春らしい季節の訪れですね。卒園・卒業・入園・入学といった行事が相次ぎ、こどもと接している当院では、特別な季節かもしれません。

 

ページの「男の子の命を繋いだ120kmの奇跡」の段落で紹介しているドクターカーにより一命を取り留めた男の子しば君が入学式を迎えます。ページの本文では書ききれなかったあの日の家族の想いをぜひ知ってください。

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「いつどうなってもおかしくない」と言われたけど、遠回り過ぎてその言葉の意味も分かりませんでした。

 

120km、しば君が住んでいるのは、実は新潟県上越市。県をまたぎ活躍するドクターカーがあの日に救ったのは、新潟県の男の子でした。あの日のことは覚えてないと、元気に走り回るしば君。今の元気な姿からは、誰も命がなかったかもしれないとは想像できません。

 

 

お母さんは言います。「2日前から体調が悪くなって、病院に行きました。インフルエンザで様子をみてと言われ、家で寝てれば、またすぐに元気なしばに戻ると思っていました。でも、肩で息をしはじめて、お腹もべこべこといつもと違う動きで、もう一度近くの病院へ駆け込みました」

 

「病院へ行ったときは、安心はしました。先生たちが何とかしてくれるって。でも、“いろいろな先生と話し合った結果、してあげられることがありません”と言われました。肺に穴があいてつぶれて呼吸ができないけど、この病院には人工心肺の装置がなく、打ち手がなくなってしまうと」

 

ずっときんこんとアラームがなっていて、気持ちが全く追いつかなったそうです。

 

「先生からは(いつどうなってもおかしくない)と言われたけど、遠回り過ぎてその言葉の意味も分かりませんでした。(死んじゃうとかじゃないですよね)って涙を堪えながら聞いたら、(命が数時間後にはないかもしれない)と返ってきて、まさかのわが子の死の宣告にただただ動揺していました。」

 

でも、息子はまだ意識があって、手を握りしめていたので、泣くわけにはいかなかった

 

それから、長野県立こども病院への搬送が決まりました。救急車では、県をまたいだ搬送ができないこと、しば君の容態では、治療ができない救急車の搬送は非常に難しいことから、ドクターカーが欠かせませんでした。

 

「深夜、ドクターカーが到着したと外に出てみたら、とてもすごい車がきていました。ドライバーの方がいてくださって、私の両親が車で何ができるかと聞いたら、手術もできるくらいの車だと教えてもらっていたようです」

 

今思うとあの車がないとこの子は助からなかった。思い出すと涙が出てきます

 

「とても大きな病院でも、苦しんでいる我が子を助けてあげられない状態に打ちひしがれていましたが、駆けつけた北村先生と小林看護師が、色々な機材を持ちながらきて(大丈夫ですよ)って言ってくれました。この一言が聞きたかった。(あー、助けてもらえるんだ)と本当に救われました。そして、搬送がはじまり、こども病院に着いたときには、大丈夫という安心感がありました。何かあってもどうにかしてくれるだろうとやっと気持ちが切り替わりました」

 

ドクターカーでの車内、そして長野県立こども病院の到着後からも懸命な治療が続けられました。つけられないといわれていた、人工呼吸器もつけ、人工心肺にいつでも切り替えられるように準備されました。

 

そして、たくさんの管に繋がれながらも、しば君は回復して目を覚ますことができました。目を覚ました時に、声は出てないけど、泣きながら、ママーって言っていたそうです。

 

「(こども病院に行ってよかった)と心から思っています。今は(生きてさえいてくれれば、元気でさえいてくれればそれだけでいい)と思うようになりました。運動会とか保育園の発表会がある度に、泣くようになりました。1年前のあの時を思い出して、(元気になってよかった)(こんな姿見れてよかった)(こんなことできるようになってよかった)といつも思っています」

 

 

自分の子どもにいつ起こるか分からない。こんなに元気な子でも、あっという間に急変して、こんな事態に陥ってしまう。自分を責め続けました。

 

「あんな元気でやんちゃだったので、大病をするなんて、本当に分かりませんでした。でも、そのときに優れた車があって、命を助けてくれるなら手だてがあるなら、安心できる。もっと早く決断していて救急外来に行っていればあんな苦しい思いをさせなくてもよかったのかと後悔し、自分を責めていました。」

 

助からなかったら、お母さんは今でももっと自身を責め続けていたかもしれません。最後には、「あんな大事な車をなくさないでほしい」と声をかけてもらいました。私たちは、それに応えられるように頑張っていかなければという思いだけです。

 

しば君は退院したばかりの頃は、「ドクター(医者)になりたい」と言っていて、今は「植物のドクター(博士)になりたい」そうです。きっと、これからもたくさんの夢を持ちながら、大きく成長していくことでしょう。

 

あの車があってよかった....。いつも元気なしばが、苦しい思いをして助けてもらったことをみんなに知ってもらいたいと、お母さんはインタビューに答えてくれました。ただ助かってほしいという家族の想いに応えていくために、いつも万全な状態で、ドクターカーを走り続けていかせてください。

 

今までの皆さまの応援にも心から感謝しております。そして、あと2週間ネクストゴールまで頑張ってまいります。

 

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