いよいよスポンサー募集終了期間が残り1時間を迎えようとしています…。

90日間という期間を、皆さまと歩んでこれたことを改めて感慨深く思っています。

ここまで来られたのも、皆さんのおかげです。

本当にありがとうございます!

 

なお、キャンペーン「死んでもひとりぼっちじゃない  #muen_homelesss」は、スポンサー募集期間の終了する、本日1月24日23:00まで実施しております。

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さて、募集期間内の情報発信の締め括りとして、このプロジェクトの協力者であり、お墓の建立される光照院 副住職の吉水岳彦さんのインタビューのレポート(後編)をお届けします。

※前編 すずなりになって僕らを眺めていたおじさん達は何を見ていたのか

 

後編では、そもそも仏教の世界観におけるお墓とな何なのか、現代日本におけるお墓を巡る問題とは、ホームレス状態にある人々とお墓について、そして、このプロジェクトがもたらす希望についてお話頂きました。

 

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-仏教の世界観における「お墓」


僕は宗教学や民俗学の学者ではないので、あくまでもお坊さんとしての僕の考えていることをお話しさせていただきます。

 

仏教的な世界観では、われわれが生きるこの世に思い通りになるものなどなく、その人生にどのようなことがあるかなど、誰にもわかりません。たとえば「あの家族は、あんなに幸せそうだったのに、どうして事故で亡くならなければならないの?」とか、「あの人、あんなに健康だったのに、どうして急に亡くなってしまったのでしょう?」とか、予想のできない出来事に出遇う度に、わたしたちは胸を痛めます。お釈迦様が「この世の全ては苦である」と仰せのように、実に理不尽で間尺に合わないことがたくさんあるのが、この世のあり様であると考えるんですね。
産まれてくるときは、大体予想できるけど、亡くなるときはまったく見当がつきません。

 

そんな、いつこの世を離れるかわからない私たちに、「どんな最期を迎えようとも、必ず再び大切な人に会わせてあげるよ」と約束をしてくださったのが、阿弥陀如来という仏様で、その再会の場所が「極楽浄土」なのです。

 

だからこそ僕は、いつか分からないその最期の時にはそこへ行かせてもらい、行ったときには大切な人に会わせてもらいたい。生きている間も、できれば先立った人達に導いてもらいたいと思うから、一生懸命、毎日手を合わせてお念佛を申して、そこに行くことを願い、先立った人たちの導きを願うのです。そういうのが信仰の根幹にあると思うのです。

 

※彼岸寺HP(http://www.higan.net/

 路上の人におむすびを/ひとさじの会 吉水岳彦さん(3/3) より

 

その願いって、極楽に行った人達がこの世に戻ってきて、私たちに毎日語り掛けてくれているのを実感できるのが望ましいものの、皆がそういった感覚を普段の生活の中でつかめるものではありません。「お墓」って、確実にその大切な人の亡骸がそこにあって、みんなが手を合わせる場所となっています。だから、「お前さあ、何で先に逝っちゃたんだよ」とか「俺、まだ、お前が逝ってから何年も頑張ってるぞ」などと、その人に会いたいと思ったときに自由に会いに行ける場所が「お墓」なんじゃないのかなと思うのです。

 

自分の体の調子がとても悪くなった時や、どうしようもなく弱気になった時に、「どうせ自分なんか生きていても役に立たない」と思ってしまうかも知れません。この「役に立たない」と思ってしまうのは、自分の存在意義を見失った状態と言えるでしょう。自分の存在意義とは、他者との関わりにおいて強く実感できるものです。周囲は、その人のことを仕事が出来るかどうかで、友人か否かを判断することはありません。でも、自分の方から周囲を遠ざけ、「誰ともつながっていない」と孤独感を抱えてしまうことはあります。

 

そんな状況にあったとしても、自分が最期を迎えた時に、先立った家族や友人達がいて、待っていてくれる。どんなことがあっても自分がお墓で一緒になれるんだという、誰かとつながっている感覚あれば、どれほど心強いことでしょう。亡くなっても親しい人との関係が継続されることによって、「お墓に入るまでは頑張ろう。」「皆のところに行くまでは一生懸命に生きよう。」と考える人もいらっしゃいます。行き先が決まるからこそ、精神的に安定することもあると思うんですよね。

 

反対に、誰とも、何ものともつながっていないを感じている人は、毎日を過ごすのも相当しんどいでしょうし、自暴自棄になりやすいと思います。

最期がどんな風になるかわからないけど、「死んだらよろしくな」と言う関係性が築けることも大事なお墓の役割なんじゃないかと思います。

 


―現代日本における「お墓」の問題

 

今、日本には「血縁の限界」を感じている人が大勢いると私は思います。これだけ少子高齢化が進んでしまった事で、血縁を基軸に維持してきた物事に限界が来てしまっているということです。

 

現在、過疎の問題が、お寺にとっても大きな問題になってきていて、過疎の進行した地域のお寺でも、後をみる人がいないお墓がたくさん残されてしまっているんです。今までお墓は、家単位で建立され、血縁で守られてきたものですが、この継承が難しくなってきていることを示す一例だと思います。

 

お墓は家単位で持つものというイメージが強いですから、家を失ったおじさん達に墓がないという事は、なるほどと理解できることなわけです。

 

最近、個人の墓ができるようになってきましたけれど、結局、継承者がいない墓となれば、いつかは、いわゆる「無縁墓」になってしまうのでしょう。光照院にも、こうしたお墓が増えつつあり、将来の心配を耳にすることも多くなりました。

 

※継承者のいないお墓

 

現在、光照院に縁のある人が一緒に埋葬される場所―観音供養塔―を建てているのですが、それはこの寺を基軸としたコミュニティを作ろうと思って建立しているものです。もちろん、私も入ろうと思います。お坊さんが骨になって入れば、必ずお寺を継いでくれる人がお参りしてくれます。この絶えないお墓を建立することで、お寺にご縁のあった人とは、亡くなる前も亡くなってからも、みんな一緒だよっていえるようになるのではないかと考えています。

 

 

 

-「ホームレス」の人達にとっての「お墓」

 

2009年、この寺に「結の墓」を建てる前、「ホームレス」の人たちのお墓がほしいという相談を受けた頃は、まだ「ホームレス」の方たちに対する支援とはまったく関係なく生きていました。同時に、山谷に育ったものとして、かえって彼らに対する偏見は強かったものですから、そのお話を頂いた時に、「彼らはお墓なんて本当に欲しいと思っているのか」と悩んだんです。当時は本当にわからなかったんですね。

 

※光照院内の結の墓

 

だから、わからなかったので直接聞いてみようと思いました。新宿の「もやい」の事務所で、お墓のことで会合があって、その時におじさん達もいらしていたので話をしてみて、おじさん達から「お墓なんて贅沢だと言われるかもしれないし、『どうせ、野垂れ死にして、最期は無縁仏になるんだ』というやつも多いけど、でもやっぱり最期は『誰かに手を合わせて欲しいし、最期は誰かに看取ってもらいたい』と、ほとんどの人は思っているはず」と言っていたんです。

 

そして、残された人にとっても「最期にはここで皆と一緒だと思えたら、もっと一生懸命生きて行ける」と話してくれて、それをきっかけに、お墓の活動をに取り組もうと決めました。

 

僕たちの信仰は、最期を迎えた時だけ用があるわけではなくて、むしろ、自分がどんな最期を迎えるかわからないからこそ、平生からの祈りが大切なんです。人は死んだからといって居なくなるわけではありません。「どんなことがあっても、祈る時には大切な人とも離れないし、最期の時には再会して、一緒にいられる、そういう場所があるからこそ、今を元気に生きて行ける」と思えるんです。信仰上の大切なことも、改めておじさん達に教えられたように思います。

 

 

-このプロジェクトがもたらす希望

 

今回のプロジェクトは、グループホームや知的障害者施設などの団体のお墓、すなわち、家族以外の人たちのもとで最期を迎える人々の〝安心できる場〟を考えるモデルとなりうるものではないでしょうか。大勢の安心できる家を失った人達、子や孫など自分の後のことを見てくれるものがいない人達など、自分が死んだときにどうなるのか漠然とした不安を抱えている人達にとっても、一つの希望を感じてもらえるものとなるのではないかと思っています。今回の取り組みが、そうした「コミュニティでお墓を持つ」ことのモデルとなることを祈ります。

 

 

このプロジェクトを取り上げている新聞記事の中に、セクシャルマイノリティの方達がこのプロジェクトに共感してくれているという記事がありました。このプロジェクトは、様々な事情で親兄弟とか親族との縁が切れてしまって、入るお墓がない人たちにとっても希望になるものなのでしょう。

 

 

また、共に入るお墓を建てることを通じて、「死後も無縁でホームレスなんだ」と思っていた方が、周囲の人とのつながりをさらに深めていくことは、自尊感情を育む上でも大きな意味を持つと思います。

 

山友会代表のジャンさんと話している中で、「お墓に入るまで付き合うよ」ということは、「最期まで共にいるよ」ということで、それが「一人じゃないよ」というメッセージとなることが、非常に大切な事だと思いました。

 

 

【吉水岳彦/よしみずがくげん プロフィール】
1978年東京生まれ。光照院副住職/大正大学非常勤講師。ホームレス状況にある人や身寄りのない人の共同墓『結の墓』プロジェクトへの関わりから、ホームレス支援を行うことに。現在は、上野・浅草エリアの路上生活者に月2回おにぎりを配る活動などをする「ひとさじの会」代表として活躍。

 

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インタビュー/記事作成
山友会ソーシャルメディア活用プロジェクトチーム 服部芳弘

 

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