能登半島地震の惨状から復興の経過を絵画記録で残し、将来へ伝えたい

能登半島地震の惨状から復興の経過を絵画記録で残し、将来へ伝えたい

支援総額

204,000

目標金額 200,000円

支援者
11人
募集終了日
2024年4月10日

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2024年04月04日 12:47

【東日本大震災】被災地に降った雪 〜福島第一原子力発電所 帰還困難区域 浪江町津島〜

※この話の前編「人が消えた土地を12年ぶりに訪れた

同日に取材した、隣飯館村長泥地区とのエピソードです。

こちらからご覧ください

 

 

能登の話から少々離れますが、能登半島地震で実施したいことと同じことを東日本でも実施していますので、引き続き取り上げさせてください。

 

福島第一原子力発電所事故発生のとき、先日描いた飯舘村長泥地区と同じく、原発から30キロ以上離れたため大幅に避難が遅れた地域がもう一箇所あります。

 

それは浪江町津島地区、同日訪れた飯館村長泥と同じく原発から30km離れているにも関わらず帰還困難区域となった場所です。

現在の浪江町津島地区(2024.3.25)

 

▼ 当時の経緯

福島第一原子力発電所事故を受けて12日13時に浪江町災害対策本部は津島地区への避難を決定し、災害対策本部を浪江町役場津島支所へ移転する決定をしました。バス6台をを使って、津島地区へと一時避難を開始したのですが、30分程度の道のりを、大渋滞のため避難には3~4時間を要したといいます。
津島小学校、津島中学校の体育館などでは避難住民がひしめきあい、人口1,400人ほどの津島地区は8,000人を超える避難者であふれかえる事態となったのです。

 

※参照:東日本大震災発災から3日間の町の動き 浪江町役場公開資料

しかし事態は皮肉なものでした。

帰還困難区域指定直前の浪江町津島地区、向きは逆だが奥に同じ家が写っている(2012.7.14)


福島第一原子力発電所が水素爆発によって放出された放射性物質は、皮肉にも北西に拡散していき、浪江町沿岸部よりも山間部の津島地区へと流れ飛んだのです。

 

津島地区で避難所として指定されたのは、津島小学校、津島中学校、浪江高校津島校、つしま活性化センター、下津島集会所、旧公民館、南津島上集会所、農協など。スーパーの商品、スタンドのガソリン・灯油はすべて売り切れる。地震のため、濁った井戸水がなかなか澄まない。
(下津島在住、元県庁職員による震災の手記)

 

結局、町は15日に二本松市への避難指示を決定しましたが、この4日間でほぼ全町民が最も放射線量の高い地区に取り残されて被曝する最悪の事態となり、その後浪江町は長く人の住めない町となったのです。

帰還困難区域指定直前の浪江町役場津島支所、避難に関してのお知らせが貼られていたが現在は残っていない(2012.7.14)

 

▼ 13年後の津島地区

飯舘村長泥地区を描いた時と同じ日、この日は二本松方面から被災地に入ったため、先に津島地区を訪れていました。


津島地区は飯舘村長泥地区よりも早く復興再生拠点区域の指定を受けていたため、約2年ほど前から再び訪れているため、復興再生拠点区域指定後の立入は3回目となります。

その3回でも津島地区の様子は大きく変わっています。

 

現在の津島地区は、元々の集落より、やや東側に作られたため、旧中心街がわずかですが残されています。
それでも立入りが再開された頃よりは、はるかに多くの民家が消えていて、未だに手付かずの家屋も多数存在し、ほとんどが倒壊や老朽化のため、人が住める状況ではありません。

 

災害対策本部が置かれた浪江町役場津島支所は新たな建物に移転しましたが、旧庁舎の建物も現存しています。


庁舎内の荷物はほぼ撤去されていますが、駐車場には当時の名残らしき看板も残されています。

とある建物の玄関には原発事故を知らせる福島民友新聞の紙面が、今でも散乱していました。
※その後に置かれたものかとの疑惑も考慮したのですが、一緒に残されているチラシから見て13年前のものの可能性の方が高いと思われます。

浪江町役場津島支所の駐車場にて。当時の看板が残っている(2024.3.25)

 

ただこの津島地区は、前に紹介した長泥地区とは少々異なるところは、帰還者がいることです。


現在の住民は2023年8月末現在で6世帯7人、その殆どが高齢者だといいます。


これは、やや南の帰還困難区域の葛尾村野行地区でも同じ傾向(1世帯1人)で、飯館村含めどの自治体も新規の移住者を求めて移住フェア等でよく見かけます。

 

ただ、工場等などの誘致のような起爆剤ではなく、個人事業主で移住するとなると、コロナの五類移行でリモートワークが再び敬遠されるようになってきており、農業以外での起業が難しくなりつつあり、農業で起業するにしても未だに残る風評被害があり、厳格な出荷基準を設けても、やはり払拭するには相当の時間がかかってしまうでしょう。

 

ただ、新規開拓とほぼ同じ状況で手厚いサポートはあるので、新たな発想を持って取り組むには、現在の日本国内では最適な場所と言えるかもしれません。

 

浪江町津島地区の某建築物に散乱する当時の新聞記事(2024.3.25)
当時の福島民友新聞の記事だが、皮肉にも原発事故を知らせる記事であった(2024.3.25)

 

▼ 被災地に降る雪

「あの日降った雪が一番いけなかった」

先日、長泥で描いていた時、話していた住民の方がそう呟きました。

夜に雪が降ったんだ。その時雪には原発から放出された雪には、大気中の100マイクロシーベルトを超える放射線が含まれていた。雨と違って雪は付着するだろう?その雪を被った箇所が真っ赤に膨れ上がったんだ」

これを私は完全に失念していました。


確かに震災の翌日、被災地全域で雪が降ったことは覚えていたが、当然その雨や雪には高濃度の放射線が含まれているわけです。


雪が付着した箇所が赤く腫れ上がる症状は「ベータ線熱傷」というもので、広島や長崎の原爆でも見られた症状だといいます。

 

住んでいた住民たちは、今でも重い十字架を背負っていることを痛感させられました。

 

これだけ何度も取材を続けていても未だに見落としていることがある。
災害を記録するものとして、一つでも多くの記憶を残し、積み重ねていくことが、使命なのだと痛感させられた1日でした。

浪江町請戸地区(町の臨海部)、同じ町内でもこちらは津波被害で壊滅している(2018.3.3)

 

浪江町と双葉町の境界付近の中野地区、津波で橋が崩落している(2018.3.3)
浪江町請戸地区から福島第一原子力発電所方面を眺める。この頃には煙突が切り取られかなり視認しずらくなっている。現在自由に立ち入れる範囲ではここまでが限界だ。(2018.3.3)
反対側の大熊町夫沢から見る福島第一原子力発電所。私が立ち入った限界はここまでだが、大熊町の取材許可は非常に厳しく、今後立ち入れる機会があるかは不透明だ(2022.9.20)

 

 

 

No.167 怪物への司令塔(2022.9.17)

 

【No.167 怪物への司令塔】

福島県双葉郡浪江町下津島町
令和4(2022)年9月17日
原発事故で浪江町民が避難した津島地区に原発から漏れた放射性物質が降り注いだ


福島一原子力発電所事故発生の翌日にあたる3月12日、浪江町災害対策本部会議は同町津島地区(人口約1400人)へ、全町民を避難させる決断をした。

国は原発から20キロ圏内を警戒区域として避難指示を発令、原発から北西に約29キロ離れた津島地区は、町関連施設が1通り揃っている故の決定である。


町の災害対策本部も浪江町役場津島支所へと移転し、地区内の小・中学校には津島地区以外の町民約8000人が押し寄せた。

 

12日、国は原発からの放射性物質が北西へ拡散すると予測し、翌日には津島地区より原発に約10キロ程近い室原地区で線量を調査をしたところ、線量計は30マイクロシーベルト/時で振り切れた。しかし、この情報は町には伝えられず、結果的に町中心街より遥かに高い放射線量下に全町民が晒さらされる事態に陥った。
14日夜、津島地区に隣接する葛尾村が全村避難するとの一報が届いたことで、地区内には動揺が一気に広がった。
15日朝、町は福島県二本松市へ避難受け入れを要請、町民たちは車やバスなどで二本松市へ再度避難することとなった。避難が完了した16日には同地区の放射線量は58・5マイクロシーベルト/時にも及んでいたという。

 

実は1度だけ帰還困難区域に指定される直前の平成24(2012)年に、津島地区へ立入ったことがあり、今回は約10年ぶりの訪問だった。
10年前に立ち寄った津島支所の玄関先には、避難時に貼ったと思しき貼紙が残っていた記憶があったが、流石にその紙はなくなっていた。
しかし庁舎内にはかなりの備品が残っているようで、外壁には蔦が絡みつつある。
駐車場へと目を向けると、災害支援車の駐車位置の看板が僅かに残っていた。
この津島支所は令和4(2022)年4月より、地区東側に建てられた新庁舎で業務を再開している。旧庁舎の解体は、そう遠くないだろう。

旧・浪江町役場津島支所(2022.9.17)

 

No.040 人通わぬ場所(2012.7.15)

 

【No.040 人通わぬ場所】

平成24(2012)年7月15日
福島県相馬郡浪江町津島
計画的避難区域だが高い放射線量を記録し山間の町は廃墟と化している

 

福島第一原子力発電所のある双葉町や大熊町に隣接する福島県浪江町は、町全体が避難指示区域で立入りができないと思われがちだが、町西端部の津島地区だけは計画的避難区域のため、日中の立入が可能となっていた。
しかし立入りができれば安全というわけではなく、避難指示区域に指定されている沿岸部よりも遥かに高い線量がここでは計測されている。

 

原発事故が発生した3月12日、浪江町民約8000人は原発から山側へ30キロ程離れたこの津島地区へと避難した。これだけ離れた山の中ならきっと安全だ。殆どの住民が疑いすら持っていなかった。
しかし北西の風に乗った放射能は津島地区へと降り注ぎ、殆どの町民が逆に町内で最も高い線量の場所に閉じ込められる事態となった。15日に隣の二本松市へと避難するまでの間、人々はこの山里で高い放射能に晒されたのだ。
現在の津島地区の小さな商店街に人影は全くなく、小鳥のさえずりや鹿の鳴き声ばかりが山に木霊していた。

 

「あの、おたのみ申します」
振り返ると年老いた女性が立っていた。
「申し訳ないですが、これを捨ててきてもらえませんか」
私の返答も聞かずに、キャットフードを置いて消えていった。
動物支援と称する団体が、住民の了解なく放置していったもののようだ。
廃墟となったいま、ガスも水道もごみ収集も…日頃当然のように使っている行政サービスが、ここには存在しない。

誰も通わない学校の庭には、除染のため削られ土嚢に入れられた表土がブルーシートで覆われて置かれている。
白い防護服を着た作業員の姿に、見えない恐怖と異様な感覚が脳裏をよぎった。

帰還困難区域指定前の浪江町津島地区の中心部。現在この民家は既に解体されている(2012.7.15)

 

【これまでの報道実績】※2024.3.21時点で閲覧可能なもの


(能登半島地震 / 日付順)

・時事ドットコムニュース「被災地の惨状、絵画で記録 活動13年「心に伝わる」―東日本大震災きっかけ・能登地震」(2024.3.21)

・月刊北國アクタス 2024年4月号「能登半島地震ズームアップ 被災地を記録する画家、鈴木誠さん」 (2024.3.20)

・東京新聞「能登に希望の色彩を 震災を描き続ける画家は、写真に写らない悲しみと光を絵に残す」(2024.3.18)
・中日新聞「震災画家が能登で描く希望 東日本大震災、熊本地震でも絵筆取り作品200枚超」(2024.3.11)
・毎日新聞「震災画家が描く能登半島 「100年先に伝える」絵に込めた希望」(2024.2.23)
・日テレNEWS「なぜ悲惨な現状を…被災した能登の風景を描き続ける男性の思い」(2024.2.23)
・毎日新聞「復興への希望、絵筆に 岩手の画家、鈴木誠さん 能登の現状描く」(2024.2.16)
・TBS「なぜ被災地を絵に?時に批判浴びるも… “見附島”を描いていた画家・鈴木誠さんの思い」(2024.2.13)
・共同通信(京都新聞他)「復興の願い、絵筆に込めて 能登半島描く岩手の画家 被災地包む淡い夕暮れ色」(2024.2.10)
・MRO北陸放送「なぜ被災地を絵に?時に批判浴びるも… “見附島”を描いていた画家・鈴木誠さんの思い」(2024.2.9)
・テレ朝NEWS「被災地で絵を描く画家「震災を記録したい」」(2024.2.4)
・NHK「被災地を絵に残す画家 輪島「朝市通り」火災被害描く 理由は」(2024.2.3)

 

(東日本大震災・熊本地震 他)

・日本経済新聞「復興の11年を描き残して 東日本大震災の被災地を油絵で記録、希望をキャンバスに 鈴木誠」(2022.3.11)
・岩手日日新聞「東日本大震災から11年 絵で伝える被災地の記録 奥州市水沢・画家 鈴木誠さん」(2022.3.11)
・朝日新聞「震災を油絵で記録したい 所沢出身の画家が160点以上」(2022.2.21)
・IBC岩手放送「【復興への羅針盤】描き伝える東日本大震災~奥州市の画家・鈴木誠さん/岩手」(2022.2.9)

能登半島リポート(試行版)。

 

被災地を13年間記録してきたものとして、能登半島地震の惨状を一人でも多く、よりリアルに伝えたいとの思いから「能登半島リポート」(試行版)を発行させて致しております。

 

本頁を閲覧いただいた全員へ無償でダウンロード配布致しますより、是非ご覧ください。

▼ ご自宅のプリンターで出力する場合

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※閲覧・印刷可
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白黒:40円 フルカラー:120円
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リターン

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「東日本大震災」ミニ画集(PDF版)

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・「熊本地震記録」ミニ画集(PDF、20頁/9作品掲載予定)進呈

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「東日本大震災」ミニ画集(印刷版)

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・「東日本大震災の記録」ミニ画集(印刷かPDF、20頁/9作品掲載予定)進呈

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感謝の手紙と「能登半島地震」ミニ画集(印刷版)

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画集「瓦礫にカンバスを」進呈

画集「瓦礫にカンバスを」進呈

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・東日本大震災画集「瓦礫にカンバスを」(A4,224頁 震災画No.1〜100を収録)進呈

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鈴木誠の絵画(墨絵・水彩)を進呈

鈴木誠の絵画(墨絵・水彩)を進呈

感謝の手紙をお送りいたします。
鈴木誠の通常絵画「山岳画」を進呈。
※絵画はご提示するリストからお選びいただけます。

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鈴木誠が絵画(水彩/ハガキ)を、ご要望に合わせて描きます

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・画家・鈴木誠がリターン購入者の要望に合わせて、ハガキサイズ(148×100mm)の墨絵または水彩を額装の上、進呈します。

支援者
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鈴木誠が絵画(水彩/色紙等)を、ご要望に合わせて描きます

鈴木誠が絵画(水彩/色紙等)を、ご要望に合わせて描きます

・支援御礼の感謝の手紙をお送りさせていただきます。
・画家・鈴木誠がリターン購入者の要望に合わせて、色紙サイズ(357×324mm)の墨絵または水彩を額装の上、進呈します。

支援者
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80,000+システム利用料


鈴木誠の絵画(油絵/小)進呈

鈴木誠の絵画(油絵/小)進呈

・支援御礼の感謝の手紙をお送りさせていただきます。
・画家・鈴木誠の油絵(F0〜F3)を額装の上、進呈。
 F0 (本体:180×140mm/額:横 約320×約280mm)
 SM(本体:227×158mm/額:横 約370×約300mm)
 F3(本体:273×220mm/額:横 約420×約360mm)
※絵画はご提示するリストからお選びいただけます。

支援者
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1
発送完了予定月
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120,000+システム利用料


鈴木誠の山岳画(油絵/中)進呈

鈴木誠の山岳画(油絵/中)進呈

・支援御礼の感謝の手紙をお送りさせていただきます。
・画家・鈴木誠の油絵(F4〜F6)を額装の上、進呈。
 F4(本体:333×242mm/額:横 約470×約380mm)
 F6(本体:410×318mm/額:横 約550×約460mm)
※絵画はご提示するリストからお選びいただけます。

支援者
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3
発送完了予定月
2024年6月

150,000+システム利用料


鈴木誠が絵画(油彩/F6まで)を、ご要望に合わせて描きます

鈴木誠が絵画(油彩/F6まで)を、ご要望に合わせて描きます

・支援御礼の感謝の手紙をお送りさせていただきます。
・画家・鈴木誠がリターン購入者の要望に合わせて、F6まで(410×318mm)の油絵を額装の上、進呈します。

支援者
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鈴木誠の山岳画(油絵/大)進呈

鈴木誠の山岳画(油絵/大)進呈

・支援御礼の感謝の手紙をお送りさせていただきます。
・画家・鈴木誠の油絵(F8〜F10)を額装の上、進呈。
 F8(本体:455×380mm/額:横 約600×約520mm)
 F10(本体:530×455mm/額:横 約670×約600mm)
※絵画はご提示するリストからお選びいただけます。

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鈴木誠が絵画(油彩/F10まで)を、ご要望に合わせて描きます

鈴木誠が絵画(油彩/F10まで)を、ご要望に合わせて描きます

・支援御礼の感謝の手紙をお送りさせていただきます。
・画家・鈴木誠がリターン購入者の要望に合わせて、F10まで(530×455mm)の油絵を額装の上、進呈します。

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