Aちゃんは来日間も無く、日本語が話せませんでした。人懐っこい笑顔とダンスが大好きなAちゃん。日本語が話せないけれど、私たちと会うといつも「こんにちは!」と声をかけてくれました。

 

Aちゃんは母国では算数のテストはほぼ満点。でも、日本に来てから日本語がわからないため、設問が読めず、0点が続いていました。

 

「にほんご、べんきょう(したい)。」悔しい思いをバネにAちゃんは日本語の勉強をがんばりたいと思っていました。

 

私たちはAちゃんを学習支援教室へつなげるため、Aちゃんのお母さんとお父さんに会いに家に行きました。お母さんもお父さんも来日間も無く日本語が通じません。言葉の壁を取り払うため、通訳の人にも力を借りながら、学習支援教室へ結びつけることができました。

 

Aちゃんは勉強をがんばりました。宿題は必ずして、毎回の勉強はきちんとファイリングされています。

 

約半年後、学習支援教室にようやく慣れ、日本語も定着しはじめ、教科の勉強も落ち着いてできるようになったときです。

 

「せんせい、さようなら。」

 

よく聞いてみると、お父さんとお母さんの仕事の都合で引っ越すというのです。私たちは急いで自宅に行き、事情を聞いてみました。

 

「生活がしんどい。いい仕事がありそうだから、引っ越す。」

 

Aちゃんは仕事で忙しいお母さんお父さんの代わりに、学校から帰ってくると、掃除、洗濯、食事の準備をし、夜10時に両親が帰ってくるのを待っていました。お父さんお母さんの仕事は日曜日しか休みがないという状況でした。そんな生活を私たちは把握しながら、定期的にお父さんお母さんときちんとコミュニケーションを取ることができていませんでした。

 

あの時、お父さんに仕事や生活のしんどさを聞いていたら

あの時、お母さんにAちゃんが勉強をがんばっていることを伝えていたら

あの時、Aちゃん家族の不安や課題を一緒に共有できていたら

 

引越しせずに、課題を解決できたかもしれない。Aちゃん家族の引越しはなかったかもしれない。Aちゃんと一緒に勉強を続けることができたのかもしれない。後悔が止まりませんでした。

 

Aちゃんは来日した後、A小学校→B小学校→C小学校と約1年で3校転校することになってしまいました。転校するたび環境になれるまで時間がかかり、落ち着いて勉強できるまで時間を要します。

 

Aちゃんのお父さんお母さんは日本語がほぼ話せませんでした。だれにも生活のしんどさを相談することもできず、引越しという道を選びました。子どもは親の決断についていくことしかできません。親の生活の安定は子どもの学習環境と直結しています。

 

私たちは地域社会から孤立してしまっている家庭に、支援を届けたいと思っています。

 

すべての子どもが安心して勉強できるように…。

 

▲勉強をがんばっていたAちゃん

 

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