クハ489-501は今月から、いよいよ両サイドの鈑金補修作業を開始致します。

出来るだけ錆や腐食を取り除き、雨樋を新調し、腐食しやすい部分には防滴防錆の処置を行います。

翌年度以降はこれだけ大きな補修を行う予定はありませんので車体構造を再び大規模に露わにする機会は今回が最後ということになります。

 

一部の車体構造の腐食から垣間見えるのは、この時代の車両が製造されたときの使用期間をどの程度に設定していたかです。

補修内容からは、概ね15年程度だったように感じます。

昭和46年製のクハ489ですから、同62年か63年頃には置き換えを予定していたかもしれません。

 

写真は平成12年に運転された、新大阪発博多行の「リバイバルはと」という臨時列車です。

金沢総合車両所の485系しらさぎ編成が使用され、前後にヘッドマークも設置されました。

先頭はクハ481-104で、山陽特急時代には該当しなかった、東北特急由来の先頭車だったのは残念ですが、それでも面白い実績を残しました。

そしてこの列車の回送は、ヘッドマークを付けたまま金沢まで走りました。

結果として営業運転では見る事の出来なかった、モーター車モハ484の2基のパンタグラフを揚げて走る姿を京都~湖西線~敦賀まで見る事が出来ました。

 

国鉄が昭和62年に分割民営化されたことを悲観的に思う方々が鉄道マニアには多いです。

しかしクハ489の車体構造では、当時の国鉄の既存方向性から察すると、新形式への転換を早急に考えるか北陸新幹線建設を国策として進展させ、2015年春よりも10年以上早く開通していたかもしれません。

勿論、改革が不可避だった国鉄にとっては民営化は避けられませんでしたし、無償譲渡された中古車もJRにとっては「商品」でしたので、新車化に近い考え方の「リニューアル」=帳簿上の価値を向上させて、急場を凌いだのが歴史です。

 

幸い、北陸には「交流区間」という、電化施設としての関所がありました。

直流区間の節電化をある程度終えなければ、交流区間への投資が出来なかったのが、JR西日本の内情でもあったので、幸い485系は生き残りました。

また更に、JR東日本が首都圏路線に導入を始めた新型ATS(ーP型)の乗り入れ用JR西日本所有車両が、機器搭載余力があったボンネット先頭車に限定されたことも、経年をはるかに超えた後も489系ボンネットが生き残った主な理由です。

 

今回の補修に、幸か不幸か、クハ489-501が今に至った歴史を思います。