2002年のワールドカップを境に外国人バックパッカーが増え、あるホテルを皮切りにいくつかの宿が外国人を泊める様になった。そのオーナーが元々バックパッカーであったという事もあり、多少のノウハウもあったみたいだが、後発組はそのノウハウを教えてもらいつつなんとか形にした感じである。

しばらくして、山谷の旅館組合(城北旅館組合)では、「山谷カオサン化計画」なるものをたてるもうまく行かない。山谷がバッカパッカーの街になったとマスコミの報道なんかでよく目にするが、実際受け入れているのは1割程度。あとは旧態依然としたものである。

ここ数年、若い就活生の姿も目立つようになった。「東京、安宿」なんて検索するとここらが出てくるみたいだが、山谷がいかなる場所か知っている人はほぼいない。まぁ無理も無い事。中には「また来ました〜。」なんて陽気な人もいる。この時期毎年ながら多いのだ。それでも山谷のど真ん中をリクルートスーツ着て歩く女性には何か違和感を感じないこともないが。

写真の子も富山から出て来たという。
国際的な仕事をしたいのだとか。ちょっと大人しいビールが好きな女の子。
 

「はじめはすっごく怖かった、なんか来ては行けない所に来てしまった気がしました。本当になんだか怖かったです。山谷というのも知らなかったですし。」


表層的に見れば決してほめられた街ではない。だから中身を知ってもらいたく山谷を案内して回った。多少なりとも山谷を気に入ってくれたみたいだ。ぱっと見の景観だけで判断して欲しくない、それは長いこの街の歴史はもっと深い部分に根付いているからである。


期せずして来た山谷なのであろうが、なにかの糧になればと思うのみである。



http://nerorism.rojo.jp/sanya.html




 

 

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