支援総額
目標金額 300,000円
- 支援者
- 33人
- 募集終了日
- 2014年11月22日
精練作業。芋こじ会。
精練作業。
和田さんも、メモを取りながら体験しました。
前回載せた、長野での教訓を生かして、灰汁を多めに持っていきました。
今回は、カセットコンロを使用して糸を煮たために、温度の調整がむずかしかったのですが、火の番をしてくださる方がいたので、撚糸との同時の作業でしたが、どうにか精練できました。
練り終わり、水で洗った時には、そうめんみたい! 春雨みたいと!歓声があがりました!
自分は、思ってもいなかった反応にびっくり!これで、絹糸になりました。
初めての作業の連続なので、まだなの?まだあるの?と反応は様々。
出来上がった糸を前に、「真剣に取り組みたい。」と言っていただけて、嬉しかったです。
最終日は、芋こじ会に参加させて頂きました。
芋こじ会とは。 浮船の里のホームページから、貼り付けさせていただきます。
芋が磨き合うように、人が磨き合う場。
それが「芋こじ会」です。
浮船の里では、毎月、月末の土曜日に、原発被災者のための話し合いの場、「芋こじ会」を開催しています。
「芋こじ」とは、「芋をこじる」の意味で、桶の中に里芋と水を一緒に入れ、棒や板でかき回すことを言います。こうすると、芋同士がぶつかり合い、こすれ合って、うまい具合に汚れが落ちます。
芋が互いを磨き合うように、人も互いに磨き合うことができます。ただし、ぶつけ合うのは思いや気持ちやアイデア。つまりは、話し合いです。話し合いを重ねる中で、人は、問題の本質がわかり、気持ちの整理がつき、前向きな気分になって、アイデアを思いつくのです。
浮船の里では、住民同士の話し合いの場を「芋こじ会」と名付け、2013年4月の設立以来、毎月、行なってきました。お蚕様を飼おう、絹織物をやろうというアイデアも、「芋こじ会」の中で生まれ、形にしてきたものです。
相馬とゆかりの深い二宮尊徳にちなんでいます。
江戸時代の農政家・二宮尊徳は、疲弊した農村の復興に尽力した人で、その生涯で600余の農村復興に関わったと言われています。
農村の建て直しに際し、尊徳が必ず行なったのが、農民同士の話し合いの場を設けることでした。農民達は、話し合いながら、復興に向けて力を合わせていったのです。その話し合いの場を、尊徳は、「芋こじ」と呼んでいました。
相馬地方は二宮尊徳との縁が深く、相馬中村藩では、藩領内226村のうち、101村が、尊徳の教えに従った復興に取り組んでいます。
相馬藩下の農村が復興したように、私達も、何とか立ち直ってゆきたい。そこで、二宮尊徳にあやかり、住民同士の話し合いの場を「芋こじ会」と呼ぶこととしたのです。
長くなりましたが、これが芋こじ会です。
当日は、午前中に話し合いをして、お昼を食べて解散というもの。 今回で16回になっていました。 話し合いの中で、住民の方が様々な問題を話しあっていました。
子供たちの将来の話。避難して4年が経とうとし、避難先での生活がすでに当たり前になってしまっている中での、今後。 避難先の線量が小高よりも高い場所もあること。 農作物の線量。ただ聞くことしかできませんでした。
震災後、小高の皆さんが経験したこと、今も続いていること。 どんなに分かろうと努力しても、自分は被災していない、経験していない。有りと、無し。でもだからこそ、支援が出来る。 なんとも難しいですね。
芋こじ会のあとの、お昼。 鍋が出ました。 使われた野菜は、ほとんどが小高の農家の方が作った作物。 震災数年前から、有機農法を始めたとの事。震災後も1年間は、畑をしなかったがその後は、毎日畑に通い畑、稲作をしていたとの事。
作物からは、線量は出ていませんでした。 ある実験の結果ですが、化学肥料の畑の作物からは線量がでて、有機畑の作物からは線量が出なかったそうです。
土に元気があると、土がセシウムを吸着し、植物に移行しないのではということでした。
鍋料理は、おいしく頂きました。 沢山のお土産も頂いて。
リターン
3,000円
お礼状
活動報告をブログにて報告
繭織工房の小さな小綛(藍染め、天然染織のため色は写真と異なる場合があります)
- 支援者
- 20人
- 在庫数
- 制限なし
5,000円
お礼状
活動報告をブログにて報告
進め!小高ピンバッジ
- 支援者
- 4人
- 在庫数
- 制限なし
10,000円
お礼状
活動報告をブログにて報告
進め!小高ピンバッジ
繭織工房のミニ糸かけ曼荼羅(まんだら)写真は一例です。どんな色合いかは、お楽しみ!
- 支援者
- 12人
- 在庫数
- 制限なし
100,000円
お礼状
活動報告をブログにて報告
進め!小高ピンバッジ
繭織工房のストール
- 支援者
- 1人
- 在庫数
- 完売