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2021年03月11日 10:00

ベガルタ仙台 手倉森 誠 監督:被災者を勇気づける希望の光に。

 

震災を機に芽生えた思い「地域にサッカーをさせてもらっている」

 

—2021年3月11日で東北・東日本大震災から丸10年が経ちます。そんな節目の年にベガルタ仙台へ復帰する形となりましたが、この10年間、どのような思いで過ごしてきましたか。

 

©VEGALTA SENDAI

 

震災の年から「被災地の希望の光になろう」という気持ちを強く持って戦っていましたが、その後は代表活動に行くことになり、「復興、志半ば」という感覚がありました。Jリーグで準優勝に終わってしまったこと、被災地にシャーレを届けるという約束を果たせなかった自分がいるという感覚をずっと持ちながら、そのぶん代表監督として活躍してリオ五輪でメダルを取れれば被災地への勇気づけになると思ってやっていたんですが、メダルも取れずに何も果たせず、もどかしい思いをしていました。

 

その後、V・ファーレン長崎では、長崎は被災地からすると遠い場所でしたが、J1に上げてベガルタと対戦できれば被災地に「手倉森、頑張っているな」という姿を見せられると思って頑張っていました。しかし、昇格は果たせませんでした。そこで契約が切れたタイミングで、ベガルタから復帰しないかという話をもらい、いよいよ「復興、志半ば」の続きを見せようと言われているかのような思いがしています。

 

—ベガルタ仙台を退任してからの7年間、離れた場所から被災地と接していてどのような心境でしたか。

 

われわれは地域があるからこそ、こうしてサッカーに関わって仕事ができるんだということを震災の後にあらためて思い知らされ、僕自身はいかに地域の生きがいになれるかということを考えてきました。代表活動でも国民のためにという思いでやっていましたし、長崎でも被爆地・長崎という場所を考えて、スポーツで社会に貢献できる地域だと思ったからこそ選んだ部分がありました。

 

あの震災を機に「自分たちはサッカーをさせてもらっているんだ」というふうに考えが大きく変わりました。やっぱり地域がなければわれわれの仕事もないし、地域が打撃を受ければわれわれの活動もできないんだということを思い知らされ、あらためて「地域にサッカーをさせてもらえているんだな」と思うようになりました。

 

©VEGALTA SENDAI
©VEGALTA SENDAI

 

また大震災で亡くなった命を考え、無念で亡くなった方々の思いを知ると、東北のために生きていこうと思っていた人たちのぶんまで生き抜かないといけないという気持ちにもなりました。亡くなった人のぶんまで懸命に生きなきゃいけないと思うようになり、サッカーというスポーツに関わるならサッカーをやっていればいいというだけではなく、人々の生きがいになっていかないといけない。そして、われわれはそのことをやりがいにしなきゃいけないという思いが育まれました。

 

—10年前には多くの被災者の方々とも接したと思いますが、どのようなことが印象に残っていますか。

 

自分たちも被災地にいるので被災者の苦しみはわかっていましたが、Jリーグに属しているわれわれの立場は一般的な人々より恵まれていたんです。われわれが被災した時、ベガルタ仙台というJリーグの一員だったことで、Jリーグからの救援物資がものすごく早く届いたんですが、ただサッカーを職業としてやっていたからですよね。それほど恵まれている自分たちが、被災地の方々に苦しんでいる姿を見せてはいけないと思いました。だから、まずチームが最初に集合した時、選手たちには「ベガルタ仙台は被災地のクラブだが、われわれは本当の被災者ではない」という話をしましたね。

 

©J.LEAGUE

 

われわれは被災者ではない。被災者を勇気づける希望の光になろう

 

—そうした選手に対するアプローチにも気を配っていたと思うのですが、どのようなことを考えていましたか。

 

最初は選手たちのメンタリティーも含めていろんなことを心配していました。それでも「大丈夫か、やれるか」と真っ先に聞いてしまうと「無理です」「しんどいです」と言われた時、この状況からどう動けばいいか分からなくなってしまうと思いました。だからこそ、まずは毅然としようと。そして「Jリーグにいることが恵まれているんだぞ。われわれは被災者ではない。被災者を勇気づける希望の光になろう」という話をしました。そういったことがわれわれの任務だと全員が認識した時、そうじゃなかった人もそうせざるを得ない状況になったと思います。ただ、そうした状況を作り出さないとエネルギーは出ないと思いました。それでも戦っていく中で、もし疲れてきたり、しんどくなってきたら言ってくれという話しをしながらやっていました。

 

—そうして震災から43日後の4月23日、川崎フロンターレとの再開戦に臨みました。前半に先制されながらも2-1で劇的な逆転勝ちを収めましたが、震災直後の苦しい中でどのようにしてあれほど闘えるチームに仕上げられたのでしょうか。

 

選手たちにそういう言葉を投げかけた後、選手たちの取り組む姿勢が本当に違っていました。実は川崎フロンターレ戦の1週間前にトレーニングゲームをしたんですが、そのあとに2連休を取ったんですよ。普通は開幕の1週間前に2連休とか取らないんですけど、彼らは連休が必要なくらいに頑張っていたので決断しました。そのまま休息を取らせないまま行っていたら、注目度の高い試合でボロボロに疲れたゲームになってしまうんじゃないかなと思うほどでした。

 

またその1週間では、再開する等々力のこともイメージしようというと話をしていました。「どれだけの人間が被災地・仙台から来てくれるかは分からないけど、彼らの思いをくんで戦えるイメージをしよう」と。ただ、等々力にいざ入ったら、ものすごい数の仙台サポーターがいたので、その時はもう本当に感動しましたよね。それで「やらないといけない」とますます火がついたのを覚えています。試合前のミーティングでは「勝ち負けよりもまずは必死にプレーする姿を披露できればいいんだ」という話をしたのを覚えています。

 

©J.LEAGUE

 

—太田吉彰選手の同点ゴールも、鎌田次郎選手の勝ち越しゴールも、本当に気迫がこもったゴールでしたよね。いま振り返って、どのような思い出がありますか。

 

スポーツというものは人の思いで勝負が左右するものなんだなというのをあらためて実感しましたね。あのように人々の思いをくんで戦えば、それ以上の力が出せるんだというのを味わいました。あのスタジアムに来てくれたサポーターの思いもそうでしたし、震災で亡くなった人たちの魂も乗り移ったかのようなゴールだったなという気がします。いまでも本当にそう思います。

 

©J.LEAGUE
©J.LEAGUE

 

—そのシーズンは最終的に4位となり、クラブ史上例のない躍進を果たしました。また翌年はさらにステップアップし、2位にまで上り詰めました。冒頭で「準優勝で終わってしまった」という話がありましたが、震災が起きた過酷なシーズンを経て「さらに上へ」という気持ちを持ち、実現することは並大抵の苦しさではなかったと思います。

 

自分自身が監督に就任した時、5年以内にACLに出たいという目標を立てました。2011年にJ1で4位になった時にも、天皇杯の結果によってはACL出場の可能性があったんですけど、それが断たれてしまい、何がなんでもACLに出るんだという目標をさらに達成したくなりました。4位はクラブの歴史上最高順位で、それも震災の年だったので、選手たちにもやり切った感はありました。ただ、ここで僕がより高い目標を掲げなかったら、より高い成長を望めるクラブにはならないだろうなと思いました。だから次の年には「4位以上」という目標を新たに掲げました。

 

すると、そこで良いキャッチフレーズを耳にしました。「復興元年」と。それから社会的なニュースでも「ベガルタ仙台、復興元年」と謳ってくれて、これはもう一踏ん張りだなという気持ちにみんながなりました。復興に向けて本当に力を使える最初の年だなと切り替えられたのを覚えています。そして何より、開幕戦が鹿島アントラーズとの被災地同士の試合だったんですが、あの鹿島アントラーズにホームで勝ってみせたということが大きかったです。2011年も再開ゲームに勝てて、それも川崎フロンターレに勝てたということで自信と勇気を獲得できました。12年もそうやって好発進できたことが準優勝につながったなと思っています。

 

—サッカーの面に話を移すと、11年、12年の戦いはボールを奪いに行くアグレッシブなスタイルも印象的でした。震災を通じてレベルアップしなければならないという思いがあったんでしょうか。

 

やっぱり仕掛けたいという気持ちになりましたよね。まず、J2にいた08〜09年はJ1昇格のために堅守速攻という狙いがあって、10年はJ1残留のためにもそれを継続した中での戦いがありました。ただ、11年はまず「サッカーをやっていて死ぬことはないんだ」という話をしました。「なんぼ苦しくても死ぬことはないんだ」と。震災で亡くなった人のことを思えば、彼らの厳しい状況を思えば、「まずはぶっ倒れるまで走り抜け」というのが11年でした。そこで4位になれたということで攻守両面の自信が育まれましたね。そして12年は「もういっちょやってみよう」という気持ちで、どんどん受け身じゃなく、自分たちから仕掛けるんだというサッカーに変わっていったのをいまでも思い出します。ますますたくましく戦えるようになりました。

 

そこにいる人々の心が豊かになって、ようやく「復興」と言える

 

—リオ五輪代表、長崎を経て、ベガルタ仙台に7年ぶりに帰ってきました。いまのクラブについてはどのように捉えていますか。

 

J1で長く戦ってきてはいますけど、リーグ戦では常に残留という最低限の仕事をやれているなという感覚です。そういった中で、去年は成績不振、経営不振、不祥事が重なり、希望をこのクラブに見出そうとしていた方々の信頼をものすごく裏切る形になりました。そこで自分にオファーが来たんですが、ベガルタ仙台にしてみれば「希望の光の象徴としてやってみせよう」ということだと思います。

 

震災から10年が経って、途中で復興への思いが薄れた時代もあったと思います。クラブもJ1に定着しつつあり、なんとなくもう大丈夫だという気持ちが後退につながったような気がしています。実際、去年はコロナ禍じゃなかったら17位で降格していたはずですし、「今季は降格しない」という制度に甘えてしまった部分があったんだろうなと思うんです。

 

そうなった時に、ただサッカーチームを運営していけばいいというのではなく、本当に地域の生きがいになろうとする姿勢を忘れないで活動していかなければならないクラブなんだということを思い出さないといけません。それを怠ると、いつでも下に突き落とされてしまう規模のクラブだということをもっと謙虚に思うべきだと思います。だからこそ、今年はそういったクラブメンタリティーを取り戻させて、地域ともっとつながりを持つクラブワークをして、それを自分たちの力にしていかないといけないと思っています。

 

—復帰が決まってから、サポーターからの反応はどのようなものでしたか。

 

年末に長崎から仙台に帰ってきてから、とにかくおかえりなさいという言葉と、もっとベガルタを近くに感じたいという声かけをすごくされました。相当期待されているなと思いましたね。

 

—地域とのつながりという点で新たな気持ちも芽生えたのではないでしょうか。

 

地域が元気じゃないとクラブが元気にならないし、クラブが元気じゃないと地域が元気になりませんよね。監督をしていた時はよく「試合に負けたら、1週間暗いんだよこっちは!」って言われていましたね。そんな思いを伝えてくれる人のために勝たないといけないですし、そういう方々がもっとたくさんいるんだと認識して戦っていかないといけません。

 

—震災10年という節目に際し、仙台という場所で「もう一度がんばろう」といった機運を感じることはありますか。

 

ありますね。今回ベガルタの監督に就任する時、一番に要望されたのは「震災から10年」という節目のことでした。僕は「それなら戻らないといけない」と素直に思ったし、「復興、志半ば」というフレーズも自分の中にずっと残っていました。当時も被災地の情報を教えてくれる仲間から「あの地域はまだこれくらいしか復興してないよ」「あの人は親族が亡くなって前に進めてないよ」といった話を聞いていたんですが、あれから10年が経ってそれぞれの復興の進み方がある中で、まったく進んでいない人がいるということを認識しないといけないと思っています。また進む気がなくなってしまっている人も、動かしてあげることが大事だなと思っています。

 

いまは直接そういった方々と関わったり、触れ合ったりはできないかもしれませんが、自分たちは多少なりスポーツ界で取り上げてもらえる団体だと思っていますから、そういった人たちの心も動かさなきゃいけませんし、そういった人たちの心も動かせるという気持ちでやるべきだと思っています。復興というものは壊れた家がうまく建って、街が綺麗になったら終わりかというと決してそうではない。そこにいる人々の心が豊かになってようやく復興と言えると思います。震災から10年という節目で、目を向けないといけないのは被災地に住む人々の心です。チーム内では心の復興に対して、これから動いていこうと話しています。

 

©VEGALTA SENDAI

 

—そうしたいまも苦しむ人々については「風化」という問題も立ちはだかります。長崎の原爆に関しても戦争経験者が徐々に少なくなっているという課題がありますし、災害も同じだと思います。このあたりについてはどのような気持ちを持っていますか。

 

そういうものがあることをしっかり発信しないといけないと思います。10年経てば、しっかり復興が進んでいるんだとポジティブに言う人もいるし、まだまだ進んでいないと思っている人もいます。われわれのような団体はどちらの人たちのことも、しっかりと知っておかないといけない。実際にこうして人前に出て仕事をさせてもらう立場のわれわれが、いいところばかりに目を向けていいことばかり話すのではなく、困っている人々の状況も話して、関心のない人たちにも関心を持ってもらえるようにしていかないといけません。九州の長崎では原爆の語り部さんと出会いましたし、東日本大震災でも語り部さんはいます。ただ、語り部さんだけでやっていても、まだまだ足りないと思います。語り部さんから聞いた国民が思いをしっかり育んでいかないといけません。自分たちスポーツに関わる人間もサッカーだけの話ではなく、スポーツも国民の心を豊かにできるんだということで、サッカー以外の活動が非常に重要になってくると思います。

 

—長崎の選手で言えば、地元出身の鹿山拓真選手のように被爆地のことを積極的に発信する姿勢が印象的でした。

 

僕も長崎で感じたのは、戦争を知らない子どもでも、しっかりとその残酷さを学校で教えられてきていて、しっかりとそのことを心の中に刻んで生きているんだなということです。鹿山とか毎熊(晟矢)を見ていて、いつも感心していました。また東日本大震災に関しても、当時一緒に戦っていた選手とは「どのような思いで戦っていたか」という話をいまでもしています。

 

いまはいろんな情報を得られる世の中ですが、社会で起きる残酷な出来事については、スポーツをしている人の感受性が高まっているんじゃないかなと思います。サッカー選手はサッカーだけやっていればいいという風潮の時代もありましたが、Jリーグをはじめスポーツ競技者の社会貢献への意識は高くなっているなといつも感心しています。

 

やっていけるんだという可能性も示せるようなサッカーを

 

—そうしたことも踏まえて、今季はどのようなサッカーを見せていきたいですか。

 

まずそういう人々の心を掴もうと思ったら、待ち受けているだけのサッカーじゃダメだなと思います。力のある限り力を出し尽くすことは当然で、挑みの姿勢と仕掛けの姿勢、ゴールと勝利に向かってプレーするというエネルギーの伝わるようなサッカーをしないといけないと思っています。

 

—仙台のサポーターにとっても「テグさん、どんなサッカーをするんだろう?」という期待があると思います。どのようなスタイルで戦っていくかという展望はありますか。

 

攻撃の狙いのところで言えば、ボールを大事にするという部分はしっかりと表現したいなと思っているけど、それ以上に綺麗事とか上手さだけで、逃げるようなサッカーに見られちゃダメだなという危うさも感じているんですよ。なので、去年の成績を思えば、われわれはもう少し謙虚になって、タフにたくましく泥臭く食らいついていくようなサッカーもやる覚悟を持って、シーズンに入っていかないといけないなと。そこから一つ、二つ、三つ勝てた時に自信がついて、逆に対戦チームがわれわれに対して構えてくれるようになったら、いよいよ違ったベガルタが見られるようになるのかなというイメージを描いています。

 

—徐々に土台を築きつつ、シーズンを通して積み上げもしていくという形でしょうか。

 

いまの選手は技術力が高くなっていますから、フィジカルで押し倒すようなサッカーをしていても、日本サッカーの発展がなくなるなという気持ちも持っています。ベガルタ仙台に僕が復帰するとなった時、おそらく仙台のサポーターはあの当時のサッカーが脳裏に蘇ってきていると思いますが、そういった戦いもできないといけないと思うし、新しいチャレンジをしていく姿勢も伝わっていかないといけないと思います。いまこの時に希望の光になれたとしても、その先の希望も見えてくるかどうかというのもまた大事です。過去のものに期待している人たちには最低限そういった姿を見せつつ、その先の将来はもっともっとやっていけるんだという可能性も示せるようなサッカーを、シーズンの中盤から終盤にやっていければと思っています。そうすれば、より地域がベガルタ仙台に向いてくれるのかなと考えています。

 

©J.LEAGUE

 

◆手倉森 誠 (てぐらもり まこと)

1967年11月14日(53歳)

青森県五戸町出身。選手時代は住友金属、プロ化初年度の鹿島アントラーズ、NEC山形(現モンテディオ山形)でMFとしてプレー。1995年限りで現役を引退し、当時JFLの山形で指導者キャリアをスタートした。その後、99年に山形でJ2参入を果たし、2001年から移り住んだ大分ではヘッドコーチとしてJ1昇格に貢献。04年から仙台に加入し、08〜13年には初めて監督を務めた。14年からは五輪世代の代表監督を任され、16年のリオ五輪に参加。大会終了後はハリルホジッチ監督、西野朗監督の下でA代表コーチを務め、ロシアW杯でもベンチ入りした。19〜20年にV・ファーレン長崎を指揮した後、21年から仙台の監督を務めている。

 

2021年2月23日現在

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