小説好きのあなたに未発表の作品を届けたい。

  マドリットに居た時にフラメンコ教室に通った。           

  日本舞踊と違って振りの一つひとつに意味がなかった。裡に秘めた激情。魂の踊りなのだ。先ずそれに面食らった。次には未体験の十二拍子。踊りの最後には半身になり、右手を挙げ、左手は腰に添えて「オレィ」と見得を斬る。格好の良い見得が目標。フラメンコの難しさは十二拍子に慣れたとして、木靴で床を踏み鳴らす動きだった。即興のギターのリズムに合わせて、つま先と踵で床を打つ。これが上手くゆかない。片足だと出来る。両足だとリズムに乗れずバラバラ。おまけに両手にはカスタネット。足の裏に意識を集中すると、両手がおろそかになってしまう。　カスタネットは打楽器の講座で練習したので自信があった。その自信も木端微塵。フラメンコは木靴の音とカスタネットだけでは成立しない。踊りなのだ。

　三つを華麗に決める他なし。

　先生から指導された。カスタネットを外して手拍子に。それでも手と足が上手くゆかない。基本動作を習得できない私に注がれた先生の呆れたような眼線に傷ついてしまった。ここまで来て傷ついたからと云って諦めてしまうなら私の女がすたる。ホテルに戻ってからも必死の練習。先ずは曲に慣れよう。十二拍子に慣れたらきっと何とかなる。ホテルからラジカセを借りて先生から強引に借り出したカセットテープを聴いた。曲を覚え切るまで聴いた。次は手拍子も木靴も止めて十二拍子に身体を委ねた。眼を瞑って曲想に合わせて身体を動かした。動いた。気づいたのは彼是と次の振りを考えないこと。今の今の気分を身体に託す。これがフラメンコなのだと思った。思えた。フラメンコとは即興なのだ。考えてはダメ。必要なのは今の感受と情念。そして徹底的な自己肯定。これ無くして「オレィ」に繋がらないのだ。

　次はカスタネット。踊らずここでも瞑想。曲に合わせて打ち鳴らした。何も考えずに打ち鳴らすまで手と指に覚え込ませた。ピアノの暗譜と同じように覚え込ませた。変拍子が無いから時間と共に手と指が勝手に動くようになった。木靴を踏みつけるポイントも分かってきた。木靴は情念の爆発。曲が展開する時には必ず踏む。この時はアクセント。三つをバラバラに沁み込ませた。沁み込んだならこっちのもの。フラメンコから恐怖が消えた。取り除かれた。コツを掴んだ。何も考えず、踊り、カスタネットを打ち鳴らし、時には手拍子。手拍子は木靴と連動させる。残りは私の「オレィ」。最も大切なのが自己肯定。                       

　スペインの女の娘は子供の頃に遊びながらフラメンコを習得する。　　　　　　　　　　　　　

　同じ教室では十二歳の女の娘が群を抜いていた。パッチリと見開いた瞳。卵型の輪郭。眸の周りには僅かに蔭りがある。鼻筋が通り、それでホリが深く映る。肌は透き通る白。長い髪はトップテール。一五〇センチほどの身長。背筋がピンと伸びバレリーナのよう。動きにメリハリがある。カスタネットと木靴のバランスが抜群。手足が長く「オレィ」が見事に決まる。彼女は左手でスカートの横を持ち、右手を高く掲げ、気ままに踊る。参考になった。フラメンコとは気ままが肝要なのだ。

　先生は何も言わない。

　ターンの時にはスカートが、たなびき、立ち姿が美しい。将来はどれほどの美人になるのだろう…と想ってしまう。お母さんがジプシィ。お父さんはフラ

ンス人。彼女の踊る姿を見る度に意欲が強まった。私も「オレィ」を決めなければ。格好良く決められるはず。　

「わたしってどう。恰好良いでしょう。オレィ‼」　　　

   教室では二人のギタリストが踊りに合わせて即興で弾く。聴いているとフラメンコギターのコード進行は四種類ほど。弾き始める前にコードを決めると彼らは自由自在に弾き唄い始める。彼らは子供の頃からギターを手にしていたのだと思う。五〇歳以上に見えた恰幅の良い先生は実は四〇歳と少し。彼女はジプシィ。ジプシィの女の人は老けるのが早いのかも知れない。

　ジプシィがスペインに辿り着いたのは十六世紀と云われている。それから血が交わり外見だけではジプシィとは分らない人も多い。外見で分らなくともハッキリ分るのが歌と踊りの卓越。

　ギタリストに「あなたはジプシィですか」と尋ねると、胸を張り「ヒターノ」とニコリ。「のぞみの踊りは良くなった。頑張っているのが分かる。今まで見た日本人の中では最高だ」。

   私は嬉しくなって左半身を捻り右手を掲げて「オレィ」と見得を切った。すると二人はお返しのラスゲアードを続けてくれた。私は引いていた顎を突き出し彼らを見つめカスタネットを連打。木靴を踏み鳴らし、スカートをたなびかせて一回転。「オレィ」と叫んだ。彼らも同時に「オレィ」。三人の声が揃った。私の「オレィ」が決まった。恰好良し。気分爽快の決め技。私は「オレィ」に魅せられてしまった。