こんにちは、監督の増山れなです。

皆様のおかげで目標額まで、あと2万8千円となりました。

プロの手も借りながら、私を含めた素人がみんな一生懸命つくった映画が、

いま、英語版、フランス語版、スペイン語版、ネパール語版、アラビア語版とすこしずつできていくなんて、本当に感激しています。ありがとうございます。「サダコの鶴」は、みんなの平和への願い。宝物です。本当の歴史をつたえながら、大事に、羽ばたかせよう。

 

この映画を世界に届けたいと思った理由の一つは、

「沖縄」の本当の歴史を世界に伝えたい、ということです。先日パレスチナで上映をした時も、戦後70年たってなお米軍基地が作られようとする沖縄の辺野古の問題について、パレスチナの方はイスラエルからの占領を受け続けているガザと重ねて、共感してくれました。

 

【沖縄市の戦争が終わったのは、9月7日だった】

 

被爆者である折鶴のサダコさんの「鶴」が広島市以外で初めて国内で寄贈されたのは、沖縄市でした。

その理由は、沖縄市では、8・15の玉音放送の後も、地上戦が続いており、最終的に全面降伏を行ったのが、9月7日であり、その日を「沖縄平和の日」と定めたからです。禎子さんの鶴は、その平和の日を記念して、寄贈されたのです。沖縄戦の混乱で、ほとんどの人はラジオを聞く余裕もなかったことから、戦争が終わったことを知らされず、地上戦が続いていたのです。

沖縄県公文書館より提供 沖縄戦の様子 県民の四人に一人が亡くなりました。映画「サダコの鶴」では貴重なカラーの沖縄戦資料を提供していただいています。

 

【沖縄は、本土のための『捨て石』にされた】

 

福島から沖縄に避難してきた少年しんじが、

初めて折鶴のサダコと出会うのが、「沖縄平和の日」を記念して鶴が寄贈された沖縄市役所です。

沖縄市役所が公式に出版した「沖縄市の戦跡と基地」という本にこういう記述があります。

 

「沖縄戦 沖縄守備軍(第32軍)の任務は、南西諸島を本土として守り抜くことではなく、出血消耗によって米軍を沖縄にくぎ付けにし、国体維持・本土決戦準備のための「捨て石」となることだった」

 

この文面を見た時に、頭をハンマーで殴られたようなショックを感じました。

反戦市民団体が出版した本ではなく、沖縄市が公式に発表した文章として、日本本土を守るために沖縄を犠牲にしたことを表現していたからです。

私たち日本人は学校の教科書で学ぶ歴史の中で、沖縄の方々への負担を押し付けてきたことについて、ほとんど学んできませんでした。

写真 日本軍の降伏を受諾し、署名を行うスティルウェル陸軍大将

9・2の日本の全面降伏に従い、琉球列島の無条件降伏することが記された降伏文書を嘉手納基地内で交わした

 

辺野古基地の問題、普天間基地移転の問題は、沖縄県民の方の問題だけではなく、戦争の歴史、戦後のアメリカ統治をどう考えるかという日本全体の問題なのだと、改めて感じました。

 

1953年4月布令された「土地収容令」では、軍用地の収用を強行するために、

沖縄県民民間人の土地を「銃剣とブルトーザー」で奪うということが行われました。その時の賃貸契約価格は、9坪でコカ・コーラ一本分(B円の一円8銭)

契約期間は20年間という不当なものでした。

 

【沖縄市に寄贈された鶴の前で、福島の少年がサダコに恋に落ちる】

 

映画「サダコの鶴~地球をつなぐ~」では、福島の少年しんじは、この沖縄市に寄贈された実際の”禎子の鶴”の前で、サダコと恋に落ちるシーンがあります。時空を超えた核の被害に苦しむ二人の出会いは、沖縄から始まるのです。

夜10時半まで、沖縄市役所の職員さんも協力してくださり、撮影を行うことができました。本当に感謝しています。

 

とても美しいシーンで、印象的な音楽を作ってくれたのは、沖縄が誇る若いミュージシャン リキ山猫+正五 さんです。

新しい才能が、歴史を学びながら、この映画に関わってくれたことをとても誇りに思います。

本土の映画関係者、そして沖縄の方が一緒になってこの映画をつくることができました。

 

 

思いやる心、愛する心、平和を求める心 友情 理解しあおうという思い

佐々木禎子さんが教えてくれたおもいやりの心で、

私たちは人権を無視した過去の歴史を乗り越え、戦争ではない平和と文化を尊重する新しい時代を作っていくんだ

そんな思いでこの映画を作りました。

 

「サダコの鶴」沖縄での上映サポートをしてくださる方も、募集しています。

 

 

 

 

 

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