一見矛盾しているように見えるタイトルですが、読んでいただけると嬉しいです。

 

 

相模原4年目を迎えた2015年シーズン、仕事もSC相模原内でやらせてもらっていましたが、僕は練習試合に出してもらうこともままなりませんでした。 もう26歳になる年。

 

でもどうしてもプロサッカー選手になりたい。

悩みに悩み抜いた結果、僕が選んだ道は全て辞めて今の環境を捨てることでした。

 

 

正直、とても不安だったし、何も決まってないまま全てを失うのは怖かったけど、プロサッカー選手になる夢を叶えるのには何かを大きく変えるしか方法がなく、沢山の方にご心配とご迷惑をおかけしましたが、SC相模原を辞めさせていただきました。 結果、チームも仕事も全てなくなりました。

 

「海外でプロになってやろう!」と飛び出したはいいものの、まだどの国も移籍期間が始まっていない。2015年3月、次の移籍期間までどうしようかと思っていました。

 

そんな時、お世話になっていた遠藤カズさんに誘っていただいたのが横浜フィフティー Bチームの試合でした。

 

極寒の三ツ沢サッカー場でフリーキックを決めると、別会場でトップチームの試合をしていた角野代表兼監督に誘っていただき、横浜フィフティー勝ち試合後恒例の焼肉へ。その焼肉屋さんで「海外に出るまでうちでプレーしないか?」とオファーを頂きました。 J3やJFL等のカテゴリーでプレーする事にも悔しさを持っていた当時のプライドの高かった僕に、神奈川県1部でプレーする事は正直抵抗がありましたが、必要とされている有り難さを感じ、加入させていただきました。

 

 

いざプレーしてみると、この数ヶ月でとても成長することができました。 僕が成長できた理由は、角野代表兼監督がいつも僕に「お前はプロになりたいんだろ?ならもうプロとして振る舞え」「カテゴリーや環境は関係なくプロとしてのパフォーマンスを見せろ」と、僕を常に“プロ”として扱ってくれたからです。

 

僕は横浜フィフティーでの数ヶ月間で、プロサッカー選手としての「自信」を培わせてもらうことができました。そしてみんな本当にサッカーが大好きで、夜の練習終わりに横浜のご飯屋さんでサッカーの話をひたすらするのが本当に楽しくて、純粋にサッカーを“楽しむ”ということも思い出させてくれました。

 

ここでの時間がなかったら、こうして海外でプロサッカー選手としてプレーできなかったと思います。 短い間でも受け入れてくれてくれた角野代表、スタッフ、選手の皆さんに巡り会えたことを本当に感謝しています。

 

 

今日も、最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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