「森光さんとの時間」ブルームーンデザイン事務所　中川たくま

 

ある日、森光さんから「これ直せる？」と相談がありました。

（これぐらい、もちろん直せるよね。というニュアンスでした）

 

それは小さな小さな活版印刷機で、

初版「モカに始まり」の奥付の検印を活字で行いたいとの事でした。

 

装飾から見て100年ほど前のフランス製の活版印刷機でした。

足りない道具を、まちの鍛冶屋さんに作ってもらい、

印刷ができるように修理しました。

 

それから活字の話、活字の組み方や印刷の仕方をレクチャーして、

１枚１枚、森光さん自ら印刷されました。

いつもは珈琲の香りの『珈琲美美』が、印刷のインクの香りで満たされました。

 

1,500枚の印刷が終わって森光さんは、

「活版指導として奥付に名前、入れてくれる？」と。

「そういうの苦手なので、名前なんて載せなくていいですよ」

と返すと、森光さんは少し声を強め、

「師匠を疎かにすることなんて出来ない。

じゃあ、印刷できる一番小さな文字だったらいいよね」と。

 

初版「モカに始まり」の奥付の森光さんの小さな手仕事の横の、

小さな小さな僕の名前は、

森光さんとのかけがえのない時間の印でもあります。

 

 

森光さんとは、珈琲や仕事を離れたところでお世話になりました。

人生の先輩であり、歳の離れた友人の様でもありました。

その真っ直ぐな仕事や、知的で底なしの好奇心、そして人間味溢れるやさしさ。

あこがれは永遠になり、淋しさも尽きず、今でもふと立ち止まると泪が溢れます。

 

ある日、

「森光さん、最近いろんな出会いやイベントが多くて今が一番、楽しいでしょ」。

と尋ねると思いもよらぬ返答でした。

 

「いやあ、お店を出した頃から10年ぐらいの間かなあ。

お客さんが本当に来なくてねえ。

子どもは生まれるし、家も火事になるし。本当に大変だったよ。

でもあの頃が一番楽しかったねえ。

あの頃があるから今があるんだと思うよ」。

 

迷っていた時期でもあり、その言葉に随分と救われました。

そして森光さんと充子さんのように、深く人生を味わって行きたいと。

そんな気持ちがより一層つよくなりました。

 

カウンター越しに、
「最近、こんな仕事をしました」、「今度、仕事でどこどこに行きます」なんて、

森光さんにしていた他愛もない話を、今は充子さんが聞いて下さいます。

 

ネルドリッパーから一滴、一滴、こぼれ落ちる珈琲は、

森光さんの珈琲でもなく、充子さんの珈琲でもなく、

二人が歩んでこられた『珈琲美美』の、深くやさしい味がします。

 

 

 

ブルームーンデザイン事務所　中川たくま

http://aoi-tsuki.com/