運営メンバーの阿部海渡です。
 
一体なぜ、ダンスと被爆体験がつながるのか、
なかなか言葉にするのは難しいですが、
書いてみたいと思います。
 
 
初めて尾竹さんと出会ったのは、
私がウェズリアン大学の2年生だったときです。
 
2011年3月に、私は大阪の公立高校を卒業しました。
東北大震災、福島のメルトダウンがあったのも、この年の3月です。
 
子どもながらにショックを受けました。被爆国である日本に生まれた一人として、
核の問題に関して、なにかできることをしよう、という決意と共に、アメリカに渡りました。
 
大学の1年目は、必死で授業についていきながらも、
世界各国から来ている優秀な先輩たちに、福島について何ができるか、相談に乗ってもらっていました。
 
この頃に、一緒に活動してくれる仲間を集め、
学生や教授、地域の人を対象に、
福島に関するドキュメンタリー映画の上映会や討論会などを企画しました。
 
この仲間の一人から、尾竹さんの話を聞きました。
ダンスや文学を通して、被爆について考える授業を教えていると聞き、
意味がわからず、思考停止してしまいました。
 
日本で生まれ育った私は、
ダンサーと聞き、まず思い浮かべたのは、
映画「シャル ウィ ダンス?」に出てくるような、社交ダンスでした。
 
社交ダンスと被爆体験がどうしてもつながらず、
次に連想したのは、アメリカということで、マイケルジャクソンのスリラー、
そしてテレビで見た、少女時代のダンス・・・
 
半信半疑でしたが、尾竹さんについて教えてくれた仲間が、
「一度、尾竹さんとワークショップをやってみよう」と言うので、
彼を信じて、尾竹さんにお願いしました。
 
ワークショップ当日。
広島・長崎に原爆が落とされたこと、福島で多くの人が被爆した話のあと、
ワークショップに入りました。尾竹さんはゆっくりとした口調で、次のように言います。
 
ワークショップの様子
 
 
「目をつぶって、想像して。あなたは、 広島市の爆心地から1kmのところにいます。鋭い光と同時が見えて、体の表面がものすごい熱さで焼けていきます。」
 
「腕が、足が、鼻が、燃えて消えてゆきます。感じてください。」
 
「身体の大部分にひどい火傷を負い、手足も顔もまともに動かせない。あなたは誰かに助けを求めます。目も見えず、耳もあまり聞こえませんが、助けてくれる誰かを、探してください。」
 
 
ワークショップ中に感想を話し合いました。ある参加者は、「被爆の痛みを理解することは不可能だと思うけれど、身体の感覚を通して想像することで、少しでも被爆した人たちの痛みに近づけるかもしれない。」と発言していました。
 
 
体を引きずりながら助けてくれる人を求めるを行ったときには、とにかく、「誰か助けて。」という声にならない声が頭のなかを走って止まなかったのを、今でも覚えています。ただ一心に人の肌に触れるのを求めている、自分がいました。
 
ワークショップの様子。
 
 
 
痛みを想像するこの活動は、「ダンス」という分野で、
アメリカの大学では教えられています。
 
しかし、ダンスよりも、「演劇」が近いのかもしれません。
他人の気持ちになって、その人の人生を感じ、演じてみる。
その過程に、人の痛みを想像しようという気持ちが生まれるのだと思います。
 
次回は、尾竹さんとの出会いが、
今の私にどう影響を与えたかについて、書きます。