支援総額
目標金額 900,000円
- 支援者
- 33人
- 募集終了日
- 2015年10月15日
吉野熊野国立公園の誕生秘話
『吉野熊野国立公園の父、岸田日出男』
来年2016年、指定80周年を迎える「吉野熊野国立公園」。
この公園を作るために奔走した人物が『岸田日出男』です。この人物がいなければ、吉野熊野国立公園は存在しなかったかもしれないし、指定を受けて、原生林の保護がなされていなければ、大規模伐採もされていて、世界遺産登録なんて、ありえなかったかもしれない。吉野熊野にとって重要な存在が岸田日出男です。
(プロジェクトXの音楽が自然と頭に流れます。)
“吉野熊野国立公園の父”といわれる岸田日出男(1890~1959年、高見村生まれ※現吉野郡東吉野村)は、大正時代初めには奈良県庁の林務課・観光課に勤めていました。この頃、環境・自然保護の考えなどは皆無に等しく、岸田氏もこの頃は「原生林は無用の長物。もっと経済的に利用しなければならない」と考えていたようです。
しかし、1916年、ある講演会で「吉野群山は山こそ低いが史蹟名勝天然記念物が豊富で、日光山と並ぶ我が国の二大名山だ」と聞いて感銘を受けます。岸田氏は、その後の全生涯を吉野群山の自然保護に捧げることになりました。
それから1922年、内務省が全国の国立公園候補地資格を調査しようします。
このときの調査対象は大台ケ原だけでした。
大台ケ原だけではなく、大峰山脈をなんとか国立公園にしたいと、岸田氏は「原生林の美しい大峰山脈と豊かな熊野海岸を合わせれば、すばらしい国立公園ができる」と考えました。エリアは奈良・三重・和歌山の3県にまたがることになりました。
岸田はこの地域を国立公園に指定するため、並々ならぬ苦労を重ねました。
三重・和歌山の協力も得なければならなければなりませんでした。また、山と言ってもその土地の持ち主はいろいろあり、公園に指定されてしまったら木の伐採ができなくなると、反対する林業家も多くありました。岸田氏は理解を得るために奔走し、三重・和歌山両県の了解を取り付け、1931年、3県合同の「近畿国立公園期成同盟会」を作りました。その後も山の持ち主の人の理解と了解を得るために奮闘し続けました。
そしてついに1936年、「吉野熊野国立公園」の指定を受けることができたのでした。
その後も岸田氏は観光ガイドブックの編集に携わるなど、吉野熊野の総合開発による大規模な原生林の伐採から自然を守るために力を尽くしました。
「岸田日出男顕彰碑」が、日本百名山で有名な大峰山脈の山上ガ岳(1,719m)の西ノ覗き岩から50mほど歩いたところの登山道脇に建っています。女人禁制の結界門の向こう側にあるから女性は見られませんが、山上ガ岳を訪れた際にはぜひともお会いしたいものです。
後世に豊かな自然を残してくれた吉野熊野国立公園の父、岸田日出男さんのお話でした。
リターン
3,000円
・サンクスレター
・HPにお名前記載
・よしくま?ステッカー2枚の引換券
- 支援者
- 5人
- 在庫数
- 制限なし
10,000円
・サンクスレター
・HPにお名前記載
・山岳写真家小島誠孝氏のポストカード
・よしくま?ステッカー2枚
・半世紀ぶりの復刻!限定「猪笹王の護符」2枚
- 支援者
- 23人
- 在庫数
- 制限なし
30,000円
・サンクスレター
・HPにお名前記載
・山岳写真家小島誠孝氏のポストカード
・よしくま?ステッカー2枚
・半世紀ぶりの復刻!限定「猪笹王の護符」2枚
・感謝イベントへのご招待券(和佐又山ヒュッテでのキャンプファイヤーまたは巨木巡りツアー)
※2016年4月〜6月にかけて2回開催。ご予定に合う方へご参加頂けます。
- 支援者
- 3人
- 在庫数
- 制限なし
30,000円
・サンクスレター
・HPにお名前記載
・山岳写真家小島誠孝氏のポストカード
・よしくま?ステッカー2枚
・半世紀ぶりの復刻!限定「猪笹王の護符」2枚
・地域特産品詰め合わせ(有機野菜・こんにゃく・わさび製品など)
※中身は選べません
- 支援者
- 5人
- 在庫数
- 制限なし