他人と話すことって、難しいなって思います。でも、他人じゃないはずの家族と話すことは、もっと難しい。いつも一緒にいるからこそ、ついぶっきらぼうになっちゃうし、言葉遣いもきつくなりがちです。

 

「なんで電気消さんと!さっきも言ったやん!」とか「寒い中、外で草取りしたら風邪ひいて肺炎なるやん。そんくらい分かってよ」とか自分のなかに余裕がないと、思ったときにぽーんと口に出しては後悔して、あとで「お父さん、さっきごめん。言い方きつかった」って謝っていました。もっと柔らかく言えたよねって、「北極のシロクマと池田家の家計のために、電気消してね♡」とか「いつも草取りありがとうー♡寒いけん、コーヒー入れたよー」とか、ふわっと伝えられたはず。後から考えるたびに、もやもやして自己嫌悪になって、一度立ち止まって父の行動を見つめる余裕がほしくて、通勤に片道一時間かけていた大好きなお仕事をやめました。このままじゃ、もしいつか父の命が終わった時に、なんでお父さんにもっと優しくできなかったんだろうって後悔する。父と母は、私を何もできなかった赤ちゃんの頃から育ててくれたのに、何やってるんだろう私なんて心が狭いんだろうっていっつも落ち込んでいました。

 

 

 

たまにしか会わない友達とか、好きな人とか、職場では取り繕うことができる。でも、家に帰ると毎日毎日同じようなことの繰り返しで、良くならないことがわかっていて、体調管理をしなきゃいけなくて。お父さんが、ラーメンのスープ飲み干すと腎臓に悪いから母と一緒に「飲みすぎないでね」っていうと、喧嘩になって、数日間家庭が険悪になる。なんでこんなことで、ってことが目に止まって、私が言わなきゃっていらいらしてしまう。

 

 

 

 

じっくり「なんでラーメンのスープを飲み乾さないでほしいのか」「寒い中、草取りを頑張りすぎないでほしいのか」説明できたら、父とじっくり話す時間をとりたい。

 

 

 

お茶を入れて、父の部屋に持っていく。

なーんとなく隣でテレビを見ながら「あのね、肺炎って怖いんだって!なくなっちゃうこともあるらしいよ!孫見るまで長生きせやんっちゃけん、いつも、あったかくしててね♡」って伝えたら、父も、ふとした時に思い出してくれてちょっと心がけた行動をとってくれるかもしれない。家庭のストレスは、小さなすれ違いから、どんどんずれていくように思います。

 

 

ほんと、お茶出しなんて、なんてことない手間だけど、ただ水分補給としてではなくて、我が家では会話のきっかけに、一緒になんとなく「ぼー」っとするスイッチとして、生じてしまったズレを調整する鍵として、機能してくれています。

 

 

介護だけじゃないと思うの。なかなか、いつも真面目に話せない家族と、一緒にお茶を飲むこと。いつもの生活、行動について話してみるきっかけ。

 

 

 

急須でゆっくりお茶をいれて、心を落ち着かせて、一呼吸して「よし、ふんわりモード!」って言い聞かせて、食後のお茶を持っていく。喧嘩してても、家庭内冷戦状態でも、穏やかに話すことができる時間をつくる技にしています。