インタビューに協力してくれた福島から家族移住したお母さんのお話です。


■避難直後の様子
――避難前に住んでいたところ、その被害状況を教えてください
避難前は福島県の郡山市に住んでいました。確か、震度は6弱から5弱ぐらいだったと思います。内陸部だったから津波の被害はなかったものの、ブラウン管のテレビがズレ落ちたり、道路が割れたりする被害がありました。揺れが強く、長くて死んでしまうかもと思った。実家に一月に生まれた長男と母と叔母と四人で団らんしていたところに地震がきた。
――いつ避難してきましたか、なぜ避難しようと思ったのですか
2012年の1月に避難した。震災直後に母に避難したほうがいいと言われたが、自分の身体が完全じゃなかったことと、子どもが小さくて不安だらけだった。夫は話が合わずですぐに避難ができなかった。地震も続いていて、原発から出ている見えない放射性物質が恐かった。子どもには安心して思い切り外で遊べるような環境が絶対必要だと思っていたから避難を決めた。
――なぜ福岡に避難しようと思ったのですか
できるだけ西の方が安心かと思って。
――持ってきたものや必要となったものはありますか、どうやってきましたか
高速道路を使い、車で、運べるものは積んできた。10時間かけて滋賀県まで。一泊してさらに10時間かけて福岡へ。車の中の放射線量が郡山から滋賀にかけてどんどん下がっていて、やはり異常な事態だと実感した。
■現在の状況
――福岡に来て良かったことや不便なことはありますか
福岡は交通面がとても便利。特に不便なことはない。ただ、サバサバしている人が多く、車の運転が荒くて恐い。
――福岡に友達はいますか、周囲の人にどのように受け入れて欲しいか
同じ境遇の、避難者の方達が心強い。近所や子育てサークルの人たちも非難しないし、少し気にかけてくれる。特別扱いはしないでほしい。
――家族はどんな様子ですか
子どもに健康被害はない。夫とは避難した年の8月に離婚をした。福岡に避難して来る前から避難に対しての意見の食い違いがあったせいかと。夫は避難しなくても大丈夫だろうと考えていたから。
――何か給付や支援はありましたか
住宅支援を受けている。2012年の1月から2015年の1月まで。赤十字から家電を6点支援してもらった。テレビ、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、ポッド、炊飯器。
■今後の生活、その他
――郡山に帰りたいですか
自分が生まれ育った地だから、原発事故がなければ福島の豊かな自然の中で子どもを育てていた。毎日帰りたいと思っている。でも、帰れない。住んでいる人は大勢いるけど、私は帰らない。原発が収束して、除染をして事故前の放射線量になれば、帰ろうと思うが。
――今後のどういう進路を考えていますか
子どものために活動したいという気持ちがある。放射能に汚染された食べ物を食べることで子どもに影響が出てくると思うから。学校給食をゼロベクレルに。
――国や地域に求めることはありますか
原発について国がきちんと知らせていないから、警戒度や認知度は低い。国に対して反対する人や声を上げる人をお金で黙らせるような国のやり方には納得できない。メディアの情報の扱い方にも不満がある。
事実だけを求む。

新着情報一覧へ