こんばんば、上西です。

 

本日より【僕が経験したことを日本全国の看護師さん伝えたい!!】の支援活動の応募を開始いたしました!

 

僕のことを知らない方に簡単に僕のプロフィールと、このプロジェクトにかける思いを説明します!

 

僕は大阪府生まれの33歳

職業は会社員でプログラマーをしています。

妻と子供(1歳8カ月)がいます。

 

僕は、2011年1月20日(当時27歳)の時に脳動静脈奇形破裂という脳出血を発症しました。脳動静脈奇形というのは産まれつき脳血管に奇形がある疾患で、11万人に1人の確率でできるそうです。

 

脳出血や脳梗塞は発症する場所によってだいたいの症状が決まるのですが、僕の場合は生命の根幹となる脳幹を出血しましたので、呼吸機能がいきなり止まってしまいました……

 

脳幹出血をした前日には、現在の妻と結婚式の仮予約をしに行ったところでした。これから2人の夢、幸せな家庭、未来、すべてが奈落の底に落ちてしまい、妻はあまりものショックで頭がおかしくなる寸前だった、と当時のことを思い出して語っていました。

 

僕の症状はさらに重たくなっていきました。

 

嚥下(えんげ)障害を発症したため、飲食が一切できなくなりました。嚥下障害というのは飲み込み障害のことで、口から入ったものが間違って肺に入ってしまう障害のことをいいます。

 

嚥下障害の影響で肺炎も発症しました。ただでさえ瀕死の状態なのに追い打ちをかけるように症状が重たくなったのです。

 

左腕、左足も思うように動きません。手を上げることがやっとなくらいに体力もなくなりました。

 

だけど、看護師さんにかけてもらった思いやりをもった言葉は覚えていました。

意識が無い患者さんの多くは「呼びかけ」などの音は覚えていたと言っています。

 

僕が入院した病院は幸いにして、患者の回復を本当に願ってさまざまな声掛けをしてくれました。

 

自分はこのまま死んでしまうんだろうか…

一生、飲み食いができなくなるんだろうか…

一生、寝たきりの生活なのだろうか……

 

このような不安を抱きながら入院生活を送っていましたが、そんな不安を察知してか、看護師さんは気を遣ってくれて看護をしてくれました。本当にうれしかった。

 

僕は心に火がともった。

 

それから僕の快進撃はすさまじかった

 

8カ月後には、杖なし、歩行器無し、装具無しで社会復帰することができた。

 

 

親、兄弟、婚約者、いろんな人の支えがあったからこと僕は頑張れたと思います。

 

でも、やっぱり瀕死の状態の時、思いやりをもった看護師さんに受けた看護は大きかったと思います。

 

僕は看護師さんの仕事は注射をする人と思っていたけど、そんな簡単なことではなく、看護師さんが病院を生き返らせると本気で思っています。

 

言い方が悪いかもしれませんが「生かすも殺すも」看護師さんの看護次第って思います。

 

それくらい看護師さんの影響力は大きいです。

 

だから僕は『おもいやりをもった看護師さん』を日本全国に広めていきたい!

 

 

そう思い、このプロジェクトを開始したのです。

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