先週の土曜日 (6月10日) にDelicious Movement in Tokyo 2017の1日目が開催され、ワークショップの順調なスタートとなったことをご報告いたします。

 

本ワークショップでは読書課題が事前の課題として用意されています。参加者は大江健三郎の「人間の羊」と坂口安吾の「桜の森の満開の下」を読み、以下のガイドラインをもとにレスポンスを書きました。そうして提出された文章を講師の尾竹永子さんが読み、それを元に授業中の対話が進められました。

 

作品の書かれた時代背景を考慮に入れ 、読んで自分のなかに想起・喚起されたイメージや経験、考えなどを書いてください。著者の他の作品を読んだことがあればその感想も歓迎します。長さの制限はなく、論文の形式をとる必要はありません。できるだけ正直に正確な言葉で書いてください。
 

ムーブメントワークショップと対話から成る半日間。参加者は事前に取り組んだ読書課題と当日のムーブメントの関係を考えながら(または考えないようにしながら)動き、その中で得た発見をグループで共有しました。異なる専門性やバックグラウンドに根ざした発言は、植物の花の象徴的意味から心理学的な言語の役割まで、多岐にわたりました。

 

尾竹永子さんの授業では、受講者が正直になる。私はこう尾竹さんの方法を説明することがあります。正直になるとは、つまり、私たちの身体感覚にできるだけ近い言葉を使用するようになることです。そして身体感覚に近い言葉を使用するときには、コミュニケーションをする人びとの身体感覚が共有される場が必要になります。これを満たすのが尾竹さんの方法だと、初日の様子を見ながら、私は思いました。

 

この方法の顕著な例として当日見られたのは、ゆっくりと身体を動かすムーブメントのエクササイズで、予期せず「カクン」と身体が動く現象です。寝転がって自分の身体をできるだけ遅く動かしていると、関節の位置変更や方向転換のときに動きの滑らかさが失われ、動きに落差が生まれます。この「カクン」という動きに関してある参加者が発言したとき、他の参加者も「カクン」という言葉で指示された感覚がわかると答えました。曖昧な現象に関するコミュニケーションを可能にするのも、発せられる言葉と身体感覚の距離が近く、かつ特定の動きを共有する場が存在するからです。

 

以上の気づきは小さなことのように聞こえますが、私たちのコミュニケーションは特定の身体感覚を言語で指示し、互いが指示された対象を理解することで成り立っています。つまり、コミュニケーションの基礎には身体感覚があり、共有された感覚を言語で指示し合うのがコミュニケーションです。しかしながら、身体感覚を伴わない抽象的な言語の使用のみが続くと、言語理解の基礎にある身体感覚が機能しなくなります。ミスコミュニケーションの根っこには身体感覚を基礎にする言葉の欠如があると言えます。尾竹さんの方法は、以上の仕組みを基本的なレベルで理解する手助けをしてくれます。

 
まだ支援期間の残る本プロジェクトですが、おかげさまで必要支援額に達成することもでき、また会場として使わせていただいてる東京大学の要請で、早期の支援終了が決定しました。これまでご支援いただきました皆さま、誠にありがとうございます。写真やビデオ、今後の回の詳細な報告を、後ほど支援者の皆さまと共有させていただきます。これからも私たちの活動を暖かく見守っていただければ幸いです。