READYFOR?終了まであと7日となりました。

前回投稿にもあるように「望みは捨てません」。

https://readyfor.jp/projects/rainbowmaru/announcements/19094

キャプテン谷口選手にパラリンピックにかける想いを綴って頂きました。

 

 

自己紹介

琵琶湖ローイングCLUB(びわろー)でキャプテンをしています、谷口佑樹です。

現在障がい者ボート競技でパラリンピック出場を目指して、日々トレーニングに励んでいます。

 


皆様もご存じの通り、パラリンピックは世界中の、身体に障害を持つ者が各種競技で、その能力を競う大会です。

私自身の障害というのは、「二分脊椎症」という先天的な病気による、両下肢機能障害というものです。障害の程度や症状は人により様々です。

簡単に言うと、私の場合は出生時に、脊椎の形成不全により背骨に収まっているはずの神経が外へ出ていて損傷しており、その部分から下の神経に麻痺を起こしています。そのために運動機能に不自由なところが出て、歩行にも障害が起きるというものです。

 

生まれた当初には医師から、

 

「自力で歩くことは出来ない。車椅子か寝たきりの生活になるだろう」

 

と、言われたそうです。

生まれた当時はまだこの病気について、研究が進んでおりませんでした。

しかし現在私は自力で歩行が可能ですあり、それは幼い頃に母が通わせてくれていたリハビリのおかげでなのかな、と思っています。

 

 

小学校の選択

小学校に上がるとき、私は、養護学校(今で言う、特別支援学校)へ行くか、地域の公立の小学校へ行くか、選択をさせられました。

養護学校へ適性検査を受けに行った事は何故かハッキリ覚えています。

保育所は一般の保育所で、友達が居たので、その友達たちと離れるのが嫌だったため、公立の小学校に入ることにしました。

 

 

小学生時代 
装具を付けていたこともあり、変な歩き方を初めて見る人たちは「ロボット、ロボット」と面白おかしくからかってきました。

小学校に入学した次の日にはもう学校に行くのが嫌になっていました。

 

 

 

そんな時が過ぎていき、新たに一緒に遊んでくれる友達も増えてきて、家に帰ってからも遊ぶようになりました。少しずつ友達と打ち解け、夢中になって遊んでいた時期もありましたが、またからかわれることがありました。

 

 

思い出の自転車

当時私は、周りのみんなが、補助輪なしの自転車で走り回っている中、

姉のお下がりの補助輪付きの自転車に乗っていました。

友達からも、

 

「補助輪付きの自転車なんかダサいなー!」

 

と、笑いものにされ、置いてきぼりを食らうこともしばしばありました。

だから

 

「みんなと一緒に遊ぶためには、みんなと同じことをしないといけない。」

 

と考えるようになりました。

しかし、病院の先生や両親からは、

 

「その足では無理やろ。足でも怪我したら歩けなくなるよ!」

 

と、補助輪なしの自転車には乗らないように言われました。

それでも、友達と一緒に同じように遊びたい気持ちが強く、

無茶をしても、一日でも早く自転車に乗れるよう、

毎日毎日、こけようが、ぶつかろうが、擦り傷が出来ようが、

なんとしても自転車に乗りたい思いで、練習を重ねました。

そして、自転車に乗って友達と同じように遊べた時、

 

「初めて、努力すれば無理なことはないんじゃないか」

 

という気持ちが芽生えました。

このことが私の大きな自信になり、頑張れば出来そうなこと、例え困難な目標でも「何としてでも努力でカバーする!」と心に誓いました。

 

 

次回に続く...

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