季節の変化を感じる心

 島の浜では今の時期、「ハマダイコン」や「ツルナ」といった海浜植物が群生し、花や緑が海や砂浜に映えてとてもきれいだ。
 島における季節の風物詩の一つであるが、弓削島では、そのきれいな景色を、景色として眺めるだけでなく、採って料理し食す『摘み菜』の取組が盛んで、『摘み菜』の島として、これまで複数のメディアにも取り上げられたことがある。

(ハマダイコンやツルナを使ったお弁当)

 

 弓削島に来て『摘み菜』の取組に参加し、島で「ハータナ」と呼ばれている植物を食べた時、それが小学生の時に帰り道に茎をポキポキ折って皮をむいて食べていた「イタドリ」であったことを何十年ぶりに思い出したこともあった。

(「イタドリ」もこの季節、野や山に群生。僕の育った地域では「ゴウサ」と呼ばれていた。)
 
 もちろん季節によって、生えてるものも様々に変わるのだが、弓削島では、季節ごとに、島のどこにどんな植物が生えていて、何が食べられて、何が食べられないのか、食べ方、効用はどうかを沢山の人が関わって調査。一冊の本にまとめてもいる。


 とても素敵な取組であるのだが、よくよく考えてみれば、ほんの数十年前、食べ物の種類も今と比べて少なかった時代においては、野や山や磯や浜がまさに天然の食糧庫であり、それぞれの土地に(あるいはそれぞれの家に)それぞれの食べ方が伝え守られていたことだろう。

 今のようにコンビニもテレビも冷蔵庫もない時代。

 モノも情報も圧倒的に少なかった時代。

 人々は草花や鳥や魚や、山や空や海を見て、現代人の我々では気づかない細かな特徴の変化を感じ取っていたことだろう。
 それは不便な時代であったのかもしれないが、決して貧しい時代ではなく、むしろとても心豊かな時代であったのではないだろうか。

 窓の外を燕が行き過ぎた。東京にいたころは存在も忘れていた季節の風物詩が華麗に空に舞う姿に見とれながら、贅沢というものは意外と身近に転がっているものかもしれないと思った。

 兼頭一司
 

 

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