こんにちは。
富岡まち繰るみ舎の主に裏方担当の佐藤芳秋と申します。
生まれも育ちも東京世田谷です。
そんなぼくがなぜ富岡で家守会社に参画することになったのか?
今日は自己紹介をしながらこの辺もお話ししたいと思います。
もしよかったら見てやってください。
 
1982年10月生まれの36歳です!
 
ぼくは世田谷生まれ世田谷育ちの36歳。
佐藤家のルーツは新潟。長男ではなかった祖父は戦前に上京してきました。そして新宿のお風呂屋さんで三助という背中流しの仕事から始めたそうです。
祖父は世渡り上手な人だったようで三助から銭湯経営をするようになっていき戦争にもいきながらも一代でエネルギーを根幹とする事業を築きました。そして新潟にいた一家を東京に呼び寄せ佐藤家の拠点は完全に東京になったそうです。
 
 
70数年前の祖父と叔父。銭湯から石炭店へと転身していきました。
 
そんなルーツもあってぼくは定期券を持ったこともないくらい世田谷しかほぼ知らずに生きてきました。
そんな僕が初めて定期的に訪れるようになったのが、そう富岡です。
僕の妻も世田谷生まれ世田谷育ちなのですがお母さんが富岡の出身であったためおばあちゃんの家にいくという用事ができたのです。
 
「故郷」
 
東京しか知らない僕にはこの言葉の響きに憧れがありました。 
そんな憧れを少し叶えてくれたのが富岡のおばちゃんちでした。
ですがその故郷も長くは続かずおばあちゃんが亡くなってからは行く機会がめっきり減ってしまっていました。ここ6、7年くらいは富岡のことはすっかり忘れていまっていました。
 
そんな頃からぼくは自分の住む世田谷松陰神社前周辺のまちづくり的な活動を仲間たちと始めることになりました。ちょうど子どもが生まれたタイミングであったこともあり活動の源泉は「故郷作り」。
自分の子供たちが「ただいま」といって帰ってこられるまちにしたい。
家に帰るだけじゃなくまちに帰る そんな感覚。
 
松陰神社前の人たちが出会う場にしたくてつくった松陰PLAT
 
紆余曲折ありながらですが松陰神社前は今少し人気のまちになってきています、この話はまたどこかで。
 
 
さて話は戻って。
故郷作りを源泉に自分のまちに向き合えば向き合うほど引っかかることがありました。
活動を知っていただいた人からたまにご指摘いただく「東京だからできる世田谷だからできる」というご意見。ぼくはここしかしらないので特に気には止めていなかったのですが。ある時、「リノベーションスクールとみおか」の存在を知りました。ここ数年忘れてしまっていた富岡のこと。
 
ぼくの中で引っかかっていた東京以外でのまちづくり活動とおばちゃんちの富岡。この二つが重なりリノベーションスクールに参加したのが2017年11月。
そこで今のメンバーと出会いまち繰るみ舎への立ち上げへとあれよあれよと進んでいきました。
参加したリノベーションスクールの様子
 
僕にとってこのmabushiyaもまた故郷づくりです。
この宿ができて富岡の子供も世田谷の子供も「ただいま」といってかえってこられるまちにしたい。
もしかしたら富岡と世田谷の架け橋になれるかもしれない。
 
そんなことを考えながら今日も富岡のことと世田谷のことをやっています。
僕の自己紹介はここまで。
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