No.77「天空の城」でも触れたことですが、復興事業の遅れる要員の一つとなっているのが移転候補値から出土した遺跡の発掘で、その中でも特に多くの埋蔵文化財の発見されている地域が宮城県亘理郡山元町です。

 

山元町でこの5年間に「川内遺跡」「北経塚遺跡」「熊の作遺跡」「中筋遺跡」「日向北遺跡」「日向遺跡」「谷原遺跡」「石垣遺跡」「的場遺跡」「山王遺跡」「内手遺跡」「浅生原遺跡」「上宮前遺跡」「西石山原遺跡」「北山神遺跡」「南山神遺跡」「新田遺跡」「影倉遺跡」「荷駄場遺跡」「上小山遺跡」「法羅遺跡」など53遺跡65 箇所、総調査面積約170,000平方メートルと震災被災地の中で群を抜く数の発掘調査が行われています。
その中でも最大規模とされ文化的価値の高い発見が連続している遺跡が「犬塚遺跡」(17,000平方平方メートル)と「合戦原遺跡」(12,000平方平方メートル)です。

今回訪れた合戦原遺跡は国道6号に面した「国立病院機構宮城病院」の北にある竹林、通称“水道山”を復興住宅建設事業で切り崩した際に発見され、A区からE区に区分され発掘調査では古墳時代から奈良時代に造成された横穴墓54基、古墳6基、竪穴建物跡2軒、製鉄炉跡3基、木炭窯跡20基、焼成土坑または土坑60基が発見された遺跡です※1。
特にA区の横穴墓からは、金銅製の太刀、直刀、鉄鏃や鐙・杏葉・帯金具などの馬具が出土し、38号墳では玄室奥壁には全国的にも珍しく東北地方でがはじめての線刻画が発見されたのです。

この一時調査の成果が昨年7月に見学会が開催されたと知って以降かなり気になっていた場所で、描く前に山元町歴史民俗資料館で2015年11月から2016年1月に開催された企画展で遺跡の概要や線刻画の実物大写真をみさせて貰ったが、壁面いっぱいに描かれた線刻画は想像以上で、1500年もの歳月を過ぎても残っていたことに驚きと絵画の持つ価値を改めて実感するものでした。

当初は宮城病院付近から38号墳の見えるA区を描こうと考えたのですが、A区の横穴墓の入口はほぼすべてブルーシートで覆われていたため、今回は国道に面したC区を描くことに変更しました。


このC区からも製鉄関連遺構など製鉄関連の遺跡が発見され、描いた場所の正面には1号製鉄炉が大きな口を開けています。
ここで見つかったのは奈良・平安時代頃に西日本で分布する長方形箱形炉と呼ばれる製鉄炉で操業終了後には壊された形跡があるとのことでした。この製鉄炉は遺跡が西日本と東北を交易を探る歴史的な価値を感じさせます。

絵の中央にある発掘事務所がプレハブではない古い建物なのが疑問に思っていたところ、院内保育施設「つくし保育園」の建物で現在は、発掘区域の南側に移転しているとのことでした※2。

「この場所も震災で全く変わってしまった。その経過を絵にしてもらって本当にありがたい。きっと良い記録になるよ」
お世辞かもしれない。しかしここで見つかった線刻画のように長い歳月が過ぎたとき、見て伝わることがある。
記録をえがいている一人として改めて気持ちを引き締めた。
少しでも多く、復興までの記録をつづけなくてはいけないのだ…と。


※1.2015年7月25日現在
※2.現在つくし保育園は調査地隣に移転

 

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