
支援総額
目標金額 500,000円
10,000円+システム利用料

康朝の作品は見つかっていません。しかし、実は目の前にゴロゴロあるのです。常に快慶と一緒に仕事をしているので、あるものは快慶と間違われているのです。左の線描きの図は浄土寺の阿弥陀如来の裸像の形です。右の図は三十三間堂の二十八部衆のうちの「まわらにょ」です。これに、左の線描きの図を左右反転させて重ねると、ピタリと重なるのです。この二人が両方の像の墨入れをした、という意味になります。この「まわらにょ」が快慶と康朝の二人で作ったものだ、ということです。彼はのち定覚を名乗った仏師のことです。「図像学」の重要な意味がお分かりいただけると思います。快慶の最初期作をボストンの弥勒菩薩とするのは、まちがいで実は快慶と定覚が定慶を指導した、その出世作なのです。
このようなことが、いとも簡単に証明できるのが、この図像学の特徴です。
この『快慶と定覚の仏像』を出版後に一冊進呈します。
20,000円+システム利用料

左の造形の探究は、西洋流芸術論の、天才が作品を創作するのだ、という考え方にたいして、社会状況が芸術の作風に影響を与えるのだ、とい儒教ゆらいの我が国の理論のほうが、正しいのだということを証明したもの。その右の二冊は、江戸時代の浮世絵師である清長が描いた、黄表紙本の挿絵の連続した制作状況から、作者の造形活動を構造的にとらえ、その変化の中から、法則性を見出したものです。それはつまり、社会の激変や平温の差が、そのまま作風に影響をあたえるのだ、ということの証明でもあります。その結果は、狂気が芸術性を高めるのであって、個人の能力が芸術を産むのではない、とういことになります。
この『造形の探究ー序論』一冊と
『清長の造形Ⅰ構造』一冊に
『清長の造形Ⅱ法則』を一冊加えた上で送ります。その後になりますが、『快慶と康朝の仏像』を出版後に一冊進呈します。
10,000円+システム利用料

康朝の作品は見つかっていません。しかし、実は目の前にゴロゴロあるのです。常に快慶と一緒に仕事をしているので、あるものは快慶と間違われているのです。左の線描きの図は浄土寺の阿弥陀如来の裸像の形です。右の図は三十三間堂の二十八部衆のうちの「まわらにょ」です。これに、左の線描きの図を左右反転させて重ねると、ピタリと重なるのです。この二人が両方の像の墨入れをした、という意味になります。この「まわらにょ」が快慶と康朝の二人で作ったものだ、ということです。彼はのち定覚を名乗った仏師のことです。「図像学」の重要な意味がお分かりいただけると思います。快慶の最初期作をボストンの弥勒菩薩とするのは、まちがいで実は快慶と定覚が定慶を指導した、その出世作なのです。
このようなことが、いとも簡単に証明できるのが、この図像学の特徴です。
この『快慶と定覚の仏像』を出版後に一冊進呈します。
20,000円+システム利用料

左の造形の探究は、西洋流芸術論の、天才が作品を創作するのだ、という考え方にたいして、社会状況が芸術の作風に影響を与えるのだ、とい儒教ゆらいの我が国の理論のほうが、正しいのだということを証明したもの。その右の二冊は、江戸時代の浮世絵師である清長が描いた、黄表紙本の挿絵の連続した制作状況から、作者の造形活動を構造的にとらえ、その変化の中から、法則性を見出したものです。それはつまり、社会の激変や平温の差が、そのまま作風に影響をあたえるのだ、ということの証明でもあります。その結果は、狂気が芸術性を高めるのであって、個人の能力が芸術を産むのではない、とういことになります。
この『造形の探究ー序論』一冊と
『清長の造形Ⅰ構造』一冊に
『清長の造形Ⅱ法則』を一冊加えた上で送ります。その後になりますが、『快慶と康朝の仏像』を出版後に一冊進呈します。

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