【残り4日を切りました!自分史を語る 上】
(この記事は事前に書いたものをreadyfor?事務局の方に更新していただいています)
 こんにちは。ご支援ご声援ありがとうございます。今泉です。
プロジェクト支援募集期間も残すところ4日を切りました。
 11日火曜日に私の地元紙である長崎新聞で私のプロジェクトについて紹介して頂きました。また、その後に小さな連載を同紙でさせていただいています。内容はご覧になってからのお楽しみですが、タイトルはブログと同じ『アフリカさるく紀行』となっています。

 さて、残りのプロジェクト情報更新は現在アフリカ大陸を旅するまでに至った自分史を書きたいと思っています。カウントダウンを兼ねて、今後、上、中、下の三巻構成で更新していきます。

 まず、なぜ自分史を最後のカウントダウンで書こうと思ったかというと、この旅とプロジェクトを通していかに自分が周りの方に支えられて学ばせてもらっているのかがわかったからです。人生はすべて奇跡の連続とは言えないまでも、私を支えてくださっている人々と出会えたおかげで、今こうして一生懸命に自分の目標に邁進できるようになりました。そんな、自分に影響を与えてくれたいろいろな方を思い出しながら、アフリカに至までの自分史を書きたいと思います。

 私は長崎で生まれ、長崎で育ちました。実家は長崎県長与町で、斜面にみかん畑がずらりと並ぶ山のそばにあります。その山はみかん山と呼ばれており、私と男ばかりの友人たちはその山の中を絶好の遊び場としていました。そのみかん山の谷間に広場があり(といっても長崎のどこに行ってもそうであるように、広場は平行ではなく斜面でしたが)、そこで野球やサッカーをして遊んだりもしました。このころの「遊び」というものが、今の私にも少なからず影響を及ぼしていると思います。

 山の中に秘密基地を作るのはお手の物で、早熟の落ちているみかんをぶつけあうみかん投げ、たけのこ掘り、虫取り、それから私たちの世代にはおそらくほとんどいないんじゃないかと思われますが、トリモチでメジロを捕まえていたりしました。私たちの世代はゲーム機世代のまっただ中で、みなが室内でテレビに夢中になっている中、私たちは真っ黒に焼けるまで走り回り続けました。このときに養われた自然と身体で触れ合うという能力は、現在でも生きていると思います。実際、この旅でも川辺や海辺のキャンプサイトに行くと、ペットボトルで簡易漁具を拵えては魚やカニを穫っています。

 記憶の彼方にあるアフリカとの出会いもこのころです。日韓W杯が開催された際、参加国について調べるという授業で、もう理由は忘れましたが私はカメルーンを選びました。何をやったかも曖昧ですが、旗を作った記憶だけは残っています。これが私のアフリカとの出会いだったように思います。
(中へと続く)

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