木口賀之(実弟)

 

クラウドファンディングに向けてのメッセージ

 

そもそも彼の作品をまとめたいと言う話は、彼が亡くなった直後からなんとなく出ていた気がする。「蟹と歩く」の公演が行われた3月末日の頃、公演の参考になればと、メンバーの方々が実家に来られ彼の今まで残してきた資料をのぞいていた。各々が彼のスケッチブックや各公演などの際に纏められた資料・書籍等を読んでいた。皆が公演の事はさておいて、感心し興奮しながら、其々の彼との思い出を呼び起こしながらそれらを読んでいた。僕は少し距離を置いたところから実家の管理人のような立場でその光景を眺めていたが、皆がそれぞれ今は亡き彼との対話を楽しんでいるようだった。

 

「蟹と歩く」公演が終了した後、記録集作成や遺品管理の今後の為、僕は何度も故岡村滝尾さんとお会いした。実は恥ずかしながら僕は一度も兄の作品(舞台や搬入プロジェクト等)観に行ったことがなかった。興味はあったのだが、「いつでも観られるか」と機会を逃していたのだ。だがそれは叶わぬ夢となってしまったが。なので彼が亡くなって初めて彼の作品と向き合っていくことになった。その隣にいてくれたのが滝尾さんだった。蟹と歩くの記録集を作っていく中でその真剣な姿勢、彼の作品、残された資料等に対して深い理解と愛情を持って真摯に向かい合ってくれている人がいるのだとわかった時、初めて兄は優れた作家だったのだなと感じる事ができた。滝尾さんとの出会いが、彼の作品を残していく必要があるものだと考える最も大きなものとなった。実際に滝尾さんの他にも多くの方々に彼の作品をまとめたい、改めて公演を打ちたい、もう一度彼と対話したいと行った声を何度も聴く機会をいただいた。家族としてそれほど誇らしい事はない。本当にありがたかった。 

 

そんな折、兄が亡くなって100日が経とうとしていた6月、滝尾さんが亡くなられた。急な出来事に呆然とするばかりで、ただただ全てがどうでもよくなった。兄の作品がどうなろうとかまわない、どうでもいい。家族に残された最も大きな彼女との出会いを奪ってしまった運命に失望した。その後全ての計画は一旦ストップした。関係者の誰もが何も考えられない、何か正解なのかわからない状態になっていたと思う。

 

しかし、7月末ごろだったと思う。8月の初盆の頃高円寺で搬入プロジェクトが行われると聞いた。ちょうど兄の初盆、滝尾さんの四十九日の頃であった。タクマくんや他のメンバーを中心に行われたその公演を観覧する中で、再び誰しもが思い思いに兄や滝尾さんと対話をしながら、その舞台の演出を楽しんでいた。悪魔のしるしの公演は続いていたのだった。同じ頃金森さんや宮村さんも含めてこれからの活動についてお聞きする機会を頂いた。個人的には悪魔なんて縁起も悪いし、もう解散すればいいのにと思っていたが、宮村さんから「木口くんが亡くなっても、滝尾さんが亡くなっても続けるよ。」といった事を明確にお聞きした。そうか、たまたま兄や滝尾さんを通じて悪魔のしるしを観ていただけで、宮村さんには宮村さんの、タクマ君にはタクマ君の、そして金森さんには金森さんのそれぞれの悪魔のしるしがあるのだと思った。

 

これからの活動内容がどうなるのかわからない。それでも思わぬ変容をしていくこれからの活動を兄は楽しんでくれると思う。それがどんな形であろうとも。もしかすれば搬入や戯曲化がどんどん広まり、武道館やベルサイユ宮殿で搬入プロジェクトが行われる!我が父ジャコメッティが紀伊国屋ホールで公演される!もしくは逆に現代美術祭の一演目として概形化され誰もその由来や意味もわからず意味もなく儀式として搬入が行われる、、、。誰からも忘れられ仲間たちの思い出話としてのみ飲み屋で語られるものになる、、、。なんて様々な妄想が広がるのも楽しい。

 

兄との対話は終わらない。

 

改めて悪魔のしるしや彼の資料を必要としてくれている人々に感謝します。彼の資料を振り返ることで、賛同してくださる皆様方が新たに彼と対話し、新しい視点を得て、これからの創作に繋がってくれればと切に願います。そして亡くなれた滝尾さんが守ろうとしたもの、それを残して行きたいです。まずはみなさんの賛同を必要としています。何卒ご支援のほどよろしくお願い致します。

 

木口賀之

1985年岡山県倉敷市生まれ。兄統之の10歳下の弟として生まれる。兄の死後「蟹と歩く」より作品に参加。今回も死後の活動の流れの中で参加することに。

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