エイズと共に生きる、ウガンダの若者の未来をつくる職業訓練を!

 

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こんにちは。門田です。

 

前回は私がどのように生き方を決めたのか、生い立ちをお話ししました。

 

>>わたしが活動する理由 「第1章 13歳のわたし」 はこちら

 

今回は、そんな私の、衝撃的なエイズ孤児との出会いを、お話したいと思います。

 

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▼第2章 エイズ孤児との出会い

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◆大学生の時、国際協力との運命的な出会い

 

私はいじめを克服し、生き方を決め、

高校卒業後、武蔵野大学人間関係学部に入学しました。

 

ある時、平和学の授業を受けます。

そこで初めて知ったのは、

私たちが食べているもの、着ているものの多くは外国から来ていて、

例えば、私が今朝食べた格安のバナナは、フィリピンで子どもたちが、

学校にも行かずに作っているかもしれないこと。

 

これまで関係ないと思っていた、

テレビ画面の東南アジアの貧しい子どもたちが、

私の生活の犠牲者だったんだ。。。大きな衝撃を受けました。

 

それからフィリピン、ケニアなどに子どもたちの支援のために、

ボランティアとして訪れるようになりました。

フィリピンの孤児院
始めての国際ボランティアはフィリピンの孤児院でした

 

◆エイズ孤児との出会い

 

ケニアのある孤児院で、一つのベッドに並べられた赤ちゃんたちに出会いました。

 

この子たちは、親がエイズで亡くなってね、ここに連れてこられたんだよ。

エイズ孤児、っていうんだよ。

エイズ孤児を、みんな嫌ってね、引き取る親戚もいないんだよ。

この孤児院に来た子は、ラッキー。

エイズ孤児の9割は、何の支援も受けていないんだよ。

 

そう説明を受けました。

 

親がいないだけでも大変なのに、、、

「エイズ孤児」といじめられて、みんなに避けられて。

小さなエイズ孤児の手
​子どもたちの小さな手を取ると、「守りたい」と素直に思えました

 

その時思いだしたのは、中学生の私でした。

 

―私がいじめられたとき、家族が居場所だったけど、

 この子たちには、その居場所さえないんだな。

 

 

ケニアから日本に戻り、2005年、大学院の1年生の冬、

エイズ孤児支援NGO・PLASを立ち上げました。

 

人脈も、経験も、お金もない。

あるのは情熱だけ。

​「何かしたい」という、情熱だけで走り出した

 

そして、アフリカのウガンダで待っていたのは、、、

想像を絶する困難の連続でした・・・

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ここまで読んでいただきありがとうございます。

 

次はアフリカのウガンダで危険と向き合いながら、

学校を建てようとするお話をしたいと思います。

 

第1章を読んでいない方へ、

>>わたしが活動する理由 「第1章 13歳のわたし」 はこちらです。

 

 

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★このプロジェクトが成立して、彼らに未来を切り拓く力を届けられるよう、応援をよろしくお願いします!★

 

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