先日、古くからの応援者で『海賊の学校』の設立にもお力添えを頂いている方から、島の柑橘で今が旬の「せとか」を、贈答用に沢山欲しいとご注文を頂いた。


 

 「せとか」は、『みかんの大トロ』と呼ばれ、甘く、はち切れんばかりの果肉のジューシーさの割にむきやすいのが特徴で、数年前に人気が出てからは、収穫期が来ても、あっという間に島から姿を消してしまうほどだが、前もって農家さんにお願いして量を確保することができた。

 僕は柑橘王国・愛媛県で育ったが、小さいころ柑橘といえば、温州みかんと、せいぜい八朔、だいだい、夏みかんくらいしか口にした記憶がない。
 ところが昨今は、「せとか」に限らず、「紅まどんな」、「甘平」、「はるみ」、「たまみ」、「はるか」・・・などなど、数え出したらきりがないほど、次々と新しい品種が出てくる。


 糖度の高い品種が人気が高い傾向にあるが、味だけでなく、むきやすさ、食感など、品種改良を重ねることで、消費者のし好に合わせて驚くほどきめ細やかな差別化がなされている。


 土地柄、仕事柄、柑橘を食す機会は平均よりも多いはずだが、何十種もの柑橘ラインナップの細かなバリエーションを前にしては、「利きみかん」をする力を身に付けるどころか、種類の多さに迷って、結局馴染のある温州みかんに落ち着いてしまうということがしばしばである。

 これだけ消費者の舌が肥え、需要も多様化してくると、生産者は大変である。
 しかも相手は「生き物」である。
 そもそも収穫できるようになるまでに、3~5年平気でかかる。人気が出たと聞いて、その品種を育ててみたら、収穫できるころには値段が半分以下に、なんて話は近頃ではざらだ。
 天候などの自然条件も年によって変わる中で、それぞれに異なる性質を持つ様々な新品種にトライすることは、生産者にとって大きな負担を伴うのである。

 かつては「温州みかん」単品種だけ(早生、中生、晩生などはあるにせよ)で、沢山の農家が潤ったという。みかんは、『黄色いダイヤ』と呼ばれ、全国に出荷され、「みかん御殿」が建つほどであったという。

 島のおっちゃんに漁に連れて行ってもらった時、沖から島の山を眺めて、「昔は秋になったら、あの山全体が黄色く染まっとったんじゃけどのう・・・。今はもう荒れてしもうてこの島も駄目よ・・・。」と寂しそうに目を細めた顔が忘れられない。

 

 今、全国の農村では、担い手の大半を60代以上の高齢世代が占めるケースが少なくない。もちろん、この島も例外ではない。

 島に残る農家さんの中には、島の傾斜地での作業や、収穫時の力仕事による体の負担をぼやきながらも、「先祖代々受け継いだ畑を、ワシの生きとるうちだけでも荒らすわけにはいけんのじゃ・・」という思いだけで維持している方も多い。

 「この木が実をつけるころにゃ、ワシャ死んどるで。」と冗談を言いながら、少しでも長く維持していくために、老いてなお新品種の育成にもチャレンジし続けるのである。

 彼らの島と畑と自らの仕事にかける思いは、熱くて重い。


 思いだけでなく、島の地形や自然条件を活かした独自の育成ノウハウや経験を蓄積して、とびきり美味しい柑橘を作り上げる猛者たちが今も島の畑を守っている。

海賊たちの畑

 僕が移住して間もないころ、島のみかんが美味しいのは、日当りのいい斜面と水はけ、潮風がみかんの育成にいいからだと教えてもらった。
 海藻を乾燥させて畑にまくのが島の伝統的な土づくりだと聞いた。

 「あの集落はあの人」と呼ばれるような名人が各集落にいると聞き、わざわざその名人を訪ねて、みかんを分けてもらったりした。

 それから10年近くが経った。

  各集落の名人は一人減り、また一人減っていく。
 山は更に荒れ、今では農地の3分の2が耕作放棄地である。
 島特有の育成ノウハウもやがて消えていくだろう。

 年輪を額と手のしわに刻んだ『みかんの海賊』たち。

 彼らの技を受け継ぐことが出来なくても、彼らの思いと島の歴史がつまった『海賊みかん』を一人でも多くの人にとどけることが出来たら・・。

せとか

​ そして、それを口にした人たちが、一房のみかんが繋いでくれた糸をたどって、海賊たちのみかん畑で、一緒に収穫を体験出来たら・・。

 『海賊の学校~みかん海賊編』の構想である。

 兼頭 一司

 
 

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