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70年前の原爆。その記憶を世界に伝える旅を映画にしたい。

市塚藍子(ピースボート)

市塚藍子(ピースボート)

70年前の原爆。その記憶を世界に伝える旅を映画にしたい。

支援総額

385,000

目標金額 1,200,000円

支援者
52人
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2015年03月31日 07:16

4月から船で地球を一周する8名のヒバクシャを紹介します。

多少空気は冷たいですが、東京では桜のつぼみがかなり主張してきています。出航の頃にはもう散っているでしょうか。

 

今日は、4月12日に横浜から船出して、地球を一周まわって各地で証言を伝え、現地の人々と交流する、広島・長崎のヒバクシャのみなさんを紹介します。(年齢は、出港時です)

 

* * *

(生まれた順)

 

三宅 信雄(ミヤケ・ノブオ)さん、86歳。

1929年2月16日生。現在は、埼玉県志木市在住。

1945年8月6日(当時16歳)、広島で路面電車に乗っていたところ、1.8km先の地点で原爆が炸裂し、被爆しました。そのとき電車内で多くの死傷者が出ましたが、とっさの判断で電車を飛び降りたことにより被害を免れました。

それから40年以上経ってから、60歳を目前にして、被爆した体験を語る証言活動を始め、日本国内にとどまらず、アメリカやオランダ、カナダ、イスラエル、サウジアラビアなどでも証言し、韓国人の被爆者との交流などにも積極的に参加してきました。

2007年から2009年には東京都原爆被害者団体協議会の事務局長を務めた行動派で、今回の船旅でも最年長としてチームを引っ張ります!

 

* * *

 

森田 博滿 (モリタ・ヒロミツ)さん、80歳。

1934年9月24日生まれ。長崎県長崎市在住。

1945年8月9日(当時10歳)、長崎の自宅から1.8kmの地点に原爆が投下され、玄関先で被爆しました。ちょうど、外から家の中へ入った瞬間、青白い光を感じ、爆風で5~6m吹き飛ばされました。自身は軽傷で難を逃れることができましたが、5歳上の兄は大やけどを負い数年後に他界しました。

差別を恐れ、被爆した体験は長いあいだ語らずに過ごしましたが、周囲から頼まれ次第に口を開くようになりました。

山王神社にある樹齢600年の被爆クスノキの保護に携わりながら、「100分の1秒の奇跡」で助かった命の尊さを訴えています。


* * *

 

小谷 孝子(コタニ・タカコ)さん、76歳。

1939年1月4日生まれ。現在は、千葉県八千代市在住。

職業は幼稚園教諭。特技は、腹話術。

1945年8月6日(当時6歳)、広島の自宅にいたところ2.5km先に原爆が投下されました。爆風で家が崩れ、その下敷きになりながらも軽傷で助けられました。4人兄弟のうち弟は全身火傷で亡くなりました。姉と兄は大けがを負いながら生き永らえましたが、自身が小学生の間に母が白血病で亡くなりました。

被爆者であることは、66歳(2005年)まで公にしてきませんでしたが、知人に背中を押され語り始めました。

現在は八千代市原爆被爆者の会に所属し、幼稚園教諭時代から特技とする腹話術を用いながら若者に命の尊さを語り継いでいます。

 

* * *

 

廣中 正樹(ヒロナカ・マサキ)さん、75歳。

1939年10月16日生まれ。現在は広島県福山市在住。

1945年8月6日(当時5歳)、小川で遊んでいたところ、3.5km先に原爆が落ちました。防空壕に逃げ込んだ時、黒い雨が降っていたのを覚えています。

その時亡くなった父の焼けた背中が忘れられず、定年後、父が亡くなるまでの出来事を書き出した小冊子を作成しました。

66歳になり(2006年)、絵を使いながら、初めて自身の体験を語りました。

70歳で(2010年)日本被団協の代表団の一員としてニューヨークを訪れ、NPT(核不拡散条約)再検討会議に参加しました。その際、国連や現地の小中学校で被爆証言をかたり、核廃絶を訴えた経験ももっています。

 

* * *

 

堀江 壯(ホリエ・ソウ)さん、74歳。

1940年10月17日生まれ。広島県広島市在住。

4歳のとき、路上で、強烈な閃光と爆風に襲われ吹き飛ばされました。一緒にいた姉がとっさに覆い被さってくれて大きなけがはありませんでした。閃光と爆風の原因は、3km離れたところで炸裂した原爆でした。1945年8月6日のことです。

今も脳裏に焼き付いて離れないのは、自宅に避難して来た子どもたちが大火傷に苦しんでいた姿です。

64歳の頃(2004年)から、世界へ被爆体験を発信し国際交流を行う団体「ワールドフレンドシップセンター」に所属しています。語り部の減少に危機感を覚え、練習を重ね、2012年からは海外からのゲストに英語で被爆体験を語る活動もしています。

 

* * *

 

伊藤 正雄(イトウ・マサオ)さん、74歳。

1941年1月31日生まれ。広島県広島市在住。

4歳のとき、自宅の前の道路で三輪車に乗っていたら、爆風で吹き飛ばされました。爆心地からは3.5kmの距離でした。大した怪我はなく住みましたが、逃げ込んだ防空壕で黒い雨に遭いました。1945年8月6日のことです。

それから数日間、家の近くの公園で数えきれないほどの遺体が荼毘に付されていた様子が、脳裏に焼き付き未だに忘れられません。

70歳を目前にした2010年、ヒロシマピースボランティアとしての活動を開始しました。2012年からは、広島市の伝承者養成事業に参加し継承活動に尽力しています。

 

* * *

 

三田村 シズ子(ミタムラ・シズコ)さん、73歳。

1941年12月20日生まれ。長崎県長崎市在住。職業は看護士。

3歳の頃、自宅で食事中に被爆しました。長崎の爆心地から4kmの位置です。鋭い光を浴びた直後に家族で防空壕に避難したので大事には至りませんでした。

終戦後は看護士として勤めていて、その間は原爆に対して深い関心はありませんでした。しかし、一緒に被爆した姉二人、被爆二世となる自身の娘・姪を含む4名ががんを発症し他界しました。

反核平和活動に関心を持ち始めましたのは、自身も大腸癌、子宮体癌を患い、徐々に放射能の恐ろしさを感じるようになったからです。

現在は「平和案内人」や、紙芝居を通して被爆体験を伝える活動に従事しています。

 

* * *

 

鎌田 弘恵(カマダ・ヒロエ)さん、73歳。

1942年2月9日生まれ。広島県広島市在住。

3歳の時、爆心地から2.3kmの地点にあった自宅で被爆しました。幸いにも家族は無事でした。幼かったので、被爆当時の記憶は鮮明にはありません。しかし、長年にわたって死の恐怖が拭えなかったのは事実です。幼少時から疲れやすく、40代の頃に甲状腺機能低下症と診断されました。

これまで証言活動の経験は少ないけれど、子や孫、海外からの留学生などに、親族や自身の体験を語ってきました。原爆の放射線による被害、国内外の戦争、難民問題などにも関係づけながら核廃絶を訴えたいと考えています。

 


* * *

 

以上8名のヒバクシャのみなさんが、70年前の原爆と、その前のこと、その後の生活や思いについて、世界を巡り伝えます。

 

鮮明な記憶をもつ当事者が伝えられる時間は残りわずか。

この旅を映画として残すために、どうか、みなさまのご支援をお願いいたします。

 

映画に寄って、原爆(核兵器)が二度と使われない社会の風潮、人々の感性を育みましょう。

 

 

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リターン

3,000

サンキューレター
地球一周のオリジナル絵はがき(3枚セット)

支援者
33人
在庫数
制限なし

10,000

サンキューレター
地球一周のオリジナル絵はがき(3枚セット)
ピースボートのオリジナルゆるキャラ『シップリン』をあしらった3色ボールペン(船内限定販売品)

支援者
9人
在庫数
30

10,000

サンキューレター
地球一周のオリジナル絵はがき(3枚セット)
岩波ブックレット「核兵器を禁止する」著者サイン入り(川崎哲著)1冊

支援者
9人
在庫数
41

30,000

サンキューレター
地球一周のオリジナル絵はがき(3枚セット)
ヒバクシャ地球一周証言の航海ドキュメンタリー「フラッシュ・オブ・ホープ」/「ヒバクシャとぼくの旅」DVD

支援者
3人
在庫数
17

50,000

サンキューレター
地球一周のオリジナル絵はがき(3枚セット)
ヒバクシャ地球一周証言の航海ドキュメンタリー「フラッシュ・オブ・ホープ」/「ヒバクシャとぼくの旅」DVD
このプロジェクトで制作するショート・フィルムのDVD

支援者
0人
在庫数
10

100,000

岩波ブックレット「核兵器を禁止する」著者サイン入り(川崎哲著)1冊
【首都圏・広島・長崎限定】核廃絶専門家・川崎哲による核兵器に関するプライベート講義1時間
このプロジェクトで制作するショート・フィルムのDVD

支援者
0人
在庫数
1

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