2月15日の『東電テレビ会議49時間の記録』鶴岡自主上映会は皆様のご支援とご協力をいただきまして成功裏に終了致しました。多大なご支援を頂き誠にありがとうございました。大変遅くなりましたが当日の様子をご報告させて頂きます。

前夜からの記録的な豪雪で羽田空港は早朝からの便が欠航となり、6時55分のフライトで庄内入りの予定だった朝日新聞記者木村英昭さんは、羽田と東京駅を朝から往復して何とか鶴岡に来る手立てを必死に試みました。テレビやインターネットの情報は錯綜し、結局東京駅からその日、2本のみ運行された東北新幹線で仙台までたどり着きました。アワプラネット代表の白石草さんは予定では12時35分羽田発のフライトでしたが、欠航。木村さんの乗車した次の新幹線で仙台に1時過ぎに何とか到着しました。スタッフが仙台から高速バスを予約したのですが、乗車前に途中雪崩や事故で運休の知らせがありました。鶴岡からスタッフが車で仙台まで迎えに行ったのですが、山形市内に入る直前で、積雪のため交通止め。何十年も通っているがこんなこと初めてだと、身の危険を感じて引き返さざるを得ませんでした。木村さんと白石さんは何とかして山形市内まで、と思いタクシーに乗車したのですが、大渋滞と途中で通行止めにあい断念。山形市はさながら陸の孤島と化して近づくことさえできない状況でした。

12時の受付開始からまちキネのロビーは人々が集まり始めました。READYFORプロジェクト申請をしたときは、何とか80席を満席にしたい、でもできればその上の165席を目標に・・・と、約4時間と講師のトークの長丁場なので、どれだけ人が来て下さるのか皆目見当が付きませんでした。しかし上映の1週間前には165席を上回るチケットが売れたので手応えを感じました。実行委員が買った分は回収。当日券は1枚もありませんでした。皆の頭の中では当日いらして観られなかった方への対応策もよぎりました。当日は残念ながらあの大雪で来られない方が数十名おりました。

開会の挨拶(村田)

当日の会場の様子

講師が来られないまま、まちキネの会場では上映会開始です。急遽村田の古い友人でこの映画を観るために前日東京から鶴岡に来ていた、「原子力資料情報室」の澤井正子さんが前編上映前に解説をしてくれました。澤井さんは木村さんや、白石さんのことはよく知っており、この映画についても資料提供などで多くの協力をしています。福島原発事故後は原子力資料情報室のベテランスタッフとして全国各地を講演しており、全国の原発についても豊富な知識を持った方です。元国会事故調の田中三彦委員の協力調査員も努めました。澤井さんのわかりやすい解説のあと前編がはじまりました。

「原子力資料情報室」の澤井正子さん

事故当時と同じあの暗闇の中で5分割された東電のテレビ会議の様子が写しだされました。カメラは全く動かず人の動きと声だけの画面。大惨事を起こした企業のトップたちの会話が静寂の劇場に響きます。公民館などと異なり、商業映画館での上映は、渡辺監督曰く“ドキュメンタリーは声ですね”、と言わせるほど大画面の映像とその音声は迫力がありました。

映像は2011年3月12日午後10時59分から始まります。【誰がここから記録にとどめようとしたかは不明だが、それまで映像だけで無音だったテレビ会議記録は官邸に対する武黒一郎フェロー(元副社長、現技術名誉職)の愚痴から始まる】。“本店、武黒フェロー:ですから、非常に皆さん独特の雰囲気なのかな。「イラ管」という言葉があるけども。まぁ、とにかくよく怒るんだよねぇ。私も6-7回どづかれましたけども。あれから比べると、吉田君のどづきなんてのは可愛いもんだなと思いますけど”。 この日、午後3時半に第1原発1号機で水素爆発が起こり、3人が被曝しました。その夜の10時59分にテレビ会議でこんな会話をしているのには唖然とします。

休憩をはさんで再び澤井さんの解説のあと後編は3月14日午前5時32分のテレビ会議から始まりました。この時点で二人の講師は鶴岡どころか山形市内にも入れないのが確実となりました。ロビーではスタッフが何とかスカイプか電話回線をつかって音声のみでも後編終了後に二人をつないでミニトークができないか、検討しその準備を始めました。

テレビ会議の映像は緊迫した状況を映し出しています。3月14日6時42分、吉田所長が1Fの作業員を一時退避へ。11時01分、3号機原子炉建屋が爆発。1F吉田所長 “本店、本店、大変です。大変です。3号機、多分水蒸気だと、爆発が今起こりました”。【縦揺れが起きたとき吉田所長は何が起きたがすぐにはつかめなかった。水素爆発ではなく、水蒸気爆発といった根拠は不明だ】

後編終了後は澤井正子さんと実行委員の菊池さん、田中宏さんが壇上にあがり、仙台で待機していた講師の木村さんと白石さんとのミニトークが始まりました。仙台のメディアセンターと鶴岡のまちキネがうまくつながり、会場と講師の二人を交えて質疑応答が行われました。

 

ステージ上でスカイプでライブ中継

澤井正子さんと実行委員の菊池さん、田中宏さん

白石さんは、“メディアのみならず市民も一緒になって情報開示を求めていく事が必要で、さらに自分たちもクチコミも含めて情報を共有するのが大事です。当時、私たちは何を知らされ、何を知らされなかったか。1号機のメルトダウンの情報がありながら(注2)、炉心溶融、部分損傷などと言葉をはっきりと言わないままで事実を知らされませんでした。すべての情報は短時間で刻々と進んでいたにもかかわらず、住民はほとんどそれを知らされていませんでした。情報のギャップの大きさをこれを観て確認できました。不確定なものは隠そうとしている。それは現在までも続いている、と感じています”、と語りました。

澤井さんは“恐ろしいことはこの事故によって政府と電力会社は更に学んでいます。特定秘密保護法は、テロに関してだけと言っているのですが、今原発再稼働に対して新たな審査が始まっており、多くの情報がテロ行為に引っかかるようになっていて、隠蔽することが可能になっています。そうゆう状況が着々と進んでいます”。

木村さんは“情報は誰のものかを改めて考えるきっかけになれば。大事な情報は全く福島の人たちをはじめ市民には知らされていない。情報は誰のものか。原発を動かす事業者の責任は?撤退問題は数の問題と言葉の問題に論点が切り替えられてしまった。それは事業者としての責任を放棄したと同じことが言える。事業者としてこの重大な事故を諦めて逃げることが許されるのか。暴れる原発を誰が止めるのかを深刻に考えなければいけない。再稼働は住民避難などは全く考えられていない”。

また澤井さんは、近藤委員長(注2)が言うように東京までも非難しなければいけなかったかも知れないのを逃れられた、言い方は適切でないかもしれないが、これでも軽い状態で終わった事故の現状をちゃんと見極めないと。原子炉も制御できない。この映画が終わった3月15日の午前中は、風は南に向かい午後には北西に向かって飯舘方面に雨と雪となって放射能を降らせたんです。未だに事故の責任は誰もとっていない。風まかせで誰も責任を取れない。俺が責任を取るからベントやれと言っても取れるわけがない。俺の責任で再稼働って言っても現実は誰も責任を取れない。東電は事故の収束もできない。東電は柏崎の再稼働を急いでいるが、この雪で事故があった場合はどこにも逃げられない。閉じ込められたら終わりなんです。それが原発の事故なんです。原発事故にそなえるなんてことはできません。制御できないんです。本当に原発事故でなくても、あっという間に雪で閉じ込められて身動きできなくなるのですから。もし柏崎刈羽で事故があったら・・・庄内に放射能が来てこの大雪で避難できるわけがない。雪が降れば一緒に放射能が落ちてくるんです。私たちが逃げ場を失います”。

木村さんは、この映像は一時資料として49時間のうち、一般市民には今だに10時間しか公開していません。東電は頑なに拒否しているのをメディアの出せ出せキャンペーンでやっとここまでだしました。東電は市民を馬鹿にしているということの裏返しかと思っています。ジャーナリストももっとしっかりして更に公開を求めて行かなければならない。この映画は公開を前提として作られたものではないので生々しい会話はそのままです。レベル7の事故が事業者の側から記録された映像は初めてで、貴重な映像だと思います。

白石さんから、起こったしんどいものをしんどい形で観ていただいてそれに賛同していただいてありがとうございました。今日の感想を持ち帰っていただいて皆で共有していただきたいです。3年たって、日々の生活で忘れがちですが、今も危機的な状態が続いています。状況はほとんど変わっていません。こんなふうに雪が降ると福島原発の事が更に心配になります。皆さんの中でできることを周りの人達と共有して考えて頂きたいと思いました。

木村さん:新聞テレビ報道ではなく自分の目、耳で知って考える、ということが大事だと思います。今日は沢山の方が観に来てくれて本当にありがとうございました。

熱気にあふれた会場ではまだ質問したい方がおりましたが、時間の関係で5時30分に終わりました。澤井さんにはまだ話を聞きたい人たちのために急遽ロビーで澤井さんを囲んでトークコーナーが設けられ熱心に説明を聴いたり質問したりしていました。

◆ テレビ会議では住民の避難の事は言われていません。関係の町から問い合わせがあっても詳しいことは知らされていませんでした。この映像から東電は東電のことしか考えていない。それは上層部の目は常に株主に向いており、事故の処理は事業者、下請け、孫請けに丸投げ、の実態が明らかになりました。また、専門家は専門以外のことは分からないのでした。そもそも原子力発電所というものが事故を想定して設計されていないのではないか?となれば今議論されている再稼働はあってはならない事です。

原発事故から3年、脱原発のうねりは一時的な流れだったのでしょうか。最近の世論調査によると20%の国民が再稼働に賛成、とありました。事故が起きたとき、住民がどのように避難するか知らされない、事故が起こればまた同じような事が起こる、ということが頭を過ぎります。原発の安全神話によって再び騙されないように、私たちは賢くならなければ・・・と思います。

【アンケートより】見慣れない記録映画でしたが、3日間があぶりだされた貴重な映像でした。核とは共存できないことをもっと私たちは認識しなければならないと思いました。これからが私たちの真価が問われているように思います。澤井さん、木村さん、白石さん、それぞれ核心を突いておりとても良かったと思います。このような方々がおられることが、本当に私たちにとってありがたいことです。(60代女性)。この他、上映会を開催してくれてありがとうございました、と感謝の言葉が多数寄せられました。

(注1) 【 】の部分は「東電テレビ会議49時間の記録」(岩波書店)から引用
(注2) 5月12日に東電は1号機のメルドダウンを認める。24日には2号機、3号機で       
も認める。
(注3) 近藤駿介「原子力委員会委員長」。近藤シナリオ。3月26日、「東日本がなくなるぞ」という、事故は収束に向かっているという当時の楽観的な報道とは、全く異なる悲観的な予測が記されていた。

皆様の熱い関心が心にズシッと伝わりました。これからも庄内で原発に関する勉強会などを続けて行きたいと思います。希に見る悪天候のためとはいえ、上映会当日、両講師とお目にかかり、このドキュメンタリーについてのご意見・お考えを直接交わせなかったことは大変残念でした。今後、白石さんと木村さんと相談して改めて鶴岡にいらしていただける機会を作りたいと思います。その節には皆様にご案内させて頂きますのでよろしくお願い致します。

また更に詳しい報告をしたく、記録集の作成に取り掛かりました。できましたら皆様にお送りしたいと思います。

会計報告に関しては、別項目で会計報告を皆様にさせて頂きますので、よろしくお願い致します。

最後になりましたが、この度の皆様からのご協力・ご賛同に改めて深く感謝申し上げます。

『東電テレビ会議49時間の記録』を観る会 鶴岡自主上映会実行委員 一同