お早うございます。松竹大谷図書館の武藤です。

2週間の春期特別整理休館を終え、本日15日より開館いたしました。スタッフ一同、皆様のご来館を心よりお待ちしております!


さて3-4月の、閲覧室での所蔵資料ミニ展示は、「新国劇100年」展です。今年はその創立より100年となる、節目の年となります。

新国劇は、新劇の芸術座を退団した澤田正二郎が、「新しい国民劇の創造」を目指して結成した劇団です。今から100年前の大正6[1917]年4月18日、新富座にて旗揚げされました。「新国劇」の劇団名は、澤田正二郎が早稲田大学英文科にいたころ坪内逍遙の文芸協会に属していた縁で、坪内逍遙が考案したといわれています。

記念すべき初興行は不入りとなりましたが、座員11名と共に関西へ移り、松竹合名社の社長白井松次郎の勧めで道頓堀の弁天座を本拠とした後、立回りにスピード感をもたせた大衆受けする剣劇を創始し、行友李風作の『月形半平太』『国定忠治』を初演して大当たりをとるなど次第に人気を得、「澤正」の愛称で呼ばれるようになりました。

大正10[1921]年に東上し、翌年秋に東京に拠点を移した後は、関西と同様人気を獲得、剣劇のみならず多くの創作劇も上演し、大衆に親しまれる舞台を提供し続けましたが、昭和4[1929]年2月新橋演舞場の公演中の11日、澤田正二郎は急性中耳炎のため休演、翌月の3月4日に38歳で急逝してしまいました。

昭和4[1929]年2月新橋演舞場プログラム。澤正最後の舞台です。

 

座長の死は、座員の相次ぐ脱退と芝居の不入りという危機を招きますが、劇団の若手座員だった辰巳柳太郎と島田正吾を抜擢し、また長谷川伸をはじめとした作家たちの支えもあり、劇団は再興へと向かいます。戦後は「“剛”の辰巳、“柔”の島田」といわれたように、辰巳柳太郎と島田正吾、対照的な芸風の2人が並び立って劇団を牽引し、特に男性客の熱狂的な支持を得て、昭和30年代には絶頂期を迎えました。しかし時勢の変化もあり、劇団は徐々に衰退の道を辿ります。

昭和62[1987]年、新国劇は創立70周年を迎え、8月御園座、新橋演舞場での記念公演を最後に澤田家に新国劇の名称を返還し、その幕を閉じました。同年10月、笠原章を中心に新国劇の中堅メンバーによる「劇団若獅子」が結成されます。新国劇の精神を受け継いだ劇団若獅子は、平成29[2017]年の本年、結成30周年記念を迎えます。

今回は、戦前・戦後にかけて人々の熱狂的な支持を集めた「新国劇」のスチール写真やプログラム、台本などの資料を展示いたします。

 

この展示資料のなかから、図書を3点ご紹介します。

左より:『三千六百五十日 苦闘十年史』、『苦闘の跡(改訂版)』、『ふり蛙』

 

『三千六百五十日 苦闘十年史』は澤田正二郎が著した書物で、昭和2[1927]年の新国劇10周年の年に記念として発行されました。昭和3[1928]年発行の『苦闘の跡(改訂版)』は、澤田正二郎の自叙伝でインタビューも収録されています。澤正の人となりが伝わる書物です。『ふり蛙』は島田正吾が舞台生活55年を振り返って著した書物で、昭和53[1978]年に発行されました。大正12[1923]年に入団するため楽屋を訪ねたことなど、澤田正二郎との思い出も記されています。題字は盟友辰巳柳太郎によるものです。

 

そして今回、展示する資料を選ぶため、戦前の各劇場のプログラムを書庫より出してみました。

新橋演舞場、帝国劇場、浪花座、中座、御園座、大阪歌舞伎座、大名古屋劇場、南座、山手劇場とあらゆる地域のプログラムがあり、各地で精力的に公演を行っていたことがわかります。表紙に柳と蛙が描かれたプログラムがほとんどですね。この柳に飛びつく蛙の絵柄は「堅忍不抜」の新国劇の精神を表しており、澤田正二郎の紋であると同時に新国劇の印でもあります。

こちらのプログラムは今回展示をしておりませんが、すべて閲覧できますので、こちらもご興味のおありの方は、カウンターまでお尋ね下さい。

 

今回の展示期間は、4月26日までとなっております。東銀座や築地界隈にいらした折には、是非当館にお立ち寄り下さいませ。

 

松竹大谷図書館の開館日はこちらのカレンダーでご確認下さい。

http://www.shochiku.co.jp/shochiku-otani-toshokan/pdf/17_calendar.gif

新着情報一覧へ