【扇子職人・中西潤吉が斬る】

 

京都市東山区に鎮座する豊国神社。神社のほど近くに「なかにしや京扇」はあります。中西潤吉さんはその3代目。竹や和紙でできた繊細な扇子は、使う過程で壊れてしまうこともしばしばで使い捨てられることも多いのですが、「なかにしや京扇」はそんな痛んだ扇子を直してくれるという、とても珍しいお店です。

 

コラーニデザインの京扇子「かはほりあふぎ」は、壊れても仕立て直せる扇子。江戸時代に存在したビジネスコンセプトを、私たちが中西さんと一緒に現代によみがえらせました。窮地に立たされている国産扇子の継続を願って…。

 

私は、扇子職人である中西さんの工房にお邪魔しました。訪問は2度目です。「おはようございます!」と戸を開けると、奥から出てきた中西さんが「どうも」とぽつりと一言。このようにご紹介すると、一般的な職人さんのイメージを地でいくような方だとお思いになられるかもしれませんが、実はそうではないことを私はよく知っています。中西さんのような視点の職人さんは世の中には圧倒的に少なく、稀有な存在であると私は確信しています。

 

工房の中央には中西さんの作業机があり、その周辺には沢山の扇子作りのための道具が配置されています。おそらく座して作業をする中で、大きな動作をしなくとも無駄なくモノや道具に手が届くように然るべき場所にそれらは位置しているのでしょう。作業机の左手奥の本棚に余地なくぎっしりと並べられた沢山の日本文化に関する書籍は、この工房の主人の飽くなき日本文化への知識欲を満たしてきたのでしょうか。

 

私は、右手の壁の棚にぎっしり並べられている大きな板に目がいきました。中西さんに「あれは何ですか?」と質問しました。そのあと、中西さんは堰を切ったように饒舌に語り始めます。

 

 

「これは写真版ですわ。こんなことを言うのはあれですけど、古いローテクの伝統の手仕事はもう崩壊の道しかないな、と思うわけですよ。もう要らんわけですよ。インクジェットでええわけですよ。」

 

突然始まったネガティブ発言!しかし、何十年と絶えず挑戦し、もがかれたが故にお感じになられたことなのだと、私は重く受け止めます。その中西さんは声を高くしてさらにこう続けます。

 

 

「更に昔はこんな木版やったわけですが、それが今やインクジェットの時代ですやん。我々が一つの商品を創ろうと思ったら、昔で言うたら木版ですとか、こんな染める時の型ですやん。こんなんは扇面に利用した商品を企画した際に作った画の道具ですやん。インクジェットがあったらこんなもん全部要らんわけです。今はデジタルで国宝の襖絵も処理するわけです。すると寸分違わず、模写するよりも正確に転写していくわけですやん。そんな時代になっていて、グローバル化で労働工賃が安い国のもんがなんぼでも入ってきて流通が上手いこといくようになってきて、私らこれから何を拠り所にしたらええのか…。

 

扇子のお話からグローバル化のお話へ。変化する時代に対応しようと必死で向き合われた中西さんの苦悩がうかがえました。

 

「情報は全部ネットで、どこどこの美術館のこういうものを観たいと思えば、調べたらポーンと出てくるわけでしょ? 昔は一旦自分の身体を通して自分の手で筆で再現しんなならん。それをクリックしただけで色転換もできる、思うように色々変化させられる時代になっている。それはよろしいとして、せやけど私らが思うのはヴァーチャルの世界にどんどん入り込んでしまって、現実とは一体何かいなあという…。」

 

 

 

【貼り付け文化と伝統産業】

 

「琳派400年とか言いますけど、琳派の根源とは何か?琳派の根源は、やはり四季であり、四季の移ろい。はっきり言えばそれは人間が抱えるもので、日本人であったら仏教的なもんとか、古代信仰とか、日本人の原風景みたいなもんの上に成り立った色んなもんが重層的に重なっている。異文化が流入して、それらが混ざり合いながら日本人として積み重ねてきたわけです。そういう、永いゆったりした時間といったもんは、今はもう要らないのですね。」

 

中西さんは続けます。

 

「現代は言わば『貼り付け文化』ですね。世界中のもんがコピーして貼り付けられていく。例えば若い時に服を着ててよく言われたんは、坊さんの服の色でその人の位が解かるんやと。これは封建的なもんですけど、烏帽子の形でその人の所属が解かる。喋る言葉でその人の出身地が解かる。もちろん悪い面とええ面があるけど、そういうもんは全部、これからユニバーサルデザインやいうて、グローバルデザインやいうて…。

 

ユニクロやらH&Mやら色々ありますけど、ええとこ取りですよね。アフリカのこういう風な色合いをピューっと引っ張ってきてポーンとファッションに入れて。はっきり言って今迄の積み重ねは全部刹那的に消化していったらええんや、という時代に入ってしまっていて。多分、京都の伝統産業、日本の伝統産業は全滅でしょうね。日本だけと違うて。逆に全滅した方がええんかなとも思います。それで、今みたいな時代を今の人間がどうやって消化して、次のもんを生みだすかを問われる時代になってきてんのかな。逆にね、さっきまで私が一生懸命言うた事とまた全然違いますけど、そんなもんは否定されるべきもんなんかなという風にも思います。」

 

時代の大波の中で闘ってきた一人の職人の、諦観を交えたヴィジョンを私は垣間見たのでした。

 

(つづく)

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