一つの物語の終わり
◆「ウガンダ人・難民の柔道家に国際大会参加のチャンスを」
一つの物語が終わりました。
皆さんのご支援のお陰でウガンダ+難民柔道チームは、タンザニアで開催された東アフリカ選手権に参加することができました。これで、3年前から始まったウガンダ人・難民の柔道家たちと私の物語は、一旦終了します。皆さんのご支援がなければ、彼らに今回の人間的な成長を促す機会を作ってあげることはできませんでした。
心より皆さんのご支援に感謝いたします。
◆試合の結果
最終的に、ウガンダ(+難民)代表チームとして11名の選手が試合に出場できました。
選手の奮闘の結果、‐60㎏、-100kgaで金メダル、-66kg、-81kgで銀メダル、そして-90kgと女子57㎏で銅メダルを獲得しました。
【試合結果概要】
≪初日≫
(男子)
-60kg: バナ(優勝)、ニンジャ(敗者復活戦敗退)
-66kg: サビティ(準優勝)、ジミー(敗者復活戦敗退)
-73kg: ベンジャミン(敗者復活戦敗退)
(女子)
-57kg: ハッピー(銅メダル 1勝3敗)、フィオナ(0勝4敗)
≪初日≫
(男子)
-60kg: バナ(優勝)、ニンジャ(敗者復活戦敗退)
-66kg: サビティ(準優勝)、ジミー(敗者復活戦敗退)
-73kg: ベンジャミン(敗者復活戦敗退)
(女子)
-57kg: ハッピー(銅メダル 1勝3敗)、フィオナ(0勝4敗)
≪二日目≫
-81kg: ムカンガモ(準優勝)
-90kg: ジョージ(銅メダル)、マイク(敗者復活戦敗退)
-100kg: カリーム(優勝)
-81kg: ムカンガモ(準優勝)
-90kg: ジョージ(銅メダル)、マイク(敗者復活戦敗退)
-100kg: カリーム(優勝)
【試合詳細】
以下では、メダルを取った選手たちの試合を紹介します。
以下では、メダルを取った選手たちの試合を紹介します。
(1)男子60kg以下級・・・バナが優勝
コンゴ民主共和国からウガンダへの帰化選手であるバナ(黒帯)。
初戦、今回の優勝候補であるタンザニアの選手に試合時間終了間際に背負い投げで技有りを奪取。拮抗した試合、最後の最後にそれまで隠していた逆側の技で試合を決めました。
その後の試合は決勝までの2試合を一本で決め、遂に決勝。
ブルンジの若い選手を相手に試合時間4分では試合を決められずゴールデンスコア。
ゴールデンスコア開始直後の背負投で相手を崩し、抑え込み(稽古していたパターン)で一本。
初戦、今回の優勝候補であるタンザニアの選手に試合時間終了間際に背負い投げで技有りを奪取。拮抗した試合、最後の最後にそれまで隠していた逆側の技で試合を決めました。
その後の試合は決勝までの2試合を一本で決め、遂に決勝。
ブルンジの若い選手を相手に試合時間4分では試合を決められずゴールデンスコア。
ゴールデンスコア開始直後の背負投で相手を崩し、抑え込み(稽古していたパターン)で一本。
「マイ・マスターーーーー!!!!」と試合脇のコーチ席へ向かってきましたが、
『開始線に戻り、礼をしろ!!』と一喝。礼の後に再度、バナと抱擁。
表彰式前、涙を流すバナ。母国コンゴ民主共和国を離れ、ウガンダに帰化したバナ。まだ英語もままならない彼。さまざまな思いがあふれたのでしょう。
(2)男子66㎏以下級・・・サビティ、涙の準優勝
コンゴ民主共和国からの難民のサビティ。首相府からの許可が遅れ、到着が試合の前日になりました。
1回戦、2回戦と背負投で連続1本。決勝はザンジバルの選手。
初戦から動きが重たく、疲労の色は隠せませんでしたが、決勝でも技がでません。
3日間にわたる移動。前日計量での厳しい減量。コンディショニングに苦労しました。
それでも「大丈夫。ここまでこれたのだから頑張る」いっていました。
残念ながら、一本負け。号泣のサビティの姿を見て、胸が詰まりました。
表彰式の後、「先生の期待に応えられずにごめんなさい」と言いに来ました。
多くの声援に応えるために頑張ったサビティに感謝しかありません。
多くの声援に応えるために頑張ったサビティに感謝しかありません。
(手前がサビティ)
(3)女子57㎏以下級・・・ハッピー(銅メダル)
同じ階級にハッピーとフィオナが出場。
二人とも人生初めての減量に苦労しましたが、何とか2人ともパス。
4人による総当たり戦、2人とも1位と2位となった選手に負けましたが、同国対決でハッピーが背負い投げで一本。まだまだ初心者のレベルを抜けた程度の2人。
怪我なしで試合を終えてくれただけでも感謝です。
試合後、2人で「もっと稽古がしたい」といいに来てくれたのが今回の収穫です。
手前が銅メダルのハッピー、後ろがフィオナ
(4)男子81㎏以下級・・・緑帯のムカンガモ快進撃
サビティと同じく遅れての参加となったムカンガモ(難民)。それでも気合十分で試合へ
初戦となった2回戦、タンザニアの選手相手に背負投げで攻めまくり圧勝。準決勝では、ブルンジの選手から1本勝ち。しかし、だんだん技の出すタイミングが遅くなってきていたので、体力が落ちてきているのは明らか。
初戦となった2回戦、タンザニアの選手相手に背負投げで攻めまくり圧勝。準決勝では、ブルンジの選手から1本勝ち。しかし、だんだん技の出すタイミングが遅くなってきていたので、体力が落ちてきているのは明らか。
今回、他の国のチーム(特に私が以前に指導していたタンザニア)から絶賛されたのが、2試合でポイントを取った出足払。初心者の時から私に指導を受けたムカンガモ、私の得意技であるその技をいつの間にか習得していました。
迎えた決勝戦。実力的には勝てない相手ではありませんでしたが、技が出せず、指導ポイントによる反則負け。仲間たちに肩を抱かれながら号泣。しかし、柔道歴2年弱での決勝進出。20歳の彼はまだまだ伸びるはずです。
(5)男子90㎏以下級・・・キャプテン・ジョージ
初戦は過去東アフリカ選手権を連破しているタンザニアの選手。序盤は善戦しましたが、組手で分が悪く投げられて敗退。それでも出場選手が少なく(6名)、次に勝てば銅メダルのチャンス。相手はまたもタンザニアの選手。今回は互角以上の闘いを続け、最後は抑え込んでの1本勝ち。
「おめでとう、これで銅メダルだ」と伝えると「え、3位決定戦だったの?」とう天然ぶり(1試合目が終わった段階で伝えていたのに)
ジョージは、子供用マットで柔道稽古をしていたウガンダ人です。
彼との出会いがウガンダ柔道の指導に関わる端緒でした。でも本当に天然で、何度も私に怒られてきました。今回の参加では「キャプテン」に指名。キャプテンとしてやらなければならないことはなに?と語りかけ続けました。ウガンダの柔道を彼が支えて行ってくれるはずです。
彼との出会いがウガンダ柔道の指導に関わる端緒でした。でも本当に天然で、何度も私に怒られてきました。今回の参加では「キャプテン」に指名。キャプテンとしてやらなければならないことはなに?と語りかけ続けました。ウガンダの柔道を彼が支えて行ってくれるはずです。
一回戦で対戦したタンザニア選手と
(6)男子100㎏以下級・・・カリーム
チームの出発間際に仕事の都合がつき、参加できることになったカリーム。
私が柔道を指導し始めた最初の頃からのメンバーの1人。
4人出場の総当たり戦。初戦は、過去に73㎏以下級で優勝経験のあるタンザニア選手。
いまは指導者兼選手として柔道を続けており、後輩に道を譲るために増量してこの階級に参加。優勝候補。試合前半は、巧みな組手でカリームに分が悪そうに見えましたが、ウェイトリフティングの代表でもあり、ブラジリアン柔術の選手でもあるカリーム。
いまは指導者兼選手として柔道を続けており、後輩に道を譲るために増量してこの階級に参加。優勝候補。試合前半は、巧みな組手でカリームに分が悪そうに見えましたが、ウェイトリフティングの代表でもあり、ブラジリアン柔術の選手でもあるカリーム。
怪力を活かして、相手の払腰を返して一本。その後の2試合も怪力を活かし、連続一本。
あっさりと優勝しました(今回のMVP級の強さ)。まだまだ技を覚えれば強くなれそうなカリーム。今後も連覇を狙えます。
あっさりと優勝しました(今回のMVP級の強さ)。まだまだ技を覚えれば強くなれそうなカリーム。今後も連覇を狙えます。
さて、ほかの選手ですが、
ニンジャは、初戦緊張のあまり技も出せずさえない一本負け。私に発破をかけられた敗者復活戦。自分から攻め、戦う意思を見せましたが敗戦。
その他、ジミー、ベンジャミン、マイクたちも初戦は緊張で自分の柔道ができず。2試合目でやっとそれぞれの技を出せました。まだまだこれからですが、彼らにとって大きな学びがあった試合でした。
ニンジャは、初戦緊張のあまり技も出せずさえない一本負け。私に発破をかけられた敗者復活戦。自分から攻め、戦う意思を見せましたが敗戦。
その他、ジミー、ベンジャミン、マイクたちも初戦は緊張で自分の柔道ができず。2試合目でやっとそれぞれの技を出せました。まだまだこれからですが、彼らにとって大きな学びがあった試合でした。
そしてメダル獲得数で男子は総合3位に!!
初出場で大きな快挙でした。決勝でも負けた2人も勝てた可能性のあった試合。
総合優勝(金メダル数)も夢ではありませんでした。表彰式後はアフリカらしく音楽がながされ、みんなで歓喜のダンス。他国の選手とも健闘を称えあいました。選手につかまった私は担がれ、試合場をお神輿状態。歓喜のダンスの後、選手を集めてミーティング。それぞれに声を掛けました。各選手が「すぐに稽古したい」といってくれたのはうれしい出来事でした。
総合優勝(金メダル数)も夢ではありませんでした。表彰式後はアフリカらしく音楽がながされ、みんなで歓喜のダンス。他国の選手とも健闘を称えあいました。選手につかまった私は担がれ、試合場をお神輿状態。歓喜のダンスの後、選手を集めてミーティング。それぞれに声を掛けました。各選手が「すぐに稽古したい」といってくれたのはうれしい出来事でした。
選手たちは自分の持てる力を出し切りました。
私の指導力がもう少しあれば彼らに勝利を贈ることができたのにと思う限りです。
試合前の稽古、移動、そして試合と彼らは本当に様々なことを学んでくれました。
この試合の参加のチャンスを下さった支援者の皆さんには感謝の言葉しかありません。
【収支報告】
最後に少し書きますが、帰路トラブルがあり、まだ最終的な費用が出ていませんが、
今回頂戴した資金の全額を、以下の支出に使用させていただきました。
(1)公式宿泊場所への支払い・・・2070ドル
(2)交通費・・・1075ドル
(3)海外渡航保険+雑費(イエローカード取得、ビザ代、テンポラリーパスポート発行料)・・・492ドル
(4)食費・・・840ドル
(5)緊急対応費用・・・現時点で1500ドル(未確定)
(2)交通費・・・1075ドル
(3)海外渡航保険+雑費(イエローカード取得、ビザ代、テンポラリーパスポート発行料)・・・492ドル
(4)食費・・・840ドル
(5)緊急対応費用・・・現時点で1500ドル(未確定)
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐合計 5,977ドル(クラウドファンディング支援額 約4651ドル)
【リターンの発送に関して】
現在、リターンの発送の準備をしています。
実際的には3月31日に私が日本に到着してからの発送になりますので、4月半ば以降二なる予定です。
お待たせしますが、お許しください。
【緊急事態とウガンダ・難民柔道家たちの今度】
試合翌日、選手たちは、高揚感とともに帰国のバスに朝7時過ぎに乗り込みました。
16時のフライトで帰国する予定だった私は、帰国の準備を同じ時刻始めていました。
そして8時半、マイクから連絡。
「先生、バスが交通事故を起こした。数名がシリアスなけがをしている」
血を流し倒れる生徒たちの写真も送られてきました。
急いで昔からお世話になっている旅行会社に駆け込みレンタカーを手配。
タンザニアシリングの現金の手持ちも乏しいので、お金も借りました。
急いで昔からお世話になっている旅行会社に駆け込みレンタカーを手配。
タンザニアシリングの現金の手持ちも乏しいので、お金も借りました。
現場近くの診療所にたどり着いたのは、11時が過ぎていました。
包帯を巻かれ、血の付いた服を見ている生徒たちを見た瞬間。
自然と涙が出てしまいました。
包帯を巻かれ、血の付いた服を見ている生徒たちを見た瞬間。
自然と涙が出てしまいました。
タンザニアに私が連れてこなければこんな目に合わなかったのではないか?という気持ちと生きていてくれた事実に感情がコントロールできませんでした。
「先生、大丈夫。みんな生きているから泣かないでくれ」と、けがをした生徒たちに囲まれながら皆に抱擁されました。そこからほかの大きな病院へ運ばれた2人の無事の確認(レントゲンはそこの病院しかない)がとれ、全員がそろいました。しかし、後になりより大きな病院で頭部のCTスキャンを受けることを病院で進められ、60㎞も離れたダルエスへ移動。移動の合間で選手が泊まるホテルの手配なども行いました。私のフライトも変更し、最終的に2人の生徒がCTスキャンを受けられたのは日が変わった深夜1時頃。その手配が終わり、私は明け方の飛行機に飛び乗りウガンダへ戻りました。
◆選手たちとの再会と今後
3月23日、一部の選手と再会しました。
中には柔道着を着て稽古をした選手もいますが、基本はみな包帯姿。
3月23日、一部の選手と再会しました。
中には柔道着を着て稽古をした選手もいますが、基本はみな包帯姿。
選手たちにまだまだ未熟な私についてきてくれたことへの感謝を述べ、今後も私がいなくても稽古が続けられるように様々なアドバイスを行いました。そして最後にみなから言葉をいただき、また泣かされそうになりましたが、何とか堪えました。
皆さんのご支援により今回初めてチームらしいチームを試合に出すことができ、また他国を驚かせる結果を出しました。残念ながら交通事故に遭遇しましたが、それでも全員がサバイブし、ウガンダに帰ってきました。
そして先ほどまで事務局長のカタナさんと今後の計画を立てていました。
次は、南アフリカで行われるアフリカ大会への挑戦、そして東京で行われる世界選手権への出場です。財政的には厳しいものがありますが、きっと彼らならなら成し遂げてくれると思っています。また何かの形でご支援をいただければと思います。
ここで私の生徒が主役の物語は、一旦終了します。
しかし、彼らは引き続きもっと大きな物語を紡いでいってくれるはずです。
改めまして、ご支援ありがとうございました。
溝内克之 ウガンダ柔道代表チーム監督