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元看護婦の母が〝命〟というテーマに対峙した脳腫瘍闘病記を本に
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支援総額

346,000

目標金額 1,500,000円

支援者
15人
募集終了日
2019年6月28日

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2019年06月20日 08:06

本文の一部抜粋を紹介します<8〜終>digest

5月1日(日)晴

いつしか春は過ぎ、もう初夏の日和だ。

去年11月、余命宣告を春までと言われた母が、今、夏をま近に迎えようとしている。

 

「今日はシュークリームを買ってきたよ……」

大きな口で2口ほおばったあと、〝 もういらない 〟という表情をしたもので、クリームだけを指につけ、母の口へ運んだ。

赤子が母親の乳房を欲しがるように、 美味そうに私の指をなめる。何度も口を開け催促し、母は私の指を吸った。そんな母を愛おしく思わずにはいられない。

その昔、母も私をこんなふうに見つめていたのだろうか。

 

 

5月4日(水)晴

母は毎年この日を楽しみにしていた……。アルプスあづみの公園の恒例「早春賦音楽祭」へ行くことだ。大勢のアーティストたちの演奏や歌を聴くために、押し車で広い公園内を一日中歩いて回り飽きなかった。

無論、今年は行けない。既に母の身体はほとんど自力で動かず、今日のように陽だまりの窓へ車椅子で来る事さえ希になってしまったから。

けれど、このところ、何故だか穏やかな気分に浴しているように見える時が間々あり、思いがけずも私の気持ちまで和まされる。

 

突然、母が私の手首を強くつかんだ。その手に私もそっと手をかさねると、母は何も言わず涙をこぼした。その涙の意味を確かに図るは難きけれど、母は今とても大切な時を過ごしている。おそらく、この小さくも愛おしい幸いが、指から落ちる砂のように消えていくのを惜しんでいるのだろう。 

櫛の歯が欠けるように、脳腫瘍という悪魔は母の頭から少しずつ大切な物を奪ったけれど、その代わりに安息への道程をくれた。

 

     のどやかな 陽だまりつつむ

        窓におり

     ふと涙おつ 慈しき瞬間(とき)

 

 

5月21日(土)晴

食べるも歯磨きも、母は一向に口を開けてくれない。私は、少しでも母にしっかりして欲しくて、半ば強引にスプーンや歯ブラシを突っ込む。

分かっている、これがエゴでしかないという事は。止まってしまったオルゴールのゼンマイを巻きなおすようにはいかないのに……。けれど、そうせずにはいられない。

 

 

5月24日(火)晴

出し抜けに母は癲癇(てんかん)のような発作をおこし、初めての光景に私はひどく狼狽した。

今日は、ほとんど食事を受け付けず、仕方なく、ベットに横になりながらミカンゼリーを食べさせた。大きな口で最初の一口をゴクンと飲み込み、二口目のサジを口に運んだその瞬間のことだった。

 

 

6月20日(月)晴

母の口へ運ぶアイスクリームのサジがキラッと陽に光った……。

不意に、昔、高校の学食で目にした一瞬の光景を思い出した。窓辺の彼女が、向かい合った友達に笑顔を向けながらカレーライスを食べていた時のこと……。あの眩しさは今も鮮明に瞼に焼き付いている。

 

母は、いつにない旺盛な催促で何度もサジを求めた。

「旨いかい……。季節限定の生イチゴアイスだよ……。明日は、お母さんの好きな小豆のミゾレを買ってくるからね……」

いつの間にか、カップの半分ほども食べてしまった母に、「おっ、今日はすごいじゃん……」と、声をかけた。

 

     一瞬の サジの光に

       よみがえる

     あの切なさは 今に似ている

 

 

6月21日(火)晴

「今日は約束の小豆アイスだよ……」

ところが、母は一向に口を開けようとしない。昨日はあれほど喜んで食べていたのに、どうしたことか……。無理に口に入れた一口さえ、自然に溶けるに任せているだけで、あとは、かたくなに嫌がるばかりだ。

ゴックンが辛いのか、それとも、味という刺激自体が負担なのだろうか。

そして以後、一切の飲食を欲しなくなってしまった。

 

     また一つ 母の最後が

        忍び寄り

     不帰(ふき)の仕舞いの 足音おそる

 

 

7月6日(水)晴

廊下で赤木師長とすれちがい、少し話をした。

 

赤木「今は落ち着いていますけど、この間の無呼吸のように、いつどうなってもおかしくない時期に来てしまっています……。

そうは言っても、一般的に、ガンや脳腫瘍の人は皆んな痛い痛いって苦しむはずなのに、お母さまは不思議と呻き声一つ上げないで、いつ見ても穏やかな顔していらっしゃるのは本当に幸せだと思いますよ。

それは、これまでお母さまが生きてこられた姿の現れではないでしょうか。看護婦として、人のため世の中のためって常に生きてきた、優しい人だったからなんだろうなと感じます。」

 

そうだ、数え切れない数の出産に立ち会い、この世に生を産み出す手伝いをしてきた母の最期が、辛く苦しい非命の最後であるわけがない。なのに私は、何を案じているのだろうか。何も不安などない。善い生き方をした人は善い死に方をして、そしてまた善い産まれ方をするに違いないのだから。

 

 

9月8日(木)雨

秋の秋霖(しゅうりん)……

いつの間にやら暑い夏は過ぎ、もうこんな季節になってしまった。

シトシトと降る雨の音が、私の気鬱をいっそう強くさせる。

けれど、こうして母の顔を眺めている時だけは、しばし気分の落ち着く刹那である。

 

 

思考能力の有無は既に疑問……と、言われた母が、今こうして歌っている。左足で拍子をとり、心の中で懸命に歌っている

母のお気に入りは、森繁、美空、古賀、小鳩……と、数ある中、反応が顕著なのはやはり倍賞千恵子が一番のようだ。

こんな母を見ていると、終末期という引導(いんどう)を渡されたのも忘れてしまいそうだ。

高瀬医師の予見は、幸いにして当たる気配を見せない。

 

 

9月28日(水)小雨

夜になり兄が来た。「お母さん俺だよ、和雄だよ、おい分かるか……」。十秒ほどして、「あー、あー」と、目を閉じたまま返事をした。それからさらに数分、僅かに薄目を開け、兄の姿を認めた。「和雄だよ、分かるかい……」、兄の問いかけに瞬きで答え、すぐにまた目を閉じた。たった数秒の対面ながら母は喜んでいるに違いない。

 

 

10月5日(水)晴-雨

28年前、昭和最後の年……。曲がりなりにも29年連れ添った母と父が離婚した。おそらく、これはその秋の事。

新潟で一人暮らしをしていた祖母を久しぶりに母が訪ね、その時の様子を母はカセットレコーダーに録音している。

きっと、母自身でさえとうに忘れていたであろうそのテープを、母に聴かせるべく勇み持ってきた。

実家の居間で2人〝 ちゃぶ台 〟をはさみ、食事をしながら実にたわいない話をしているだけのものを、いったいどうして母が記録に残そうと考えたのかは想像に叶わないけれど、どうしてか今日は、それを聴くための万端の準備が出来ている。

先刻から母は、近ごろでは珍しいほどしっかりとした顔つきで、なぜだか大きく開いた目を輝かせて何かを待ちわびているようでさえある。

戦中戦後の古い話から別れた父への愚痴、それから私たち子供の心配等々。そして、それに一つ一つ親身に応える祖母の声。母は、祖母の写真を見つめながら一心に傾聴している。

その集中は10数分つづき、しばらく目を閉じたかと思えば再び目を開けるを繰り返した。

 

何もかもが不思議でしかない。母がこれを残し、私が見つけたこと。それが今であったということ。昨日までは目さえ開けられなかった母が、今日はこんなにもキラキラする瞳を見せていること。そして、母が言いそびれていた言葉がここにあるということ。

 

 

10月6日(木)風台風

雨はさほどでもないが、風ばかりがひどく強い。けれど私の心は、逆に凪(なぎ)模様で穏やかである。ここしばらくの気ウツが嘘のように晴れているのが不思議だった。

以心伝心……。その気持ちは母にも分かるのか、今日もまずまずご機嫌の様子で私を見る。

その顔に「いい夢でも見たのかい」と、問えば、「ぁー」と、小さく答え、私の手を強く握った。 今日は、何より平和な日である。

 

 

10月7日(金)快晴

親の生が永遠でなきは必然、子より先に逝くも道理、愛別離苦《あいべつりく》が免れ難きも必定。そう納得はするものの、未練おびただしき也。

 

今に思えば、昨日までのあの数日は燃え尽きる前の蝋燭《ろうそく》の火のようであった……。昨日の台風のおかげで、雲一つなくなった秋空へ母は静かに昇っていった。その顔は、本当に眠っているように穏やかで、微塵の苦悶もなく自然と息を閉じた。

 

野辺送りの装束は大好きだった看護婦の白衣を着せてあげ、死化粧はなれぬ私の手でした。そして、最後の瞬間を看取ってくれた赤木師長が、ナースキャップを母の頭へつけてくれた。

午後1時40分……、高瀬医師が私の手をとり、そっと母の手へいざなった。

 

 

     忘れまじ 昨夜 掴みし

        手の温み

     されど今日《いま》の其《そ》 なぜに冷たや

 

母は、死への恐怖を覚えず、生への無用な執着も捨て、ひたすら静かに終焉を迎えた。

 

 

母は、自分が死んだら声をかけてね……と、言った。言われたとおり、私はいつも母へ話しかける。

とりわけ、車を運転する私の左後ろの席には、いつも母が座っているような錯覚を感じる時が間々ある。

見えずとも、語らずとも、確かに母はそこにいる……。

 

個人的に親交をもたせていただいている、或る老人が言った……。

「〝死〟は最後ではなく、それは〝無〟になることではない。大切な人とは必ずまたどこかで再会するし、途上の計画はきっと達成されるでしょう……」

その方は神経内科をご専門とする医師であり、かつては大学の医学部で教鞭をとっておられた教育者でもある。

 

世界中の全ての医者は、生きるための医療と学問をする。しかし、その人は「死ぬための学問」が大事だと説く。それにより、生きる充実感が違ってくるのだと。

特にドイツでは、小学校の時から「死への準備教育」というものを施すらしく、〝死〟について学ぶことにより〝生きる〟ことの尊さを識り、〝命〟の大切さが分かるのだそうである。

 

「亡くなられたあなたのお母さまの命も次の命に引き継がれ、おそらく、前生で近しい関係にあったあなたの所に現れるかもしれませんよ。例えば、あなたの子供になって……」と、その人は真顔で言った。

 

「つまり〝輪廻転生《りんねてんしょう》〟のことですか……」と、尋ねると、輪廻転生は既に科学的に証明されつつあるのだと言う。

昔、私が高校生の時、「カルマの法則」(五島勉 著、生命の生まれ変わりや阿頼耶識《あらやしき》などについて書かれたもの)という本が仲間うちで流行った。「ノストラダムスの大予言」の著者でもあるその作家は、後に〝人心を惑わすオカルト〟だとペテン師のごとく揶揄されたが、そのようなものが、今では(特に欧米において)医者や識者の間で否定しえない事実と言われるようになっているとは、驚くよりない。

 

論説の真偽を確かめる術《すべ》は無論にして私の手にはない。けれど、人は皆の記憶から消えて忘れられた時、二度目の死を迎える……と、言われるように、いつまでも、いつでも、母のことを思い出し、覚えていてあげたいと思う。

 

 

 

<結文より>

母は目蓋に眩しい秋晴れの青い空を感じながら逝った。そう、死ぬなら今、今日しかないと念じたのだ……。

親の死に目に会えるとか会えないと言うけれど、心底それを望むのは、逝く前の親の方であろうかと思う。この世の最後に見るべきものは、自分が生きた証しである子供の姿であり、それを目に焼き付けて死門へ向いたいと念望するはずだから。

 

 

幼い日に聴いた童謡や子守唄のような本をつくりたい......。

そんな想いで書き進めてきた母の手記を終え、今ようやく筆を置くに至りました。

母親との思い出や故郷の記憶は皆んな様々で違っていても、あの懐かしい歌に触れる時、不思議と誰もが同じ情景と郷愁を心に見ることが出来ます。

そんなふうに、このささやかな物語が、誰かの心を慰め励ますことを願っています。

 

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