10年前、父は「電波が襲ってくるんじゃ」と叫んだ。家族は父の暴言や、誇大妄想に巻き込まれて大変なことになった。つい最近、母の松子さんが思いだして教えてくれた新しい事実がある。それは、父の空想の世界で、息子である私は、電波を送りつづける悪の権化のような存在と思い込んでいたらしい。

当時、私は、父の状態を聞いて、心配になってすぐに新幹線に乗った。そして、ただ私が帰っただけで、父の精神や行動は安定した。なぜ、私が父のもとへ現れただけで、あんなに安定したのだろう。そのことを不思議に感じていた。その理由を母から聞いて納得した。父の妄想の世界では私は「悪の権化」だった。その悪の塊である息子が、自分を心配して帰って来てくれたのだ。悪と仲直りできた。そんな感動の物語が、父の妄想の中で完成したようだ。だから、私が帰っただけで、父の精神は安定した。それから暴言なども一切なくなった。
 
妄想や幻聴に苦しむ人が、自分の皮膚の内側にある世界の中で問題を解決する。そんな方法もあるんじゃないかと考えている。私の父は、たまたま偶然にそういう物語を自分でつくったけど、意図的にも、そんなことが出来そうな気がしている。架空の生きもの、邪鬼や、祟り神さま、巨大な秘密結社が攻撃をくわえてくる。歪で、陰惨な出来事が、自分という膜に覆われた世界をかき乱す。それは、本人にとっては、紛れもない真実であり、恐ろしい体験なのだ。だから、その妄想という体験を否定せずに、その内側の世界の中で仲良く解決する方法を、周りの人たちと一緒に探してせないだろうか。空想や、妄想は、私にとっては、創造であり、豊かな感性が放つ、偉大な能力である。この能力をそのままに、精神を安定させることもできるはずだ。豊かな妄想の中の悪と、本人が向き合ってみる。それはとても大事なことなのかも知れない。

 

妄想の悪や、幻聴さん、幻覚さんと戦っている人たちは、自分で自分自身を攻撃しているのではないのだろうか。なぜ、私たちは、自分を攻撃するのか。責めたり、傷つける理由があるのか。心の牙に語りかけてみる。幻覚という感性に踏み込んでみる。幻という実体を掴んでみる。小さな子どもたちが、見ている不思議な世界は、子ども自身を襲うことはない。子どもたちは、不思議な世界を恐れない。私たち大人は、何かを恐れ、自分をも攻撃してはいないだろうか。その攻撃を仕掛ける敵は、きっと自分なので、武器を投げ捨ててみてはどうだろうか。子どものように無邪気に。もっと素直に。そうすれば、きっと攻撃を加えた敵たちも、武器を置いてくれるだろう。そして、手と手を繋いでみてはどうだろうか。肌の温もりを感じてみてはどうだろうか。境界線に花を植えてみてはどうだろうか。その花は太陽に顔を向けて、葉をのばしていく。私たちを分断して、恐れていた何かと、仲直りは、きっとできる。その時に、花の匂いは、その空間にいる私たちを包み込んでいるだろう。

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