おはようございます。松竹大谷図書館の武藤です。

 

このところ、ご支援が止まってしまい悩んでおりましたが、そんな中、当館から遠方の方からもご支援を頂きたいへん励まされております。プロジェクトも残り19日となりましたが、より一層頑張ってまいりますので、応援を宜しくお願い致します!

 

今回は5万円ご支援を下さった方へのお礼としてご招待する上映会の歌舞伎映画作品のうち、『鏡獅子』についてご紹介いたします。(『紅葉狩』については10月2日の新着情報をご覧ください)

 

左:映画『鏡獅子』プレスシート、右:完成台本


大正、昭和期を通して活躍した名優六代目尾上菊五郎は、踊りの名手としても知られています。その中でも、ひときわ高い評価を得ていた舞踊が『春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)』です。

 

今回、ご覧いただく歌舞伎記録映画『鏡獅子』は昭和10[1935]年、六代目菊五郎が51歳の時に撮影されました。国際交流基金の前身にあたる国際文化振興会から、日本の歌舞伎をトーキー映画で海外に紹介したいという依頼を受けた松竹合名社(現松竹株式会社)が製作にあたりました。

 

映画『鏡獅子』楽屋部分が撮影された昭和11[1936]年5月の歌舞伎座筋書
演目の六番目に『春興鏡獅子』とある

 

昭和11[1936]年5月歌舞伎座『春興鏡獅子』六代目尾上菊五郎(獅子の精)、六代目中村福助
=六代目中村歌右衛門・中村章景=五代目中村芝雀(胡蝶)『演芸画報』昭和11年6月号より

 

舞踊部分の撮影は昭和10[1935]年6月、歌舞伎興行中の歌舞伎座で、25日の終演後から翌日の10時まで夜を徹して行われました。また、舞踊の前に挿入されている楽屋での六代目菊五郎の姿は、翌昭和11[1936]年5月、歌舞伎座で『春興鏡獅子』が上演された折に撮影されました。楽屋の化粧前(鏡台)の六代目菊五郎の右側に後シテの獅子の振り毛が、また左側に手獅子が置かれているのが映っています。映画の冒頭には、当時の歌舞伎座の正面玄関、客席、舞台や花道など場内が映され、昭和20[1945]年に戦災で焼失してしまった第三期歌舞伎座を知る上でも貴重な映像となっています。

 

昭和11[1936]年5月歌舞伎座『春興鏡獅子』六代目尾上菊五郎(小姓弥生)
『演芸画報』昭和11年6月号より

 

監督は当時、映画『東京の宿』の制作に取り掛かっていた名匠小津安二郎です。小津監督は記録映画の経験はありませんでしたが、本作で胡蝶を踊った尾上志げる(=二代目西川鯉三郎)が、本番前に六代目菊五郎の役をスタンドインで踊り、それを六代目がカメラでのぞいて、小津監督と一つ一つ相談してから本番に臨んだ事が『鯉三郎百話』に書かれています。また、襖の色を撮影用に直したり、ライトも映画の撮影時のように動きにつれて追いかけるような事はせず、全体を平均して照明をあてたりするなど、歌舞伎舞踊を撮影する上で様々工夫を行った事が『小津安二郎全発言』に収録されている「トーキー鏡獅子 撮影余話/小津安二郎氏談」にあります。

 

小津監督は能や歌舞伎に造詣が深く、特に六代目菊五郎を深く尊敬していたことが、『全日記小津安二郎』の「楽屋に六代目を訪ねて菊五郎芸談を聞く」(昭和9[1934]年6月21日)、「菊五郎の踊にいつもながら全く感心する」(昭和9年9月14日)といった記述からも伺えます。

 

また、小津監督は『キネマ旬報』昭和10[1955]年4月1日号に掲載された座談会で、こうも語っています。「僕は音羽屋(六代目菊五郎)の踊りを見て、娘よりは娘らしいと思っている。例えば、踊りのときのあの色気です。―かつて僕は音羽屋がある婦人と一緒に踊っているところを見たのですが、その時衣裳も顔もしていない音羽屋の男の方が遥かに、その婦人より踊りに於いて女らしく見えたのです。その婦人も一かどの名手だったのですが―」
映画をご覧になる皆さんは、六代目菊五郎の踊りを観て、どのように感じるでしょうか?

 

この映画は小津監督の撮った唯一の記録映画であり、また初めてのトーキー映画となりました。この『鏡獅子』には、当館が管理する「大谷家版」(日本語版)と、その他に国立映画アーカイブ所蔵の英語版とがあります。今回上映する「大谷家版」のフィルムは、昭和25年に再編集されたもので、全体で約24分となっており、うち舞踊部分は18分ほどです。そもそも海外向けに作られたこともあり、スクリーンでの上映は数えるほどしか行われておりません。今回の上映会は、日本文化を代表する巨匠ふたりが作り上げた映像を目にすることのできる、貴重な機会となります。

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