パアララン・パンタオの校長先生を紹介します。

レティシア B. レイエス先生。レティ先生って呼んでいます。

1942年生まれ。大学卒業後、結婚して5人の子どもを育てました。夫が亡くなったあと、親戚のすすめで、パヤタスに引っ越してきたのが1982年。そのときパヤタスは郊外の緑豊かな土地でした。稲穂の匂いがしていたそうです。ところが、引っ越して1年もしないうちに、近くにゴミの投棄がはじまり、美しかった谷間はあっというまにゴミに埋まり、近くには、ゴミを拾って暮らす人々の貧しい集落が広がっていきました。親戚は、ゴミを嫌って引っ越しましたが、地域の住民組織の活動にとりくんでいたレティ先生は、パヤタスに残りました。

 

1987年、地域の母親たちに、子どもの勉強をみてほしいと頼まれ、家で教えはじめると、1か月後には40人の子が来るようになり、レティ先生は学校の開設を決意します。国内の教育NGOの協力も得ながら、古い建物を校舎にして、1989年パアララン・パンタオを開校しました。

教師は、レティ先生と教育NGOから派遣された先生、そして地域の高卒のお母さんたち。お金もなんにもありませんでしたが、手探りで、ゴミ山の子どもたちに必要な教育のかたちをつくりあげていきました。

(1999年 子どもたちにお話を読むレティ先生)

子どもたちは半日ゴミ山で働き、半日パアララン・パンタオで学ぶことができるようになりました。パアラランで学んだあと、小学校やハイスクールに進学する子どもたちも次第に増えていきました。10歳くらいまでパアラランで学んでそのままやめてしまう子も、最低限の読み書きと計算はできるようになりました。

ジェニファーは5歳のころからパアラランに通っていた。このころ午後のクラスの生徒。午前中はゴミ山で働いていた。(1996年)

 

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