8万食の給食でスラム地区の不登校のエイズ孤児をゼロにしたい

8万食の給食でスラム地区の不登校のエイズ孤児をゼロにしたい

支援総額

1,257,000

目標金額 1,000,000円

支援者
74人
募集終了日
2015年1月9日

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2014年11月21日 21:19

セチャバセンターができるまで(4)

10. 想いが一致した瞬間


 

ニバルレキレが出会った「エルドラド・ドロップイン・センター」で働いていたソーシャルワーカーの名前は、ムズワキ・クマロ。


ドロップイン・センターとは、エイズ孤児たちが放課後に給食や様々な活動などのケアを受けるために立ち寄る施設です。
そこで働いていたムズワキは、彼自身も大変な貧困の中で育ち、自分でコツコツと長い時間をかけてソーシャルワーカーの資格をとった青年でした。

 

               

彼は 「近々自分の住むエマプペニに自力でエイズ孤児を中心としたコミュニティでエイズとともに生きるすべての人のためのNPOを作りたい」 という夢を抱いていることを教えてくれました。

そして、彼と出会った小山の友人は、その場でトンビ一家の話と彼女の遺したンポや他の家族を私たちがこれからもケアしていくこと、そしてトンビの遺志を継いでエマプペニに何かを生み出したいという願いを語ってくれました。

おそらく、わずかでも私たちが話し合うタイミングがずれていたら、何かは生まれなかったでしょう。
それくらい私たちの当時のお互いの気持ちの高まりと目的は一致していたと思いいます。

何かがスパークする瞬間のようなものをお互いに感じていました。
ムズワキがリーダーシップをとる形で、住民との話し合いを進めていくことがすぐに決まりました。

11. 住民による話し合い、そしてニバルレキレの役割


コミュニティに住む、主に医療福祉関係の専門職種につく住民やリーダー的な存在の住民と一緒に、トンビ一家かこれまでにエマプペニの不十分なサービスと社会資源の欠落、住民のネットワークの弱さの中で直面しなければならなかった困難な生活について、私たちは何度も話し合いをしました。

それらの有志による話し合いでは、彼ら自身もより良いコミュニティを強く望んでいることがよくわかりました。
そして、トンビ一家のような悲しみをコミュニティから減らすためには、自分たちでコミュニティを変えていかなければ、という意志も複数の人たちが口に出すようになっていきました。


具体的なネットワークづくりが始まりました。
専門職だけなく、地域に住むHIV陽性者当事者や「自分も子育てをしている。孤児のために何かをしたい」という主婦たちも集まり始めました。

トンビの遺した孤児であるンポの 「亡くなった家族のために、この家を自分が守りたい」 という勇気も彼らの間で語り継がれていきました。

 

       

 


様々な活動の案が出される中で住民に一致した想いは、「まずは一番の弱者であるエイズ孤児を守る活動をしたい」というものでした。
そして活動内容として
エイズ孤児のためのフィーディングスキム(給食サービス)
子どもへライフスキル(生きるための様々な知恵や行動力)を教えていく活動
各家庭の経済基盤強化のたねの行政手続きの支援活動
メンタルケア
定期的な家庭訪問による家族全体のメタルケア
将来的に大人のHIV陽性者やエイズ患者へのサポートや貧困家庭への訪問活動のできるスタッフのスキルトレーニング
が、住民の間で決められました。

 

   (センターのボランティアで集合写真。クリスマス会の日に撮りました。)


活動の名前は 「セチャバセンター」。
セチャバの意味は「共同体」。
センターといっても、事務所も活動場所もまだこれからです。
でもその名前には住民の願いがこもっていました。

ニバルレキレがこの話し合いの中で何をしたかというと、「静観」と「傾聴」です。
また、彼らには実際に活動を始めるための予算は全くなかったため、ニバルレキレが負担できる「予算の中でそれらの活動を実現するためのプランの修正」 です。

コミュニティに何が必要か。
また、何をしたいか。
それを決めるのはコミュニティの住民自身。
そうすることで自分たちの活動に責任が持て、また活動も、たとえ予算が少なくとも長期続けられると考えていたからです。

12. 遺族を巻き込んだ活動へ


この期間に、ンポたちの生活も変化していきました。

まず、タンディはトンビの家、つまりタンディも育った家に移り住むことを決断。
内縁の夫はヴァセロナに住むことにこだわったため、夫婦としては別居生活となってしまいますが、タンディは孤児2人と自分の子どもも含めて5人の子どもを育てていくことを本格的に決心したのです。

手続きには非常に時間はかかったものの、養子手当も支給が決定されました。
一家の住んでいた掘立小屋は、雨漏りに加え、砂や風もどんどん入り込んでしまう粗末なものであったため、少しずつタンディの内縁の夫が、ンポと一緒に家の修繕を行い、家族全員で住みやすい環境を作る努力を始めました。

夫との関係をどう維持していくかには試行錯誤もありましたが、幸い行き来する距離が近いこともあり工夫をしながらの日々が続きました。

タンディや子ども達には、エイズ教育を続けていきました。
タンディはHIV検査を受けることを決意しましたが、検査の結果はHIV陽性と出てしまいました。
また、結核も陽性であることがわかりました。

この時期には、徐々に公立の医療機関でのARV治療を受けられる人も増えてきていましたが、タンディの順番はまだ来ない状況だったので、結核の治療をしながら、タンディの2人の姉が亡くなったエイズホスピス併設のクリニックで、ARV治療を受ける登録を行いました。

タンディは生計を維持するために、家政婦の仕事を週に何日かしており、体調が悪い日もありますが、セチャバセンターの活動に自分も参加していきたいと、笑顔で語りました。

またセンターができることで、亡くなった母親の遺志が実現することに、ンポも非常に喜びました。
ンポ以外の子ども達も、自分たちもセンターを利用できるし時には手伝えるとわかり、とても喜んでくれました。

トンビという女性。
そしてンポという 「亡くなった人の遺したものを守りたい」 という強い想い。
ンポが守りたかったのは、「家」ですが、それは小山にとっては 「トンビの願いを叶えることによって、ンポに母親の素晴らしさを伝え続けていくこと」でした。

そして、偶然とも必然ともいえる、ソーシャルワーカーのムズワキとの出会い。

2年という歳月をかけて、セチャバセンターという住民の夢が動き出しました。
 

リターン

3,000


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●エイズ孤児の描いたイラスト入りサンクスレター
●アフリカンビーズのレッドリボンバッジ

支援者
45人
在庫数
制限なし

10,000


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●エイズ孤児の描いたイラスト入りサンクスレター
●アフリカンビーズのレッドリボンバッジ
●サポーターの方の働く福祉施設で作った手作りお菓子の箱詰め
●サポーター認定証(エイズ孤児の写真とメッセージ入り)

支援者
19人
在庫数
制限なし

30,000


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●エイズ孤児の描いたイラスト入りサンクスレター
●アフリカンビーズのレッドリボンバッジ
●サポーターの方が作成販売しているイタリア産オリーブオイルなどを使ったオーガニック石鹸(5000円相当)

支援者
9人
在庫数
制限なし

100,000


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●エイズ孤児の描いたイラスト入りサンクスレター
●アフリカンビーズのレッドリボンバッジ
●全国巡回した写真パネルの表にお名前を入れてセチャバセンターの壁一面を飾ります。

支援者
3人
在庫数
14

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