今回は、IKTTの日本での広報部長ともいえるお方、
西川潤さんのご紹介です。


今回のプロジェクトを広報するにあたって、全面的に
お力をいただいております!

 

プロジェクトメンバー紹介⑥ 
【IKTTと私 西川潤】

IKTT Japanの西川潤と申します。

IKTT Japanは、カンボジアのNGOであるIKTT(クメール伝統織物研究所)と、その代表の森本喜久男さんを日本から支援する任意団体です。具体的には、森本さんが一時帰国した際の報告会やIKTTのシルク製品などの展示販売の準備と、パブリシティ全般をお手伝いしています。今回のプロジェクトについても、そうした観点から参加させていただいています。

わたしの、森本さんとの出会いは、1987年12月に遡ります。
それは、当時バンコクのドーンムアン空港近くにあった「民宿もりもと」の客として、でした。休暇のたびにタイに出かけていたわたしは、いつもこの宿のお世話になっていました(連泊不可という宿でしたが)。そうするうちに、イサーン(タイ東北部)の村とつきあいがあること、その村で手織りされたシルクを自分で染めていることなど、森本さんが日々どんなことをしているのかを、断片的に知るようにもなりました。

「市内に出るなら、店まで乗せていくよ」と誘われて森本さんと向かったのは、バンコクのプルーンチット通りのショッピングアーケードにあった「バイマイ」という草木染シルクの店でした。店頭に並んでいたのは、きらびやかな色彩の、いわゆる「タイシルク」とは異なる品々です。ラックで染めた淡いピンクのブラウス、マンゴスチンの果皮で染めたシルバーグレーのジャケット、ペカーという木の皮とインディアン・アーモンドの葉で染めた金茶色のガーゼ状のショールなど、やさしい色合いのシルク製品でした。

あるとき、森本さんから「自分が書いたものを、読んで手直ししてほしい」と頼まれました。タイに暮らすようになってからは日本語を書く機会も少なく、自分の日本語があやふやになっている気がするから、と。編集の仕事をしていたわたしは、迷うことなくお手伝いさせていただきました。それが、カンボジアユネスコへ提出する報告書の草稿でした。

その後、プノンペン郊外のタクマウにIKTT(クメール伝統織物研究所)を設立したと連絡がありました。そして、メイルニュース「メコンにまかせ」でIKTTをシェムリアップに移転したと知った2000年の夏には、アンコールワット見学も兼ねてと、シェムリアップのIKTTを訪ねます。それ以降、都内で「シェムリアップ・現地からの報告」という報告会を手伝うようにもなりました。

それ以降、里帰りするかのようにシェムリアップに通うようになり、IKTTに森本さんを訪ねて、話を聞くことを続けています。「伝統の森」ができてからは、遺跡見物もせず、空港から直接「森」を目指すことも多くなりました。

森本さんの話を聞き、IKTTを傍から眺めることを続けていると、時間をかけて「育てる」ことの重要性を感じます。人も、森も、村(コミュニティ)も、少しづつ変化していきます。また、育てるということは、育つまで「待つ」ことでもありました。

わずか半年ぶりに「伝統の森」を再訪しても、「あれ、いつの間に」という発見があります。子どもたちが習った日本語を口にするようになったからなのか、大人たちも片言の日本語で挨拶してくれます。ちょっと前までは「食事の準備も手伝ってます」という感じだった女の子が、キッチンでしっかり料理を作るようになりました。母親の後ろにすぐに隠れてしまっていた男の子が、ひとりで遊ぶようになってます。ジャックフルーツが、大きな実をつけるようにもなりました。こうした小さな変化の積み重ねのうえに、現在の「伝統の森」があるのです。

そんなたくさんの変化のなかで、新たな変化の“タネ”ともいえるのが、今回の水車プロジェクトだと思います。「伝統の森」が、エネルギー自給のための第一歩を踏み出すのです。それだけではありません。自分たちが設営した水車をわざわざ遠くから見学にくる人がいることで、その意味を理解する村びともいるでしょう。水車のしくみに興味を持つ子もいるでしょう。そして、土井さんや岡村さんの仕事を手伝ううちに、機械や電気についての理解を深め、メンテナンスの重要性に気づいてくれる村びとが出てくることも願っています。

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