沖縄に来る前、乗船するフェリーの時間調整があり子供たちと鹿屋の航空資料館を訪れました。真っ先にステンドグラスが目に飛び込み、アフガニスタン支援でお世話になった平山画伯の作品で、聞けばご舎弟の縁で寄贈されたそうです。

 

映画のワンシーンで特攻隊員の別れに際し、食堂の女主人を訪ねる場面があり、彼らの覚悟とさわやかな死生観に感銘を受け、館に展示されている隊員の遺書からどんなお気持ちで飛び立ったのか?を知る機会でもありました。戦後生まれの私にとってその答えを求める訪れでもありました。家族思いの特攻隊員が紺碧の上空を上下に翼を振りながら、今生の“さよなら”を告げる若き学徒の誰もが生きたかったであろうことを封印して、沖縄戦に参加したのです。彼らは押し寄せる巨大な敵から、「義を見てせざるは、勇無きなり」とただひたすら守りたかったのです。突然の訪問にかかわらず、館をご案内いただいた平田さんにはこのブログを借りて御礼申し上げます。

 

そこから学び得たのは、「沖縄県民斯く戦えり・・・」と多くの犠牲を払った沖縄県民に対し、本土の人間として平和に生まれ育ち、その犠牲の上に後世生きる私たちはお返しをしなければならないとの思いが、強く芽生え始めたのです。

 

南風原で慰霊祭があり、早々に平和の塔に参拝する機会が訪れ、「ひめゆりの悲劇」と共に幼子の顔を見るにつけ、安保法制が通過した今、このあどけない子供たちを戦場には送れない「弱い母親」と気づかされ、私の中で70年前の不戦の誓いを呼び起こされることになりました。

 

この塾を立ち上げたのは、子供たちの未来にかけたからです。沖縄は、歴史的にも苦難の途を歩まされてきました。戦後アメリカ民主主義が正義のように日本に入り、占領下ひたむきな国民はそれを甘受してきました。良い大学に入り良き会社に就職し、誰もがうらやむ豊かな生活を希求することを自己目的化し、満足度No.1になったのです。同時にそれは「子孫に美田を残さず」清貧な人生観をややもすると否定してしまうのです。

 

人生劇場が廃版になり「世の為人のため」が死語となり、自己の幸せを追求することが、価値のあることと教えられてきました。最近のスポーツ界を始め各界各層で醜悪な事件・事故を見るにつけ、子供たちのおかれた環境は、「保育園落ちた・・・」のブログではありませんが、生まれながらにステージを決められた格差社会では、決して幸せではないと思います。

 

来日された世界一貧乏な大統領は100万円の月収のうち10万円だけを生活費として費消し、残余は寄付されているとのことです。日本人は幸せを忘れた国民ではないか?と疑問に思われていました。「名伯楽になれ。伯楽になって駿馬を育てよ」大きな福祉事業に情熱を注がれた方の遺訓でした。偉大な事業とは「人を教え育てる」ことだそうです。私はその教えを敬愛し、くじけないで人材育成に取り組んで参りたいと思っています。それは長い時間がかかり、すぐには答えが出ないからです。無名塾は、続かないのではと不安に思われていた地元の方たちがおられました。

 

過日、大南の出張塾の日、3歳の娘が風邪をひき、代行授業にすることにしました。開塾当初より大中公民館に通う小6女子たちが、参加出席していました。知らせを受け、急ぎ駆けつけ、こんなにやる気と向学心があるとは、想定外の出来事で嬉しく思いました。今も無名塾を継続させるため、「長者の万燈より貧者の一燈」で資金集めに奔走していますが、はるかさん、もねさん、くじけそうな私に再び情熱と勇気を与えてくれてありがとう!

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