【木村汐凪ちゃんが見つかりました】

 

予想もしていなかった電話を木村紀夫さんからもらったのは昨年12月9日のことでした。いつも捜索をしていた大熊町の瓦礫置場から見つかったマフラーの中から、首の骨のようなものが出てきたと現場作業員から連絡を受けたということでした。マフラーの特徴から木村さんは、それは汐凪ちゃんのものの可能性が高いと思ったということです。

 

発見されたマフラー

 

ちょうどその翌日は、一時帰宅で大熊町に入る予定でした。電話をいただいた私はその時熊本にいましたが、最終の飛行機と電車で福島に戻り、皆と一緒に大熊に行きました。マフラーは汐凪ちゃんのものでした。その後続けた捜索で、近い場所から骨片が次々見つかって行きます。2週間後、DNA鑑定で汐凪ちゃんと判明しました。

 

 

【無念と怒り】

 

木村さんに笑顔はありませんでした。この津波瓦礫は、2011年、震災から2か月経ってようやく初めて行われた大熊での自衛隊の捜索時に集められたものです。当時極めて高い放射線量のために、その捜索も2週間ほどで終わりました。その時に汐凪ちゃんは気づかれずに、瓦礫と一緒に運ばれたと思われます。そしてその捜索の後は現在まで、きちんとした大規模な捜索は一切行われていません。なので5年以上もこの瓦礫置場もそのまま手付かずで放置されていたのです。この瓦礫の中に、バラバラになって6年近くも埋もれていたーーー。それを考えるだけで、娘に申し訳なく、やりきれなく、そして怒りが湧いてきたと木村さんは話します。

 

小さな骨片も見逃さないために、土をふるいにかけての捜索が続く

 

 

震災当時も、その後も捜索ができなかった原因は、原発事故であることは間違いありません。「どうしたって、生きていたかもしれないって考えてしまう」、と木村さんは言います。

 

木村さん、福興浜団が続けた瓦礫置場での捜索(2015年)

 

【なぜここまでかかったのか】

 

そして今、以前上野敬幸さんが大熊での捜索活動中に言ったことが胸に響きます。「海に流されたんでなければ、絶対見つかるから」。膨大な瓦礫の山を前に、気が遠くなる作業を続けていた時の言葉でした。それゆえに、もっと早く国が動くなりしていれば、ここまでずっと野ざらしのまま放っておかれることはなかったはずです。

 

捜索現場にそえられた花

 

【ごめんなさい、も言えない社会】

「素直に、ごめんなさい、も言えない社会になっちゃんたんだろうね・・」。木村さんがポツリと言った言葉です。汐凪ちゃんが見つかったと言うニュースが流れても、国も東電も謝罪どころか何も言ってこないと言うことを話していた時のことです。謝ってしまえば責任を認めたことになってしまう、そういうことが蔓延して一言謝ることすらできない。同じことを言える他の問題もかなり頭に浮かびます。大川小でも、市や県は現在まで謝っていません。責任がどうあれ、真摯に謝り、できる限りの事をし、二度と起こらないように行動していれば、まるで問題は変わっていくはずなのに。悲しい社会です。

 

 

【追加取材を行いました】

写真集にもいれさせていただきたいと思い、急遽12月から1月終わりまで、汐凪ちゃんが見つかってからの事を取材させていただいていました。内容は写真集に反映するつもりです。

 

【記事も出させていただきました】

Newsweek日本版 2017.1.31号(1月24日発売)に、今回のことを含めた木村さんや大熊での捜索のフォトストーリーを掲載させていただきました。よろしければご覧ください。

 

 

 

 

 

 

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