プロジェクト概要

沖縄の離島、久高島での戦前の暮らしぶりを

絵画を通して来年4月に控えた展示会で発表をしたい

 

はじめまして 、10年前から沖縄県内で絵画・作家活動をしている山崎紀和と申します。現在、沖縄本島の離島である久高島(くだかじま)というところで、島のお年寄り方から昔の暮らしを聞き取りし、絵に起こしてゆく活動を続けています。

 

今回、写真には残っていない久高島の戦前の暮らしを作品にして、来年4月に那覇市にある桜坂劇場での展示会にて発表します。もしよろしければ自身のwebページもご覧下さい!

 

しかし、作品の制作に必要な画材や印刷資金、展示場所までの作品の輸送費が足りません!戦前の暮らしを多くの方々に知ってもらうため、そして久高島のおじい・おばあに喜んでもらうために、どうぞご協力お願いいたします!

 

(最終的にアクリル画になります。

※こちらは水彩・クレパス画)

 

 

自分の好きなことをして暮らしていきたい

そう思って訪れた島で、絵を描く活動を始めました。

 

2006年に沖縄に訪れ、その当時から久高島に日帰りで尋ねたりしながら、2010年から本格的に東京から移り住み始めました。泊まれる家がなかったので、キャンプ場での生活からスタートし、そのうち家を貸していただけるようになり、現在に至っております。約2年前、島内にあるNPO法人久高島振興会の発案で「島の地図」を作ることになった時、どうせならば観光用ではなく、民俗学的資料に資するようなものを作りたいと提案をした結果、全面的に任せてもらえることになり、島の全体図を描き、それを手に地名の聞き取り調査に臨みました。

 

 

(「コトー先生」の舞台のような、自然豊かで美しい島です。)

 

 

久高島での戦前の暮らしぶりを知っている、

島のおじいおばあたち。

 

沖縄はサンゴのリーフが発達しているため、そういった海域にも地名が存在します。そしてこの島にも海の地名が無数に存在することを知りました。それらの地名を島のお年寄り方から聞き取りと現地確認を続けるうちに、その場所での想い出話、という膨大な副産物を得ることになり、いつしかこの、「想い出の中の世界」を、絵にできないだろうかと考えるようになりました。

島のお年寄りはだいたい80代後半から90代前半です。みなさんどこまでも優しく純粋な方々です。戦後も70年が経って聞き取りの対象となる方々も高齢化が進んでいます。このままのペースでは間に合わない、そう思ってこのプロジェクトを立ち上げました。

 

(今では殆ど作られていない麦や大豆、

港に消えてしまった砂浜などの話を聞いてみたり。)

 

 

戦前の想い出話を聞いていく中で、いつしかその想い出の世界を

絵に描き起こし、残してゆくことができないかと考えるようになりました。

 

この活動に本格的に取り組むきっかけとなった「戦前の灯台」のはなし。「昔の灯台はね、木の電柱を三本組んで、梯子みたいに角材を打ち込んで…」というおじいの話を聞き、それをスケッチブックにエンピツで描き起こして、見せにいったんです。そうしますと「そうそうこんな感じ、もうすこし梯子の段が少なかった」と具体的な話に。「上には灯油のランプを載せていた、どのようなランプだった、かたちはこうだった、ああだった…」というのを描き繰り返して、人々の記憶を元に、どんどん解像度を上げていく。そして写真には全く残ってない灯台の姿が浮かび上がりました。

 

 

(戦前の暮らしを聞き取りながら、絵に起こしていきます。)

 

 

もしかしたら記憶の中にある世界を、
絵だったら再現可能ではないか…という考えに至ったのです。

 

後日、古道具屋で奇跡的に話していたのと同型であろう灯油ランプをみつけ、大枚をはたいて購入し、おじいに見せにいったら「はいはい!これこれ!いやーなつかしいねえ!」と。そして現物のランプは、聞き取りで絵に起こしたランプとほぼ変わらなかったのです。この手法で、写真には残っていないおじいおばあ達の世界を、絵の中に蘇らせることができるんじゃないか、と思ったのです。

 

(白砂の上で沖縄相撲を取る子供達。)

 

 

「懐かしい」という感情は、人間特有の感情
掻き立てるのは人との会話と「絵」という表現

 

聞き取りをしているとき、おじいおばあ達の目は輝きだします。わたしは、このビー玉のような輝いた目を見たいがためにやっているところもあります。もちろん普段から輝いた目をしているのですが、より一層、という意味で。昔の暮らしを絵に描き残すことは、当時を生きた方々に「懐かしさ」という喜びの感情を抱いてもらえると思います。

 

(家を作った話。船を作った話。

懐かしく当時を語る人々の輝きを見たい)

 

 

味噌は手造りでした。酢も手造りでした。塩も。もやしも。

この暮らしぶりを下の世代に伝えてゆくことは、
計り知れない価値のあることだと思うのです ーーー

 

おばあのお父さんが植えた六本の琉球松、その木陰はマキ拾いの帰りの休憩場所でした。マキで煮炊きをし、普段は芋(内地でいうサツマイモ)を食べ、正月には豚をつぶしました。魚は、芋を餌に、入れ食いでした。集団で漁にでたとき、小さな群れは無視しました。急な時化にあい、いのちからがら島に戻ってくると、灯台のほのかな明かりが視界にはいり、みなバンザイしたはなし。一言では申し上げられないのですが、この活動には昔の暮らしを顧みるだけでなく、ひとことでは表現しえない未来へのヒントが詰まっていると思うのです。島の方々の喜びにもなりますが、より一層大きな社会的意義のようなものを感じています。

 

(制作風景)

 

 

写真にはない記憶の世界を描き起こすことは、

手間を惜しまない映画作りに近い創作のプロセスです。

 

聞き取りにあたっては、農業の知識・経験、大工の知識・経験、海の知識、時代背景の知識、多少の方言の聞き取り能力が必要とされ、考えぬいてから質問するなど地道な作業です。また、会話ではにっちもさっちもいかなくなることもあり、そんな時は昔の写真集を見てもらったり、建物の簡単な模型や草の葉・小枝を持っていってミニチュアを作ったりします。穀物を脱穀する場面を描くには、その穀物がどのように収穫されて、最終的にどのように使用されるかという一連を調べ上げ、その場面で身に着けているもの、使っている道具なども細かく調べます。作図には映画作りに似た根気強いプロセスがあります。

 

(北の岬へ続く道、左右にクバが生い茂る。)

 

 

戦前を知っている人も知らない人も、

あらためてその暮らしぶり見つめてみる。

そのきっかけを作るために、応援をよろしくお願いいたします!

 

今回の展示会のお話は、売り場の担当の方から提案されたのがきっかけです。8〜9年前から常設のショップ内でポストカードを販売させていただいております。また、来年の4月で私が沖縄に来て丸10年という節目を迎えることになり、桜坂劇場での展示企画を実現します。そして終わった後は、その展示作品を持ち帰って島のみなさんにも見ていただき、最終的には久高小中学校へ寄贈します。戦前の暮らしをより多くの方々に知ってもらうために、島のおじい・おばあの笑顔のためにも、どうかご協力お願いいたします。

 

 

 


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