役者でサダコの父役で参加してくれているジュン・アマントさんが、この映画について 記事を書いてくれました!

 

「サダコの鶴」は、今、僕が、出演させてもらっている増山麗奈監督作品。 今日は少しこの、映画について書いてみたい。

千羽鶴をおって祈るという行為は原爆投下で壊滅的な被害を受けた広島の12歳で短い一生を終えたサダコさんの物語にその起源がある。 (彼女は子供の国内最初の咽頭ガンの認定患者だったが、彼女が亡くなってわずか半世紀で今国内には再び900人の口頭ガンの子供がいるなんと、悲しい事か…)

 

今回の映画で、最もユニークなのは今までの撮影されたサダコ映画とは違い、サダコがもし現代に蘇ったら現代日本を見て何を想い感じるだろうかという着想にある。 これは、今までに全くなかった試みだ!

そして、特質すべき特徴は現在に蘇って数々の経験をするサダコに接する映画の登場人物は、全部リアルな実際の人物だという事…どういう事か? 例えばサダコは辺野古基地問題のデモに遭遇するシーンがある。それは実際辺野古に行き基地反対のリアルなデモにカメラごと突っ込んでカメラも役者もデモに、参加しながら撮影する! そのサダコの生のリアクションを映画の演出としてそのまま使っているのだ…

 

サダコさんは、もちろん子役の役者リアンちゃんが演じているのだか、つまり、そのリアクションはずばりワンチャンスのドキュメンタリーなのだ。 また、例えばサダコが海上保安庁の船に向かって叫ぶシーンがある

「なぜピカを落としたアメリガが、まだ日本にいるんですかー」っと… 子供の屈託のないシンプルな疑問に大人なら皆一瞬返答に迷うことだろう…

 

劇中でそれに答えているのは巡視船の海上保安官達は、なんとこれも本物の海上保安官! 漁船に乗って行って海保と対峙しギリギリの緊張感の中で否応無しに周りの人を劇中に巻き込んでいく…ここもドキュメンタリー!

そのまま拿捕されたら映画は完成自体不可能になってしまうのだが、そこが麗奈流!子役もしっかり自分の娘を起用しており(またこれが生前のサダコに、瓜二つ)家族ぐるみで現代の日本を切り取ろうとしている!! 何か神がかった使命感に狩られて彼女がカメラを廻しているのはよくわかる!! ドラマは、初めてという増山監督は、映画界の常識をやすやすと乗り越えて縦横無尽に脚本を紡いていく

 

とは言え子供達が関わっている以上危機管理は絶対大切なのだか…) この物語の中にはおよそ現在日本の世界に対しする問題がほぼ全部リアルな登場人物と共に描かれている… よくぞ出演に漕ぎ着けたなというその面々はかなりインパクトのある時代のキーマンが登場するのだかそれは、映画を見てのお楽しみとしょう!

 

…とはいえ映画である以上ドラマは。ドラマとして成立させなければならない。主軸となる主人公が何かを経験して心情変化する過程を描くのがドラマというものだからだ。

 

ここで面白いのは縦横無尽に時空を超えて暴れまわる純粋無垢なサダコはこの映画の主人公ではないという点だ。

福島の原発事故で移住を決意し沖縄に移り住んだシンジ少年がサダコに出会い彼の初恋物語として描かれているのだ。 彼は福島の友人たちと引き離されわかっていても子供なりの苦悩の中に日々を過ごしている

 

「辺野古も福島も同じだよ!何やったって同じだし!」 大人に突っかかるシンジ少年。 彼を演じる実際の福島から岡山に疎開した少年幸希君が演じている。 ここも脚本の会話はセリフだか役者の心情的なドキュメンタリーなのだ!

おそらく彼は実際の両親の前では叫べなかったことを芝居という形を借りて叫ぶことができたに違いない。 ある意味、普段聞く事の出来ない多くの同じ立場の現代日本の子供達の代弁者になっているわけだ…!

 

この映画的手法は、麗奈監督のセンスなのか緻密な計算なのか…その両方なのか…はっきり言って僕にもわからない…! しかし間違いない事はこの前代未聞の映画が早く見てみたいという事だ! これはきっと皆さんも同じ思いなのではないか? もしかしたら新しい映画の手法が、生まれかているのかもしれないという期待と、今日本人としてどう生きるべきか整理して考えるためにも…僕は役者として一観客としてもこの、映画を応援していきたい…