支援総額
目標金額 117,000円
- 支援者
- 34人
- 募集終了日
- 2014年3月29日
3度目の『3.11』
代表の渡辺です。
2011年の3.11。あの震災当日、私は東京にいました。
気仙沼のこどもとの出会いは、前年の2010年夏、秋。
ある団体のこども自然体験の宿泊行事にスタッフとして参加しました。
その時に知り合った子どもたちと住所交換、手紙のやりとりをしていました。
3.11直後から気仙沼の被害の様子を知り、
インターネットで、避難所の避難者名簿をひたすら調べ、
知っている子どもの消息を知ろうとする毎日になりました。
1か月後の4月8日、気仙沼に行き、
避難所で過ごしていたこどもたちと再会しました。
以後約半年、気仙沼に居ました。
震災後のこどもたちとの活動を始めたのは、2011年8月でした。
震災後1度目の3.11(2012年)、
気仙沼でこどもたちと一緒に過ごしていました。
午後2時46分、地震が起きた時間のサイレンを、
子ども達と一緒に聞き、黙祷しました。
こどもたちから直接、3.11当日の話を聞いたのは、この時が初めてでした。
それまで、こどもたちも話さなかったし、
私もあえて聞くことはありませんでした。
2度目の3.11、昨年は悩んでいました。
それまでずっと、月に2回以上、週末を使い気仙沼に行き活動を続けていました。
費用も自費、持ち出し。気仙沼への往復で15時間。
そんな現実的な問題以上に、これから、気仙沼のこどもたちとどう向き合い、
付き合い続けて行けばよいのか。それを考えていました。
震災直後から1度目の3.11まで、
とてもこどもたちに『夢』『希望』『将来の希望』、
そんな言葉を話すことはできませんでした。
そんな言葉が軽々しく、
非現実的に思えるくらい震災の被害、痕跡が大きすぎました。
まずはその現実の中で暮らすこどもたちと、
少しでも楽しく、解放される時間が作れたらいいな、と。
2度目の3.11、悩んでいた時、少し考えが変わりました。
でもそれは、気仙沼の復興が進み、
こどもたちの環境が改善されたから、ではありません。
こどもたちはたくましく、被災した街の中でも暮らしていました。
でも、そんな状況、街の風景が『あたりまえ』のものだと、
想ってほしくは無い、と考えました。
かれらのたくましさが、あきらめや諦念を心の奥に秘めたものだとしたら。
かれらのたくましさを、少しでも、あきらめや諦念ではなく、
将来に向け前向きなものにしてゆけたら。
3度目の3.11の今日。
こうして『最高の未来を見せるキャンプ』と銘打ったプロジェクトを進めています。
節目として3.11で区切り考えてみると、ずいぶん変化してきたな、と思います。
でもいまだに、こどもたち、親御さんたちの今を思うと、
迷い悩むところがあります。
かれらは今でも、『夢』『希望』『将来の希望』、
そして『最高の未来』なんて言葉を、
被災地の外に暮らす私たちから、軽々しく言ってほしくはないのでは?と。
でも、仮にそうであったとしても、
そのギャップを少しづつでも埋めてゆくこと、
今目の前の現実と、将来に向け、少しでも変えてゆくこと。
できることはあるのではないかと思い、進めています。
『自助』『公助』『扶助』という言葉があります。
『自助』自分でなんとかする、『公助(公的扶助)』公的な支援で解決する。
だけでなく、『扶助』=助け合い、の部分が実は大きくて、
幅が合って、いろいろな形が考えられて、
でも、それを誰がどうやって行うのか?
どんな『扶助』を今行うことが出来、のちに形に残して行けたのか。
きっと将来、この3.11を振り返る時が来たなら、
こんなことも問われるんだろうな、と考えています。
私たちの活動は地味で規模も大きくは無いのですが、
でも、『幅が合っていろいろな形が考えられる』扶助の一つとして、
きっと意味あるものと信じています。
ここまで、プロジェクトに参加してくださったみなさま、ありがとうございます。
そしてまだまだ、これからも、よろしくお願いします。
リターン
3,000円
こども達の笑顔がいっぱいの春キャンプ活動報告書(絵日記風のレポート記事付き)
- 支援者
- 28人
- 在庫数
- 制限なし
10,000円
こども達の笑顔がいっぱいの春キャンプ活動報告書(絵日記風のレポート記事付き)+経験豊富なキャンプスタッフ陣主催の活動報告会(被災地の裏話が聞ける特典付き)へご招待
- 支援者
- 6人
- 在庫数
- 制限なし