、実験するみたいにいろいろ試して楽しんでいたようです。

 

全摘を選択したときから乳房再建を決めていた。

 

乳がんの術式は、皮下乳腺全摘術です。乳房の皮膚を残して乳腺をすべて切除する方法で、あんこもちのあんこだけをくり抜くのをイメージしてもらうとわかりやすいかもしれません。くり抜いた部分には乳房を再建するための組織拡張器であるティッシュ・エキスパンダーを留置。エキスパンダーは生理食塩水を入れることができ、手術後から数ヶ月かけて水を注入し乳房を膨らませていきます。ちなみに、この生理食塩水の量は手術で取り出した乳腺と同じグラム数。元の胸より大きくしたり、小さくしたりはできません。

 

乳房の再建は、乳がんが発覚して胸の全摘を選択したときから決めていました。今の時代は乳がん術後用の下着が豊富で、胸がなくても外見的に困りません。でも、子どもいっしょに温泉やプールに行くときに気にしちゃうかなと思ったし、わたしはファッションも大好き。胸があったほうが着こなせる洋服もあるので、再建に踏み切りました。

 

 

一生懸命をやめた。

 

かかった手術時間は、合計9時間!

 

乳腺摘出とエキスパンダーを挿入する手術は2022年の93日に実施し、手術時間は合計9時間でした。わたしの乳がんはステージは01だといわれていたのですが、術後の病理検査で右側がステージ2Aだったと判明。思いの外、浸潤していたので乳腺をくり抜くのに時間がかかったそうです。

 

わたし自身は全身麻酔をしているので、寝て起きたら9時間経っていたという感じです。とはいえ、目覚めてからすぐには起き上がれません。酸素吸入のための機器につながっているから息が〈はぁはぁ〉とあがるし、腰も痛い。「痛い痛い」と文句をいいながら、ずっと痛み止めを飲んでいました。それに、ずっと寝ているのも耐えられなくて。看護師さんから「がまんして」といわれていたのに、早々に器具を外してもらい起き上がっていました。

 

 

肩のチカラを抜くと暮らしが楽しい。

 

202374日、乳房の二期再建にあたる手術を行ってセットしてあるエキスパンダーをシリコンインプラントに入れ換えます。投薬や定期検診など治療はつづきますが、手術という大きなイベントはこれで終了。一段落つきます。

 

乳がんは、わたしのカラダや気持ちに変化を与えました。大きな変化は、〈一生懸命をやめた〉こと。実は職場復帰したとき、とても居づらかったんです。レントゲン撮影は、患者さんに寝台へと移動いただいて撮影します。肩の筋力が落ちてしまった手術後は、患者さんといっしょに自分もこけてしまいそうになったりして、移動を手伝えないこともありました。同僚たちは「助けるから」と配慮してくれましたが、サポートが必要なときに周囲に人がいない場合も多くて……。結局、常勤していた病院は退職しました。現在は、きむらクリニックなどでアルバイト勤務しています。

 

乳がんに罹患する前のわたしは、仕事も、遊びも、がむしゃらにするタイプでした。〈できないなら、しない〉。これが、今のわたしのスタンスです。職場でも、できないことは職場のスタッフのみなさんにお願いしてやってもらっています。

 

そうやって、肩のチカラを抜いて生きていけるようになったら、暮らしがもっと楽しめるようになりました。わたしはハンドメイドが好きで、レジン(樹脂)でアクセサリーをつくっています。今は、同じ趣味をもつ友人の看護師といっしょに「将来、お店がもてたらいいね!」なんて話しているんです。

 

経験者として、また医療従事者として、乳がんを罹患した方にアドバイスをするとしたら、「インターネットだけは見るな」といいたい。病気になると心配だから、みなさんむちゃくちゃ調べます。でも、ネットの情報は不安を煽るものも多い。不安があれば先生に訊く、判断に迷ったら専門家にまかせる。それが一番だと、わたしは思います。

 

リターン

1,000+システム利用料


[応援コースA]感謝のメール

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感謝のメールをお送りいたします。
ご支援金は、Readyfor利用手数料を除いて、撮影費用として活用させていただきます。

支援者
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在庫数
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発送完了予定月
2024年12月

3,000+システム利用料


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発送完了予定月
2024年12月

5,000+システム利用料


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支援者
32人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年12月

50,000+システム利用料


[企業様向け/スポンサーコース] 5万円・企業名掲載

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●寄付金領収書
●webサイトへ企業名掲載

*1支援につき220円(税込)のシステム料金がかかります

支援者
2人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
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