今日は、“こめらの森”の春キャンプにボランティアスタッフとして参加した大学生の感想を掲載します。

 

子どもたちのなかで起きる衝突に対して。
キャンプをしていると、子どもたちの間で衝突することがある。大人がそこに介入して解決することは、その状況のその場においては丸く収まるかもしれない。しかし、次に同じような衝突が起きたとき、自分たちで話し合って解決することができないことにつながってしまう。衝突が起きた時こそ、子どもたちで話し合って解決させるべき。時間もかかるし、子どもたちにとって苦しいかもしれないけど、そこに成長していく種がきっとある。

 

みんなで場をつくっていく。
キャンプでは一回一回メンバーが異なるので、どんな場がつくられるのかとても楽しみで不安な部分がある。どれ一つとして同じ場はつくられない。そこが面白い。

 

単調な作業を繰り返す味噌作りでの出来事。
子どもたちが味噌作りの唄を歌ってくれた。その唄に刺激されてオトナも一緒に歌いながら作業した。子どもたちの唄のおかげで、私はあっという間の時間を過ごすことができた。ある一面だけを見れば「単調な作業」かもしれないが、できることの中でも工夫すれば「遊び」の要素があることを子どもたちに教えてもらった。今日も歌い継がれている唄が生まれてきた様子が目に浮かんだ。

 

 

 

みんなで200キロの味噌を作った4日目の夕飯で“いたごち隊”の唄が揃ったこと。
2013年度春キャンプをつくってきたメンバーが一つのチームになりつつあった。一つの到達点に近づきつつあることを実感した。初めはバラバラだった唄が最後の日になって揃って、そこにいる人たちが気持ちよく感じられるようになっていくことがこのキャンプで達成できたひとつのことだと思う。

 

キャンプを振り返って「楽しかったこと」が圧倒的に「大変だったこと」の数を上回ったこと。
ここで出てきた「楽しかったこと」をキャンプの到達点としての様子として伝えていきたい。最初は“いたごち隊”の「いただきます」の唄が揃わなかった。手拍子も合わないし、歌詞もそろわなかった。しかし、4日間みんなで過ごしてきて、みんなで食卓を囲む最後の夕飯で“いたごち隊”の唄がきれいにそろって、その場にいたみんながとっても気持ちい思いをした。その事実をキャンプの到達点として記憶しておきたい。

 

最終日のキャンドルファイヤーを実施するにあたって。
布団を敷いたり、寝る準備をしないと始められないことを知った子どもたちが自ら布団を敷いてお互いに声掛けをしてキャンドルファイヤーの場をつくったこと。初めの3日間はスタッフが手伝いをしがら布団を敷いた。子どもたちだけで準備をしたことは、みんなで協力してひとつの場をつくることが出来たということである。一日目と比べて大きく成長していることを間近で見せてもらった。このことは、キャンプが一つの到達点に近づきつつあることを意味するのだと思う。成長していることを見せてくれた子どもたちの様子をキャンプの到達点として他の人にも伝えていきたい。

 

 

おわりに・・・
何が復興なのか、改めて一人一人が考えていかなくてはいけない。
「復興」という言葉が一人歩きしたかたちで使われ始めてしまった。3年目を迎えて改めて何が復興なのか自分に問いかけること。
自分の中から生まれた不安の種を何かを重ねることで打ち消そうとすること。つまり、日頃の自分たちの生活でも無意識のうちにやってしまっていることではないか。
不安を抱えながらもチャレンジングにやっていくこと。
何が正しいか、間違っているかについての絶対の基準はない。いろんな場面で一つひとつ丁寧に判断していくしかない。
・・・あらためて、その想いが強くなった。

 

 

 

新着情報一覧へ