『海賊の学校』には、夢があります。
 被災地の子どもたちを海賊にする夢です。


 5年前の今日のことは、今でもはっきりと思い出します。
 ニュースが飛び込んできたのは、たまたま青森県の方々の視察を、弓削島(しまの会社)に受け入れていた時でした。
 急きょ視察の行程を中止。皆、地元の状況や家族の安否がよくわからないまま、ニュースやSNSの画面にかじりつき、不安な表情のまま沈黙の時を過ごしました。
 視察団の方々の地元は無事でしたが、多くの日本人がそうであったように、僕らもまた震災を他人事とは思えず、被災地支援のNGOや島の人たちに協力を募り、避難生活者の栄養の偏りを心配して、島のひじきや鯛、摘み菜を使ったふりかけを皆で作ったり、はっさくを贈ったりしました。
 5~6月には、僕自身も宮城、岩手の被災地をめぐり、がれき撤去や仮設住宅への物資運び込みなどのボランティア活動に携わりました。
 何もしないでいられない。多くの人がそんな思いで行動したように思います。

 年月は記憶を薄れさせていくものです。一つ処にとどまらず前へと進むという意味では、忘れるということが必要な局面もあるかもしれません。
 でも被災した当事者の中には、忘れたくても忘れられない、忘れられない傷を負って前へ進めない、ということがまだまだ沢山あるようです。

 昨年、たまたま福島県の食品会社に島の柑橘を扱ってもらう取引ができ、福島県の今について様々に調べる機会があったのですが、調べれば調べるほど、まだまだ震災は終わっていないという感覚を持ちました。

 特に原発避難地域においては、子供たちが地元に帰れず、転入先でも辛い経験をするケースが少なくない。福島県にいても外で遊べない。
 そういった記事を目にするたび、心が痛みます。そんな状況をまるで知らず、知っても何もできない自分に対するもどかしさもあります。


 「うつくしま、ふくしま」というキャッチフレーズがありましたが、福島は今でも美しい。でもその美しい故郷に生まれた未来ある子供たちが、今なお震災の真っただ中にいて美しい未来を思い描けずにいる。


 だから・・

 『海賊の学校』には、夢があります。
 震災で傷を負った子どもたち。今でも元気に外で遊びまわることを許されない子どもたち。そんな被災地の子どもたちを瀬戸内の島へ招いて、海や野山で思いっきり遊んでもらう。思う存分、心を解放してもらう。
 そんな機会を創りたいという夢です。


 大人の押しつけかもしれません。一時のことかもしれません。
 でも、僕自身移住者として10年近く島で過ごし、自分の子どもを島で育てて(正しくは「育てた」のでなく「育った」のですが・・)、島には、子どもたちにとって数々の学びと発見と感動を体験できる環境があり、心を癒してくれる風景や触れ合いがあるということは、自信を持って言えます。

 

 海賊体験が、被災地の子供たちの未来を切り拓く一助になれたら、と思い描いています。

 兼頭一司
 
 
 

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