![地方の殖産産業を通じて日本の少子化対策慈業](https://readyfor.jp/rails/active_storage/representations/proxy/eyJfcmFpbHMiOnsibWVzc2FnZSI6IkJBaHBBMWVHRFE9PSIsImV4cCI6bnVsbCwicHVyIjoiYmxvYl9pZCJ9fQ==--0cc700ff83f66f5858912d7dcca4fc16de5bc541/eyJfcmFpbHMiOnsibWVzc2FnZSI6IkJBaDdDRG9MWm05eWJXRjBPZ2wzWldKd09oTnlaWE5wZW1WZmRHOWZabWxzYkZzSGFRTGdBbWtDbmdFNkNuTmhkbVZ5ZXdZNkRIRjFZV3hwZEhscGFRPT0iLCJleHAiOm51bGwsInB1ciI6InZhcmlhdGlvbiJ9fQ==--1853a891dd6bcfcfbe4fac5bdcd8ca724ef814f9/p143137-key-visual.jpeg)
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東京への憧れ
地方出身の方で、都会にあこがれる方は多いのではないでしょうか。
私の場合、幼稚園から北海道恵庭市立の小学校に入学するにあたり、学習机とランドセルを買いに、新札幌のダイエーに行ったのですが、当時人口4万都市の恵庭と、大都会札幌の人の多さの差に驚かされました。
また、中学3年生のころ、高校受験で、静岡県小山町から沼津経由の寝台列車で博多駅に降り立ちました。ちょうど朝の通勤時間帯だったため、雑踏の中軍靴のようなコツコツ響き渡る音に、少々恐怖を覚えました。
高校3年、浪人の時と東京の大学を受験しました。このころ、東京への憧れがあった私は、母と妹が博多駅の新幹線ホームまで見送りに来てくれたのですが、新幹線が雪の影響で故障。数時間後に運転再開し、東京駅へ着きました。東京駅に着いてまず訪れたのは、雪が20cmぐらい積もって誰もいない新宿中央公園でした。都庁やそのほか高層建築物などの都会の憧れを雪の中満たした私は、市ヶ谷のホテルへと帰りました。しかし、都会に慣れていないうえに大雪だった新宿中央公園により私の体は完全に冷やされ、風邪をひいてしまいました。結果、英語の試験中鼻水が止まらず、試験問題用紙に鼻水を垂らしながら受験をして、結果不合格という結果となりました。
東京の大学への進学がかなわなかった私は、地元の福岡の大学に進学しました。
就職活動の際、どのような会社にするべきか悩みました。地元福岡の会社にするか、それも全国転勤のある大手の会社にするか悩みました。悩んだ結果、全国転勤のある大手の会社に就職いたしました。私の心は、望郷よりも憧憬でありました。
就職するにあたり、希望勤務地を第3候補まで書くことができたので、新宿、池袋、福岡、としました。結果福岡支店の配属となりました。
1年ほどたって私は、中小企業診断士試験受験に専念するため、新卒で入社した会社を退職しました。合格後、東証一部上場のコンサルタント会社である、ベンチャー・リンクで念願叶い東京の会社に就職することになりました。
しかし、ベンチャー・リンクは通勤手当はあるものの、住宅手当がないため、東京といっても辺縁部しか住むことができませんでした。西千葉を辺縁部と言ったら失礼かもしれませんが、西千葉にアパートを借りて、私の「東京」人生は始まりました。
西千葉から中央総武線各駅停車で一駅先の稲毛から横須賀総武快速線に乗り換え、新日本橋まで40分程度。あの混雑は「地獄」でした。なぜこんな誰も知らないような人と一緒におしくらまんじゅうしなければならないんだろう、ということを思いながら、でも変えよう、という意識はあまりありませんでした。
その2年後、私は福岡支店異動を拝命し、さらにその2年後、ベンチャー・リンクを辞しました。
その後、福岡と首都圏を行ったり来たりしながら、東京への憧憬の中、首都圏へ住み続けておりました。
数年前、私の東京への憧憬は完全に溶け、地元福岡に帰ってきました。
ちょっと、徒然なるままに記しましたが、以前のブログでも記している通り、どこに行きたい、いや地元に残りたいという意思は自由で、さらに住めるところであれば、どこに住んでもいいのがここ日本です。
東京への憧憬はどこから来ていたんだろうと、今となってはあの時の自分が不思議なのですが、人の気持ちなどは、同一人物の私ですら、理解ができないことがあるようです。
ただ、この憧憬はどうやら私だけではないようで、長渕剛さんの「とんぼ」でも、
~死にたいくらいに憧れた 華の都大東京~
という歌詞が出てきます。
このハードボイルドな歌、平成初期に男性に響いていた歌ですが、昨今では若い女性に受けが良いようです。
コロナ禍でも女性の東京への転入超過が進みました。
その年齢の内訳をみてみると、
過半数以上で20代となっております。
では、どうして若い女性は、首都圏へ進出するのでしょうか。
この中で、赤く塗られた「仕事」の「やりがい」というところが最も重要であると思われます。
要は老若男女問わず、やりがいのある仕事をしたいということです。
当たり前ですが、やりがいのない仕事を続けられるかといわれると、私は続けられる自信がありません。
一方で、住みたい理想のところを都市部か地方部かを尋ねたところ、3分の2の方が地方部であると回答しております。
こうした機運をチャンスに変えたいのは地方です。
地方から女性は消えました。しかし、地方部で生活したいと思っているのです。
地方部でもやりがいのある仕事ができるとするならば、女性は地方に帰ってくるものと思われます。
このための実効ある方策として以下のようなアンケート結果があります。
こうしたアンケート結果も踏まえ、国土交通省は関係省庁とともに、テレワークの推進を図っております。
https://www.mlit.go.jp/toshi/daisei/telework_index.htm
大都市に比べて地方部の方が比較的安価に暮らすことができます。
テレワークが推奨される場合、物理的に出勤する必要がなくなることから、全国どこでもインターネットがつながれば仕事ができるようになります。
私の社会人人生において、必ず直接会わなければならなかった仕事というのはあまりありません。
前も記しましたが、製造業、接客業や行政(特に警察・消防・自衛隊など)など必ずその場でないと仕事ができないものもあるのは確かですが、都心の会社ではほとんどの場合が不要かと思われます。
前のブログでもルソーに触れましたが、「自然へ帰れ」です。
( 人間は自由な存在として生まれたのに、現実はいたるところで鉄の鎖につながれている。 文明や社会の変化が人間をゆがませてしまったという近代批判)
リターン
10,000円+システム利用料
お礼のメール
感謝の気持ちを心を込めてお礼のメールを送ります。
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30,000円+システム利用料
ワープロ書きのお礼のお手紙
感謝の気持ちを心に込めて、お礼のワープロ書きのお手紙を送ります。
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50,000円+システム利用料
直筆のお礼のお手紙
感謝の気持ちをより一層込めて、心ばかりの直筆のお礼のお手紙を送ります。
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100,000円+システム利用料
直筆のお礼のお手紙+みゆ幸業株式会社ロゴ入りメモ帳
感謝のお手紙と一緒に、みゆ幸業株式会社のロゴの入ったメモ帳を送ります。
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250,000円+システム利用料
直筆のお礼のお手紙+みゆ幸業株式会社ロゴ入りメモ帳・付箋+みゆ幸業株式会社マスコットうさぎ「もっちー」の写真
最大限の心からのお礼を直筆の手紙に込めて、みゆ幸業株式会社のロゴの入ったメモ帳、付箋、マスコットうさぎ「もっちー」の写真を送ります。
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